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Lily さんへの応援になります

「一緒にやりませんか」というメッセージが届いたのは、夜の十一時を過ぎたころでした。SNSのDM欄に、見知らぬ開発者からの短い文章がひとつ。「Lilyさんのプロダクト、すごく好きで。もしよかったら一緒に何か作りませんか」。 読んだ瞬間、最初に浮かんだのは「嬉しい」ではありませんでし…
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Lily さんへの応援になります
「一緒にやりませんか」というメッセージが届いたのは、夜の十一時を過ぎたころでした。SNSのDM欄に、見知らぬ開発者からの短い文章がひとつ。「Lilyさんのプロダクト、すごく好きで。もしよかったら一緒に何か作りませんか」。 読んだ瞬間、最初に浮かんだのは「嬉しい」ではありませんでした。なんと表現すればいいのか、少しだけ戸惑うような、胸の奥がざわつく感じ。嬉しいという気持ちもあります。でもそれよりも先に、何かが引っかかっていました。 この記事は、その「引っかかり」と向き合ってみた話です。コラボを受けるか断るかという話ではなく、そのメッセージをきっかけに「私はなぜひとりで作っているんだろう」という問いと久しぶりに正面から向き合うことになった、小さくて、でも自分にとっては大事な出来事の記録です。
相手の方は、私と同じように個人でWebサービスを作っているエンジニアの方でした。プロフィールを見ると、ちゃんとリリースしたプロダクトがいくつかあって、SNSでも数百人のフォロワーがいます。怪しい勧誘とか、冷やかしとか、そういう類ではないことはすぐにわかりました。
メッセージの内容は丁寧でした。「こういうことが得意で、こういうものを作りたいと思っていて、Lilyさんの視点と掛け合わせたら面白いんじゃないかと思って」と、ちゃんと理由も書いてくれていました。
それなのに、私はすぐに返信できなかったのです。既読をつけたまま、三日間、画面を開いたり閉じたりしていました。
正直に言うと、最初から「断る方向」で考えていました。今のプロダクトに集中したい。スケジュールも合わせにくい。方向性のすり合わせに時間がかかりそう。理由はいくつも思い浮かびました。
でも、それをそのまま返信できなかったのは、「断っていいのだろうか」という罪悪感のようなものがあったからだと思います。せっかく声をかけてもらったのに、断ったら失礼じゃないか。コラボしないと成長できないんじゃないか。個人開発者こそ繋がりを大事にすべきなんじゃないか——そういう「べき論」が頭の中をぐるぐるしていました。
三日目の夜、なんとなく自分に問いかけてみました。「断りたいのはなぜ?」
最初は「今が忙しいから」と答えていたのですが、もう少し掘り下げていくうちに、少し違う答えが出てきました。
「ひとりで作ることが、今の自分には合っているから」
これを言語化したとき、少しだけ気持ちが楽になった気がしました。と同時に、「じゃあそれはなぜ?」という次の問いが来ました。
私がひとりで作っている最大の理由は、たぶん「自分のリズムで動けること」です。
朝五時に思いついたことをそのまま実装したいとき、土日をまるごと設計に使いたいとき、逆に一週間まったく触れないときがあっても、誰かに謝らなくていい。納期も、進捗報告も、自分との対話だけで完結します。
これは怠惰に聞こえるかもしれませんが、私には大事なことでした。本業もあって、体調が安定しない時期があって、「今週はちゃんと動けそうにない」という週が年に何回かある。そのたびに誰かに待ってもらう申し訳なさを抱えながら作り続けるのは、私にはきつかったのです。
もうひとつは、失敗したとき、傷つくのが自分だけで済むということです。
以前、友人と一緒に小さなWebアプリを作ったことがあります。三ヶ月ほど一緒に動いたのですが、方向性が合わなくなって、自然消滅するような形で終わりました。プロダクト自体の失敗より、その後の関係がなんとなく気まずくなってしまったことのほうが、ずっと引きずりました。
リリースできなかったことより、友人関係に変なしこりが残ったことのほうが、何倍もつらかった。あの経験があったから、「コラボ」という言葉に反射的に身構えてしまうのかもしれないと、このとき初めて気づきました。
結局、三日間悩んだ末に出した答えは「断る」ではなく「一度話してみる」でした。
「断る」という判断はメッセージを読んだ段階から変わっていなかったのですが、せめて相手の話を聞いてから断ろうと思ったのです。断るにしても、どう断るかは話した後のほうが丁寧にできる気がして。三十分だけ時間をもらえますか、と返信しました。
三十分ほどオンラインで話しました。
相手の方は、私が思っていた以上に「ゆるいコラボ」を想定していました。毎週MTGするとか、リポジトリを共有するとか、そういう話ではなく、「同じ方向を向いている人と、たまに壁打ちしたい」というイメージだったのです。
あ、それなら全然違う話だ、と思いました。
私が想定していた「コラボ」は、もっと密なものでした。スプリントを切って、タスクを分担して、定期的に進捗を共有する——そういう形を勝手に想定して、勝手に身構えていたのです。「ゆるい壁打ち相手がほしい」という話なら、むしろ私もそれは求めていたものでした。
この一連のことを通じて、改めて言語化できたことがあります。
「ひとりで作ること」と「孤独に作ること」は、別のことだということです。
私がひとりで作ることを選んでいるのは、決断の速さとリズムの自由さを手放したくないからです。でもそれは、誰とも話さず、誰にも見せず、閉じこもって作りたいということではありませんでした。
コードは自分で書く。設計も自分で決める。でも、壁に当たったときに話せる人がいる。できたものを見せる人がいる。そのくらいの距離感は、むしろあったほうがいいと気づきました。
「一人称・単独・自律」というのが私の作り方の芯で、「繋がりをまったく持たない」はそこに含まれていなかったのです。整理してみると単純なことでしたが、なんとなく混同していました。
ひとつだけ正直に書いておきたいことがあります。
「ゆるい壁打ち」でいいと思って話を進めたはいいものの、その後も少し気を遣う場面がありました。メッセージをどのくらいの頻度で送っていいかわからないとか、相手のプロダクトのことをどこまで踏み込んで意見していいかとか、小さなことで迷う場面が何度かあったのです。
「ゆるい」の定義は、人によって違います。そこは最初にもう少し話しておくべきでした。
でも、それも含めて「やってみないとわからなかった」ことで、失敗とは少し違います。関係性は、動きながら調整していくものなのかもしれません。最近は、「こういう話をしたいときに連絡します」「こういう話なら私も乗れます」と言葉にするようにしています。それだけで、ずいぶん楽になりました。
今は、「ひとりで作る、でも孤立しない」というのが、私の個人開発のスタンスになっています。
コアの決断は自分でする。スケジュールは自分のリズムに合わせる。でも、進んでいる話を聞いてもらう人、壁打ちできる人は、意識的に持つようにしています。
あのメッセージが来なかったら、こんなことを考えるきっかけもなかったと思います。「一緒にやりませんか」というひと言は、コラボの提案である以上に、「あなたはなぜひとりで作っているんですか?」という問いかけでもありました。その問いに正直に向き合えた時間が、今の自分には必要だったような気がしています。
個人開発をしていると、ふとした瞬間に「こんな作り方でいいのかな」と迷うことがあります。誰かと組んだほうが早いんじゃないか、もっと繋がりを作るべきなんじゃないか——。
でも、自分のやり方がなぜ自分に合っているのかを言語化できると、その迷いはずいぶん小さくなります。答えは人それぞれでいいし、時間とともに変わっていっていい。ただ、「なぜ?」と問い返せること自体が、長く作り続けるための芯になるんじゃないかと、今は思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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