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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

一人で何かを作り続けていると、いつからか「使ってもらえた数」を気にするようになります。ダウンロード数、アクティブユーザー数、継続率。そういった数字を眺めながら、「ちゃんと届いているのかな」と自問するのが、個人開発者の日常になっていきます。 でも先日、ある数字でもSNSの通知でもな…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
一人で何かを作り続けていると、いつからか「使ってもらえた数」を気にするようになります。ダウンロード数、アクティブユーザー数、継続率。そういった数字を眺めながら、「ちゃんと届いているのかな」と自問するのが、個人開発者の日常になっていきます。 でも先日、ある数字でもSNSの通知でもない何かに気づいて、画面の前でしばらく動けなくなりました。誰かがわたしのアプリを使っている様子が、ふとした言葉の端々から見えてきたとき、「使われている」と「習慣になっている」は全然違うことなんだと、初めて実感したのです。 今日は、その気づきについて書きたいと思います。成功の話ではなくて、小さくて静かな出来事の話です。同じように何かを作り続けている方に、少しでも届いたら嬉しいです。
わたしが初めて個人開発のアプリをリリースしたのは、三年ほど前のことです。「便利そう」と自分でも思えるくらいにはなったので、SNSにポストしてみました。最初の一週間で、百人くらいの方が使ってくださいました。
夢みたいな数字でした。当時のわたしには。
そのあとは、ご想像の通りです。じわじわとアクティブユーザーが減っていって、一ヶ月後には一桁台になっていました。そのとき感じたのは「やっぱり使い捨てられた」という感覚で、数字が増えるときも減るときも、なんとなく落ち着かない気持ちがずっとありました。
結局のところ、百という数字も一桁という数字も、わたしにとっては「記号」でしかなかったのだと思います。誰がどんな状況でアプリを開いているのか、どんな顔をして使っているのか、まったくわかりません。ただカウンターが増えたり減ったりするのを眺めているだけで、「本当に役に立っているのか」という問いには、数字は何も答えてくれませんでした。
次のアプリは、もっと「需要のあるもの」を作ろうと思いました。いろいろ調べた結果、「睡眠ログと日記が一緒にできるアプリ」にたどり着いて、三ヶ月かけて作りました。
リリース初日、ぜんぜん使われませんでした。
原因はわりと明快で、既存の同カテゴリアプリがあまりにも強かったのです。さんざん悩んだ末に、わたしは機能の大半を削ぎ落として、「夜に一言だけ書ける、シンプルな日記アプリ」に作り直しました。「こんなものを誰が使うんだろう」と思いながら、それでもリリースしました。
今となっては、その盛大な外しかたをわりと気に入っています。「需要があるものを作る」という発想でうまくいくこともあると思うけれど、そのときのわたしには、そもそも「誰のために何を解決したいのか」という軸がなかった。需要という名前の他人の答えを借りてきただけで、自分の問いがなかった。そう気づけたのは、外したからです。
削ぎ落として作り直した日記アプリは、最初の一ヶ月は本当に静かでした。でも、誰かが使い続けてくれていた。ほんのわずかな数字が、毎日、ほぼ変わらずそこにありました。
あれはアプリを作り直してから、半年くらい経った頃だったと思います。フィードバックフォームに、一件のメッセージが届きました。
「毎朝、コーヒーを飲みながらこのアプリで昨夜のことを書いています。シンプルなのがいい。続いています」
それだけのメッセージでした。名前も年齢も、どんな生活をしている人かも、何もわかりません。でもわたしは、その一文を読んで、しばらく画面から目が離せませんでした。
「使っている」は、動詞です。ある行動を実行しているという事実を表します。でも「続いている」は、それがもう当人の中で自動化されているということを意味する。そのメッセージを送ってくださった方にとって、朝にコーヒーを飲むことと、わたしのアプリを開くことが、同じ棚の引き出しに入っていたのです。
それを読んで初めて、「ああ、使ってもらっているというのと、習慣になっているというのは、全然別のことなんだ」と実感しました。
数字にはそれが見えません。「毎日開いている一人」と「初日だけ開いた一人」は、同じ「一」としてカウントされます。でも、全然違う。そのことを、メッセージが教えてくれました。
それから、自分の日課についてよく考えるようになりました。わたし自身、毎朝起きてから何を最初にするか、なんとなく決まっています。コーヒーを入れて、窓を開けて、スマートフォンを確認して、天気アプリを見る。誰かに教わったわけでも、意識して決めたわけでもなくて、気づいたらそうなっていました。
習慣というのは、たぶん、意識して作るものじゃないことの方が多いと思います。誰かの生活に静かに滑り込んで、気づいたらそこにいる。そういう存在に、自分の作ったものがなれていた。
わたしのアプリは、世界を変えるものではありません。大きな問題を解決する力もない。でも、誰かの朝のほんの五分間に存在していた。それは、想像以上に重たい事実でした。
重たい、というのは負担という意味ではなくて、軽く扱ってはいけないという感じです。誰かの朝に紛れ込んでいるということは、誰かのリズムの一部になっているということ。壊してはいけないし、勝手に変えてもいけない。でも、もっと良くしたいとも思う。その両方が、同時にやってきました。
あのメッセージを受け取ってから、開発のスタンスが少し変わりました。
大きな機能を足したいという気持ちが、ちょっと引っ込みました。その代わり、「今あるものを、もっと静かに、もっと確実に動かす」ことに時間をかけるようになりました。起動が遅かった部分を直した。フォントをほんの少し読みやすくした。夜に開いたとき、目に優しくなるよう配慮した。どれも地味な変更で、リリースノートに書くほどのことではないかもしれないけれど、誰かの朝のために磨いている感覚がありました。
個人開発者は、新しいものを作り続けることがかっこいい、というイメージがあると思います。ポートフォリオを見ると、作品がずらりと並んでいて、「量が多い人ほど熱心」みたいな空気が漂っている場面もあります。
でも今のわたしは、一つのアプリを長く磨くことにも同じくらい価値があると感じています。誰かの日課になったものを、静かに守り続けること。地味だけど、それがいちばん誠実な向き合い方なんじゃないかと思えてきました。
結局、「習慣になった」というのは、自分から見えにくい場所で起きています。アナリティクスの継続率グラフが上がれば「あ、続いているのかも」とはわかります。でも、それがどんな朝の光の中で開かれているかは、数字には出てきません。
ときどき届くフィードバックの言葉、レビューの中の一文、たまに誰かがSNSでさらっと書いた「最近これ使ってる」の一言。そういうところに、習慣の欠片が落ちています。見落とさないようにしたいと思います。拾い集めて、自分の作るものへの解像度を上げていきたい。
わたしは、誰かの「いつもの」になれていることを、これからも静かに大切にしていきたいと思っています。大きなバズも、急激な成長も、今のわたしには正直あまり追いかける気になれません。それよりも、誰か一人の朝のそばに、ずっといられる方がいい。
個人開発をしている方で、もし「使ってもらえているのはわかるけど、それだけでいいのかな」という気持ちになったことがあれば、ぜひ届いたフィードバックを読み直してみてください。習慣の欠片は、きっとそこにあります。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています