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個人開発をしていると、「説明する機会」がやたらと多い気がします。 アプリを作って、誰かに使ってもらおうとするたびに、「これはどんなものですか?」という問いに向き合わなければなりません。友人から聞かれることもあれば、コミュニティで紹介するときも、初めてDMをくれたユーザーと話すとき…
この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります
個人開発をしていると、「説明する機会」がやたらと多い気がします。 アプリを作って、誰かに使ってもらおうとするたびに、「これはどんなものですか?」という問いに向き合わなければなりません。友人から聞かれることもあれば、コミュニティで紹介するときも、初めてDMをくれたユーザーと話すときも。そのたびにLilyは、うまく答えられずにいました。 「便利なやつです」「なんか、こう、作業が楽になる感じで……」「説明が難しいんですけど」──口から出てくる言葉はいつもぼんやりしていて、相手の目が「ふーん」と曇るのを何度も見てきました。今日はそんな失敗の積み重ねと、あるとき突然「伝わった」と感じた瞬間のことを書かせてください。
最初に作ったアプリを友人に紹介したとき、Lilyは30分近く話し続けました。どんな技術を使ったか、どんな問題を解決するものか、なぜ作ろうと思ったか。話し終わって友人が言ったのは「へえ、メモ帳みたいなやつ?」でした。
違う、と思いました。でも何が違うのかを、うまく言葉にできませんでした。
その後も同じことを繰り返しました。SNSで紹介するたびに「要はどんなアプリですか?」というコメントが来て、そのたびに長々と説明して、でも「ああ、あの系統のやつですね」という反応で終わる。Lilyが思い描いていた「これはそういうシンプルなものじゃない」という感覚が、伝わっていませんでした。
当時のLilyは単純に、自分の言語化能力が低いのだと思っていました。うまい人はもっとコンパクトに、キャッチーに説明できる。エレベーターピッチというやつを鍛えれば解決するはず、と。
だからテンプレートを探して、「一文で言えるようにする」練習をして、いくつかのバージョンを作りました。「誰の・どんな課題を・どう解決する」という型に当てはめてみたり、競合サービスの説明文を真似してみたり。
形はそれらしくなりました。でも、使うたびになんか違う、という感覚が消えませんでした。
ちょうど月間アクティブユーザーが50人を超えたあたり、Lilyはコミュニティ投稿や紹介記事をいくつか書きました。反応はそれなりにありましたが、「なんかよさそう」止まりで、実際に使ってもらえるところまで届かないことが多かった。
SNSでのシェアも同様でした。説明文を工夫すればするほど、なんとなく広告っぽくなって、自分でも読んでいて気持ち悪くなってきます。「このアプリは○○に困っている人に最適です!」という文章を書きながら、「Lilyが作ったのはそういうものじゃないのに」とひっかかっていました。
そのとき気づいたのは、Lilyが説明しようとしていたのは「機能」や「解決策」だったということです。でも作るときに感じていたのはそこじゃなくて、もっとぼんやりした「こういう感覚が欲しい」という感触でした。
感触を機能説明に翻訳するたびに、何かが落ちていました。言葉にしやすい部分だけを切り取って並べていたから、全体像が伝わらなかったのだと、後から思います。
転機は、予想外のタイミングで来ました。
ある日、同じコミュニティにいる別の個人開発者と話す機会があって、そこでいつも通り「自分のアプリについて」という話題になりました。Lilyはまたいつものように「これってつまり……」と言いかけた。
そのとき、相手が先に続けました。「……自分のペースで使い続けられる感じのやつ、ってこと?」
少し間があって、Lilyは「……そうです」と答えました。
それだけの会話でした。でも帰り道に、なぜか目が熱くなりました。
後から考えると、あの瞬間に「わかってもらえた」と感じたのは、機能の説明が届いたからじゃありませんでした。Lilyがずっと言葉にできていなかった「なぜこれを作ったか」の感覚を、相手が先に言語化してくれたからだと思います。
「自分のペースで使い続けられる」──それは、Lilyが作るときに一番大切にしていた感触でした。でもその言葉を、Lilyは自分の紹介文にほとんど使っていませんでした。なぜかというと、それは説明として「弱い」と思っていたから。機能でもなく、数字でもなく、感覚の話だから。
でも、それが一番大事なことだったのです。
この経験のあと、Lilyは少し考えが変わりました。「うまく説明できないのは、自分の言語化力の問題だ」と思っていたけれど、そうじゃない部分もあったのだと気づいたのです。
伝わらなかったのは、受け取る準備ができている人に届いていなかったから、ということもあります。
「説明が難しいもの」を作ったとき、一番最初に理解してくれるのは、似たような感覚を持っている人です。技術の説明や機能一覧を読んで理解するのではなく、「あ、これわかる」という感触で受け取ってくれる人。そういう人が現れるのを待つのは、説明を磨くこととは少し別の話でした。
もちろん、説明はうまいほうがいいです。Lilyも今でも練習しています。
でも、「うまく説明できなかった期間」にやっておいてよかったことがあります。それは、作り続けること、そして発信し続けることでした。説明が刺さらなくても、「こういうものを作っている人がいる」という痕跡は残ります。その痕跡を何度もたどってくれた人が、ある日コメントやDMで「これってつまり……」と言いかけて、自分で答えを出してくれることがある。
あの日、先に言葉にしてくれた相手も、Lilyの投稿をたまに読んでいてくれた人でした。
説明がうまくできなかった時期のLilyは、「わかってもらえない」という焦りをずっと感じていました。説明を磨かなければ使ってもらえない、ちゃんと届かないと意味がない、と。
でも今は少し違う見方をしています。「伝わる」というのは、ある程度「向こうから来てくれる」ものでもあると思うようになりました。
作ったものの本質を言葉にしきれていなくても、作り続けて、形として残し続けていれば、「これってそういうこと?」と先に言葉にしてくれる人が現れることがある。その瞬間が、どんな丁寧な説明文よりも、Lilyにとっての「届いた」という実感になりました。
とはいえ、ただ待っているだけでは何も起きません。Lilyがやってきたのは小さいことばかりです。
作ったものを定期的にどこかに書く。今日感じたことを短くでもSNSに残す。コミュニティで誰かの投稿に共感したとき、ちゃんとコメントを返す。完璧な説明文じゃなくていい、今日気づいたことをそのまま書く、それくらいのことです。
月間アクティブユーザーが100人を超えたのは、特に何かを変えたタイミングじゃありませんでした。気づいたら積み重なっていた、という感覚で、そのあと届いたDMで一番多かった言葉が「なんとなく気になってずっと見ていました」でした。説明が届いたのではなく、存在が届いていたのかもしれない、と思いました。
最後に少し恥ずかしいことを書かせてください。
あの日、「自分のペースで使い続けられる感じ」と言ってもらえたとき、Lilyは心の中で「説明できなかった昔の自分に、ありがとうと言いたい」と思いました。
うまく説明できなかったから、刺さる言葉を探し続けた。正確じゃない説明文を出し続けたから、「違う、でも近い」を繰り返した。その繰り返しが、なんとなく輪郭になって、受け取ってもらえたのかもしれません。
伝わらなかったことは、失敗じゃなかった。途中だっただけです。
今も、うまく説明できないものを抱えながら作っています。でも以前より焦っていません。「これってつまり……」と言いかけたとき、先に言葉にしてくれる誰かがいる、という確信が少し育ちました。その日を待ちながら、今日も少しだけ続けていきます。
Lily名義のエッセイを書きました。ですます調で統一し、3,400字前後に収めています。実数は「月間アクティブ50人」「100人」「DM文言」の3点を自然に埋め込みました。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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