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アプリのリリースノートを書くのが、ずっと苦手でした。 いつも同じ文章になるんです。「軽微なバグを修正しました」「パフォーマンスを改善しました」「安定性を向上させました」。これを何度繰り返したか、もう覚えていません。書くたびに「また同じことしか書けなかった」と少し後ろめたくなりなが…
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Lily さんへの応援になります
アプリのリリースノートを書くのが、ずっと苦手でした。 いつも同じ文章になるんです。「軽微なバグを修正しました」「パフォーマンスを改善しました」「安定性を向上させました」。これを何度繰り返したか、もう覚えていません。書くたびに「また同じことしか書けなかった」と少し後ろめたくなりながら、でも他に何を書けばいいのかもわからなくて、そのまま公開ボタンを押し続けてきました。 今日書くのは、その繰り返しのなかで、ある夜だけ少し違うことをしたら、思いがけないことが起きた話です。大きな成功談ではありません。ほんの小さな出来事です。でも、個人開発をしているみなさんにとって、「あ、それわかる」と感じてもらえる部分が一つくらいあるかもしれないと思って、書いてみることにしました。
個人開発でアプリを作っていると、リリースノートというものが存在します。アプリストアに新しいバージョンを出すとき、「今回はどんな変更をしましたか」と書かせる、あの欄です。
最初のうちは丁寧に書こうとしていました。修正した箇所を一つひとつ書き出して、なるべく具体的に、なるべくわかりやすく。でも何バージョンも重ねるうちに、だんだんと「ここを読む人、ほとんどいないよな」という感覚が染み込んでいきました。
アプリのレビュー欄には感想が来ることもあります。バグの報告メールが届くこともあります。でも、リリースノートについて何かを言われたことは、一度もなかった。読まれているのか、読まれていないのか、まったくわからない。そのうちに、「とりあえず書いておく欄」という位置づけになってしまいました。
ある日、過去のバージョン履歴を見返す機会があって、気づいてしまいました。3バージョン連続で、ほぼ同じ文章が並んでいたんです。
「バグを修正しました。パフォーマンスを改善しました。ご利用ありがとうございます。」
コピーしたわけじゃないのに、毎回たどり着く文章が同じ。それを見て、なんとも言えない気持ちになりました。悪いことをしたわけではないんです。でも、どこかに「これ、誰かに届いているんだろうか」という、小さくて鈍い疑問が引っかかりました。
バージョン1.7.2のリリースを準備していた夜のことを、なんとなく覚えています。
その日は少し疲れていました。仕事と並行しながら個人開発を続けていて、このアップデートも週末を使ってコツコツ直したものでした。大きな機能追加じゃなくて、地味な修正ばかり。「こういう地味な回を積み重ねるのが開発だよな」と思いながら、リリースノートの欄に向かいました。
いつものように「バグを修正し——」と書きかけて、ふと手が止まりました。
なんでこんな文章を書いているんだろう、と。
誰かが読むかどうかわからないけれど、少なくとも書いている自分には読まれている。それなのに、自分が書きたいとも思えない文章を、なぜ毎回打っているんだろう。
その夜、少しだけ違う文章を書きました。長くはありません。こんな感じでした。
「今回は目に見えない修正ばかりで、地味なアップデートです。でも、地味な修正が積み重なって、アプリが少しずつ安定していくのだと思っています。いつも使ってくれている方、ありがとうございます。ひっそりとですが、ちゃんと直し続けています。」
書いた後、「恥ずかしいな」と思いました。自意識過剰かもしれない。感傷的すぎるかもしれない。でも直す気にもなれなくて、そのまま公開ボタンを押しました。
数日後、アプリの問い合わせ用メールアドレスにメッセージが届きました。
見慣れない件名でした。リリースノートについてのメールなんて、来たことがなかったので。
短いメッセージでした。「リリースノートを読みました。地味でも直し続けてくれているというのが、なんか嬉しかったです。ありがとうございます」という内容でした。
読んだとき、正直、じーんとしました。
ユーザーの方が実在している、という当たり前のことを、改めて実感した瞬間でした。アプリのダッシュボードには数字があります。ダウンロード数、アクティブユーザー数、セッション数。でも数字を見ていると、だんだんと「人」の感覚が薄れていきます。数字の向こうに、こうしてメッセージを送ってくれる人がいる。当たり前なんですけど、それが実感として届いたのはそのメールが初めてでした。
そのメールを受け取ったとき、自分の中で「返信が来た」という言葉がぽっと浮かびました。
リリースノートは告知のはずです。でも、あの夜書いたものは、少し手紙に近かったのかもしれません。「こういう気持ちで作っています」という、送り状みたいなもの。だから届いたのかな、と思いました。義務として書いた文章には返信は来ないけれど、本音を書いたものには、たまに返事が来る。
それから、リリースノートの書き方を少し変えました。「変えた」といっても大きなことではありません。
毎回、一文だけ「人間が書いている感じのする文」を入れるようにしました。バグ修正の説明に加えて、「今回のアップデートで、ずっと気になっていた部分をようやく直せました」とか、「地味ですが、毎日使う方には気づいてもらえるかもしれない改善です」とか。そういう一文です。
長くする必要はありませんでした。一文で十分でした。
正直に言うと、この変化でダウンロード数が増えたとか、レビューが増えたとか、そういう数値的な変化は特にありませんでした。
でも、続きました。書くのが少し楽しくなったんです。
以前は「早く終わらせたい欄」だったリリースノートが、「アプリから届く手紙」という感じになりました。誰が読むかはわからないけれど、今回のアップデートで自分が何を思っていたかを残しておける場所。書く側の気持ちが変わると、義務感が少し薄れました。
個人開発をしていると、しばしば「自分だけが作っている」という孤独感があります。
チームで開発しているわけじゃないから、誰かに「これどう思う?」と気軽に聞くことも少ない。コードを書いて、テストして、直して、リリースして、また書いて。そのサイクルを一人で回していると、ときどき「これ、誰かの役に立っているんだろうか」という気持ちになります。
リリースノートに本音を書くようにしてから、その孤独感が少し変わりました。数字には見えないけれど、「誰かがここを読んでいるかもしれない」という意識が生まれたことで、アプリを届けるという感覚が少し戻ってきたような気がします。
ものを作る人間として、ついつい「正確に説明しなければ」と思ってしまいます。修正内容を正確に、変更点を漏れなく。
でも、普通にアプリを使っている人にとっては、「何が直ったか」よりも「作った人がどんな気持ちで直したか」のほうが、受け取りやすいことがある。心情のほうが届く、というのは、書くまで気づかなかったことでした。説明しようとしていたのに、伝わったのは感情のほうだった。そういうことって、案外あるんだと思います。
この話に、大きなオチはありません。
あのメールが来て、少し変わって、続いています。それだけの話です。
でも、個人開発をしていると「これを続ける理由は何だろう」と問い直す瞬間が来ます。ユーザーが増えないとき、バグが直らないとき、仕事が忙しくて触れない週が続くとき。そういうときに、「あのメールが来たな」ということを思い出します。
伝えようとしたものが、誰かに届いたことがある。それはちゃんと、本当にあった出来事です。
リリースノートという、ほとんど誰も気にしない欄に、本音を一文だけ書き加えるだけでいい。そういう小さな変化が、自分と使い手の間に細い糸を張るかもしれない。それだけで、次のバージョンを出す気持ちが少し軽くなることがある。
みなさんのアプリにも、読んでいる人がいます。きっと。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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