この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります

いつもスマートフォンの中に、誰かが丁寧に作ったものがある、とLilyは感じています。毎朝起きてすぐに開くアプリ、習慣になっている操作の流れ、気に入っているデザイン——そういった「好き」が積み重なって、知らないうちに日常の一部になっているものがあります。Lilyにも、そんなアプリが…
この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります
いつもスマートフォンの中に、誰かが丁寧に作ったものがある、とLilyは感じています。毎朝起きてすぐに開くアプリ、習慣になっている操作の流れ、気に入っているデザイン——そういった「好き」が積み重なって、知らないうちに日常の一部になっているものがあります。Lilyにも、そんなアプリがひとつありました。 半年ほどずっと使い続けていたそのアプリは、機能の数は多くないのに、なぜか手放せませんでした。余分なものがなく、動作が速く、使うたびに「ちゃんと自分のことを考えて作られたんだな」と思える佇まいのアプリでした。開発元が大きな会社であるとも、チームが何十人もいるとも、とくに考えていませんでした。ただ気に入って使っていただけです。 ある日、ふとした好奇心でアプリのクレジットページを開いてみました。開発者の名前が一名だけ書いてあって、ウェブサイトのリンクがついていました。そこをたどってみると、個人のポートフォリオページが現れて、「このアプリはひとりで作りました」とあっさり書いてある。それを読んだとき、Lilyは少しの間、画面を眺めたまま動けなかったんです。
そのアプリを最初に使い始めたのは、タスク管理をもう少しうまくやりたいと思ったからでした。いくつか試して、このアプリだけが手に馴染んだ。理由はうまく言語化できなかったのですが、「なんか好き」という感覚だけで使い続けていました。
デザインが洗練されているとか、操作が直感的だとか、そういうことは後から気づきました。使っているあいだは、そういう言葉で分析していなくて、ただ「開くたびに気持ちがいい」という感覚があっただけです。半年間、開発者のことを一度も意識しないまま使っていました。
クレジットを見て、名前がひとつだとわかったとき、最初は「あ、そうなんだ」という軽い反応でした。でも、それがじわじわと染みてきて、数分後には「待って、本当に?」という気持ちになっていました。
自分が毎朝使っているもの。使い心地がいいと感じているもの。細部まで整えられていると思っているもの。それが、ひとりの人間の手から出てきていた。
その人はどこかのカフェで作業していたかもしれないし、深夜に自室のデスクで作っていたかもしれない。Lilyと同じように個人でものを作ろうとしている、そういう人だったんです。
大きな会社のチームが作ったと思っていたものが、個人の作業から生まれていた——この発見は、Lilyの「すごい」に対する認識を少し変えました。
それまで、質の高いアプリや完成されたサービスは「自分には届かない場所にあるもの」という感じがありました。優れたものは大きなリソースと大きなチームがあって初めて生まれる、という漠然とした思い込みがあったんです。でもそれが、ひとりの人間が日々の作業の積み重ねで作ったものだとわかると、距離感が変わります。
「自分にもできるかもしれない」とは思いませんでした。正確には——「できるかどうかわからないけれど、同じ土俵に立てているかもしれない」という感覚です。それは根拠のある自信ではなくて、静かな、しかし確かな何かでした。大げさに言えば、視界が少し開いたような気がしました。
個人でアプリを作り始めて、最初にリリースしたものは、ほぼ誰にも使われませんでした。ダウンロード数を見るのが怖くて、しばらくアナリティクスを開けなかった。やっと開いたら、数字は予想より少なくて、それでも「まあそうか」と思いながら閉じました。
何が悪かったのかは、ある程度わかっていました。機能を詰め込みすぎて、何をするアプリなのか一言で言えなくなっていた。「あれもできる、これもできる」にしようとして、「これをするためのアプリです」という芯がなくなっていたんです。
でも、手は止まりませんでした。なぜかというと、作ること自体が楽しかったから——という綺麗な理由だけではなくて、「もう少しやってみないとわからない」という気持ちの方が強かったと思います。
最初の失敗は終わりじゃなくて、情報でした。「こういう作り方ではうまくいかない」という、自分だけが得られた学びです。チームで作っていたら、そのフィードバックは何人かで共有されて薄まるかもしれない。ひとりで作っているから、失敗が直接自分に返ってきて、次に活かせる。今はそう思っています。
例の開発者のポートフォリオを読んでいたら、アプリの開発メモのようなブログ記事がいくつかありました。その中に「機能を追加するたびに、使いやすさが少し死ぬ」という一節があって、Lilyはそれをメモに保存しました。
自分の最初の失敗と、まったく同じことを言っていた。追加することより、削ることの方が難しい。それをちゃんとやり続けているから、あのアプリは半年使っても疲れなかったんだと気づきました。削ることは怠慢ではなくて、むしろ誠実さなんだと思います。
もうひとつ印象に残ったのは、「完璧なものをリリースしようとすると、何もリリースできなくなる」という話でした。最初のバージョンは、使えるけど荒削りなものだった、と書いてありました。でも、使ってもらいながら直し続けたと。
これは頭でわかっていても、実践が難しいです。Lilyも「まだ足りない」「もう少し直してから」と言い続けて、リリースが遅れた経験があります。でも、実際に使ってもらわないと、何が足りないかがわからない。外に出して初めて見えてくることがある。頭の中の「完成」は、使ってもらうことで初めて本物の形になっていく気がします。
あの開発者の記事を読んだ週に、Lilyはひとつだけ決めたことがあります。作りかけで止まっていたプロトタイプを、身近な数人に使ってもらうこと。完成していなくていい、見た目が整っていなくていい、とにかく誰かの手に渡してみる、ということです。
ちょっと勇気がいりました。「これはまだ見せられない」という感覚があったから。でも、その感覚はほぼ全部、自意識でした。実際に渡してみると、フィードバックは想定より具体的で、「ここが使いにくい」「こういう機能があったら嬉しい」という言葉をいくつかもらいました。
その会話の中で、「こういうもの、あったらいいなと思ってたんだよね」と言ってくれた人がいました。ちょっとだけ、報われた気持ちになりました。数字ではないけれど、確かなものでした。あの小さな一歩がなければ、その言葉は聞けなかったと思うと、出してよかったと今でも感じています。
個人でものを作っていると、「自分はひとりだ」という感覚が強くなることがあります。誰かに相談できない、承認されない、成果が見えない——そういう孤独な局面が、定期的に来ます。Lilyにもあります。今もあります。
でも、Lilyが気づいたのは、「ひとりで作っている」という状態は、孤立しているのとは違う、ということです。あの開発者もひとりで作っていた。Lilyもひとりで作っている。そしてこれを読んでいるあなたも、きっとひとりで何かを作っている。
ひとりで作っているけれど、同じ景色を見ている人は、たくさんいます。
毎日誰かが使っているアプリの中に、ひとりの手から生まれたものがある。それを知ってから、Lilyは少しだけ、自分のやっていることへの見方が変わりました。大げさな転換ではなくて、「まあ、続けてみよう」という、ごく静かな気持ちです。
あなたが今作っているものが、半年後に誰かの毎日になっているかもしれない。その人はきっと、あなたのことを意識しないまま使う。それでいいと思います。使われることが、ちゃんと届いたということだから。
それで十分だと思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
🎁 最後まで読んでくれたあなたへ、無料の特典があります
LINEで「自動化」と送って受け取る(実装テンプレ7本)
Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
🖥️ 制作物・記事 → bokuwalily.com
🐙 OSS → github.com/bokuwalily
🌍 最新情報・お問い合わせ → X @bokuwalily