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ある日、ブラウザの整理をしていて、気づいてしまいました。 アナリティクスのページが、もう半年近く開きっぱなしになっていました。ストアの評価欄も同じです。最後にちゃんと見たのがいつだったかも思い出せないのに、タブだけがずっとそこにあり続けていました。 「なんで閉じなかったんだろう」…
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ある日、ブラウザの整理をしていて、気づいてしまいました。 アナリティクスのページが、もう半年近く開きっぱなしになっていました。ストアの評価欄も同じです。最後にちゃんと見たのがいつだったかも思い出せないのに、タブだけがずっとそこにあり続けていました。 「なんで閉じなかったんだろう」と思ったとき、最初に浮かんだのは「怖かったから」という答えでした。でも、しばらく考えているうちに、それだけじゃない気がしてきました。このエッセイは、その「閉じられないタブ」について書こうと思います。同じように、誰かのブラウザにも、ひっそりと生き続けているタブがあるかもしれないと思って。
Lilyがリリースしたアプリは、ストアに出してから数ヶ月が経ちます。
最初の一週間は、ほぼ毎時間アナリティクスを開いていました。ダウンロード数が1件増えるだけで嬉しくて、画面をスクリーンショットして保存したこともあります。0件の日も、「まだ知られていないだけ」と自分に言い聞かせながら、また翌朝開いていました。
でも、ある時期から確認する頻度が落ちていきました。数字が動かなくなったわけではありません。ただ、開くたびに少し気持ちが重くなって、「また今度でいいか」が積み重なっていきました。それでも、タブは閉じませんでした。気づいたら、ブラウザの右端のほうで、小さく、ずっとそこにいたのです。
整理をしながら、開きっぱなしのタブをひとつひとつ確認していくと、あることに気づきました。残っているのは全部、完全に手を引いていないプロダクトのページでした。
もうほとんど触っていないアプリのアナリティクス、更新が止まっているのに評価欄だけ監視し続けているストアページ、いつか追加しようと思ったまま放置している機能のメモ。閉じたタブは跡形もなく消えます。でも残っているものは、全部「まだ諦めていないもの」でした。
正直に言うと、アナリティクスを見るのが怖い時期がありました。
リリース直後の興奮が冷めてきた頃、数字は増えなくなりました。毎日確認していたのに、週に一度になり、それも「気が向いたとき」になっていきました。ページを開いたとき、「やっぱり変わっていない」と感じる瞬間が積み重なって、だんだん開くこと自体がしんどくなっていきました。
それでも、閉じることもできなかったのです。
「閉じたら終わりになる気がして」というのは、後で思い返したときの言葉です。その時リアルタイムで感じていたのは、もっと曖昧なものでした。開けば傷つくかもしれないし、でも閉じたら何かを失う気がする。その間でずっと止まっていました。
個人開発をしていると、誰も強制してくれません。上司もいないし、締め切りも自分で決めます。それは自由であると同時に、「見なくていい」という選択肢が常に目の前にあるということでもあります。
数字が動いていないページを開くのは、自分に対して正直になる行為です。それが怖くなると、「見ない」を選び始めます。でもタブは閉じない。その矛盾した状態が、Lilyにはずっと続いていました。
タブを整理している最中に、ふと思ったことがあります。
「本当に諦めているなら、とっくに閉じていた」
これを思ったとき、少し驚きました。自分でそう思っていなかったからです。むしろ「もうあのアプリは終わったかな」と心のどこかで感じていると思っていました。でも、タブは閉じていませんでした。半年間。ブラウザを再起動しても、PCを再起動しても、ずっとそこにいました。
行動は、言葉より正直です。
「諦めた」と口で言っていても、タブを閉じていないなら、まだ諦めていません。逆に言えば、タブを閉じた日が、本当に気持ちが動いた日だと思います。Lilyにとって、あのタブたちは「まだここにいる」という、自分自身への証明だったのかもしれません。
ここで正直に言うと、Lilyは「諦める」ことが苦手です。やめることに対して、どこか後ろめたさを感じてしまいます。
でも、しばらく考えていて気づいたのは、「諦め」と「休止」は別物だということです。タブを閉じないのは、諦めていないからかもしれないし、ただ休んでいるからかもしれない。どちらにしても、それは「まだ何かを感じている」状態です。
感じていない状態になったとき、人はタブを閉じます。それは意識的な決断である必要すらなくて、ある日ふと「あ、もういいや」と思って閉じる。そういうものだと思います。閉じられないうちは、まだそこに何かあるということです。
転機は、大きなことではありませんでした。
あるコミュニティのスレッドで、同じく個人開発をしている方が「アナリティクス、一ヶ月ぶりに開いたら思ったより悪くなかった」と書いていました。それを読んで、Lilyも久しぶりに開いてみました。
数字は劇的には変わっていませんでした。でも、思っていたほど落ちてもいませんでした。「毎日見ていなくても、動いていたんだ」と思ったとき、少し肩の力が抜けました。誰かの一言が、閉じかけた扉を少しだけ開けてくれることがあります。個人開発の話を書いてくれる人が、コミュニティにいてくれることのありがたさを、あのとき改めて感じました。
それから、アナリティクスを見るタイミングを決めました。毎日ではなく、週に一回。曜日は決めず、「なんとなく見たくなったとき」でいいことにしました。
毎日確認していた頃は、1の増減に感情が乗っていました。週一にしてからは、ある程度まとめて眺められるようになって、少し客観的に見られるようになりました。数字はずっと小さいけれど、「動いている」ことは確認できる。それで十分だと思えるようになりました。
小さなことです。でも、Lilyにとっては大きな変化でした。ページを開くたびにしんどかったものが、少しだけ穏やかに見られるようになりました。ルールを変えただけで、見え方が変わることがあるのだと、身をもって知りました。
ここまで書いてきて、もしかしたら「そんなことで悩むの?」と思う方もいるかもしれません。
でも、個人開発をしている人の中に、閉じられないタブを持っている人は、きっとLilyだけではないと思っています。誰かのブラウザにも、あのアナリティクスのページや、ストアの評価欄が、ひっそりと生き続けているんじゃないかと。
閉じられないことを、責める必要はないと思います。それは怠惰でも逃げでもなく、「まだここにいる」という、静かな証拠です。数字が動かなくても、反応がなくても、タブを閉じていない時間は、ぜんぶ「続けている時間」だったということです。
いつかそのタブを閉じる日が来るかもしれません。それは諦めではなくて、本当に区切りがついた日かもしれない。あるいは、今とは別の形でまた開く日が来るかもしれない。
どちらにしても、閉じられなかった時間は無駄ではありませんでした。タブを開いたまま過ごした日々の中で、何かを考え続けていたのは本当のことです。その時間に意味があったかどうかは、もっとあとにならないとわからないけれど、少なくとも「諦めていなかった」という事実は残ります。
最後に、正直に書かせてください。
Lilyの今のブラウザにも、まだ閉じていないタブがあります。半年開きっぱなしだったものは、先日ようやく閉じました。でも、代わりに新しいタブが開いています。
最近リリースしたプロダクトのアナリティクスと、更新したアプリのレビュー欄です。数字はまだ小さいけれど、今はそれでいいと思っています。毎日は見ないけれど、閉じもしない。それが今のLilyの正直な状態です。
閉じなくていいのだと気づいてから、少し楽になりました。タブは残っていていいのです。まだ諦めていないなら、それがその証拠ですから。
同じくブラウザの右端に、ひっそりと何かを抱えているあなたに、このエッセイが届いたらいいなと思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています