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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

あれは、アプリを触らなくなって2ヶ月が経ったころのことです。 スマートフォンの通知を開くと、見知らぬアカウントからメッセージが届いていました。「最近更新がないのが少し気になっていたのですが、大丈夫ですか?」。短い一文でした。でも、その言葉を画面で見た瞬間、胸にじわっと何かが広がり…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
あれは、アプリを触らなくなって2ヶ月が経ったころのことです。 スマートフォンの通知を開くと、見知らぬアカウントからメッセージが届いていました。「最近更新がないのが少し気になっていたのですが、大丈夫ですか?」。短い一文でした。でも、その言葉を画面で見た瞬間、胸にじわっと何かが広がりました。うまく言えないのですが、泣きそうになったのと、恥ずかしくなったのとが、同時に来たような感じです。 このエッセイは、その体験について書いたものです。個人開発を続けていくうえでの、「また作り続ける理由」という話をしようと思います。技術の話ではありません。ただ、あの日受け取ったひと言が、今も自分の中で生き続けているので、それを誰かに話したくて書いています。
更新が止まっていたのは、Lilyが個人で開発していた小さなツールです。機能は地味で、使ってくれる人も多くはありませんでした。でも、最初にリリースしたとき、「便利!」というコメントをもらえたことが嬉しくて、少しずつ改善を続けていました。
止まったのは、あるレビューがきっかけでした。
「UIが古い」「こういう機能がなければ使えない」「ほかのアプリのほうが良い」。悪意があるわけではない、率直なフィードバックでした。でも、当時の自分にはきつかったです。一人で作っていると、批判のすべてが自分自身への批判に聞こえてしまいます。「そうだよな、大したものじゃないな」と、自分でも思い始めていました。
ダッシュボードを開くのがおっくうになり、コードエディタを立ち上げなくなり、気づけば2ヶ月が経っていました。「放置」という言葉が正確ですが、当時は「整理中」「少し忙しくて」と言い訳していた気がします。
止まっていたのは、アプリだけではありませんでした。ブログも書けなくなっていました。SNSで他の個人開発者の投稿を見るたびに、「すごいな、自分とは違うな」という気持ちが大きくなっていきました。
作ることが怖くなっている。そう気づいたのは、あのメッセージを受け取ってからです。
通知はSNSのDMでした。送ってくださったのは、フォロワーでもなく、以前にやり取りしたこともない方でした。
「最近更新がないのが少し気になっていたのですが、大丈夫ですか?」
最初は「なんだろう」と思いながら読みました。スパムじゃないかと思って、プロフィールを確認しました。普通の個人開発者の方でした。
2回、3回と読み返すうちに、胸に何かが詰まってくる感覚がありました。この人は、自分のアプリを使ってくれていた。それだけでなく、更新がないことに気づいてくれていた。そして心配してくれた。
「ありがとうございます」と返信するまでに30分かかりました。文字を打っては消して、打っては消して。うまく言葉にならなかったからです。
結局、「ありがとうございます。少し落ち込んでいましたが、またゆっくり再開しようと思います」と送りました。たったそれだけを言うのに、とても勇気がいりました。
相手からは「無理しないでください。でも、あのアプリ好きでした」という返信が来ました。
その「でも」の一言が、なぜかすごく刺さりました。
個人開発をしていると、孤独を感じることがあります。チームがいない。誰かに進捗を報告する義務もない。「作っています」と言っても、使ってもらえているかどうかもわからない日が続きます。
だから、あのメッセージを受け取ったとき、初めてリアルに実感しました。「見てくれている人がいる」ということを。
ダッシュボードで「アクティブユーザー数」を確認しているとき、それは数字でした。でも、あのDMを送ってくれた人は、数字ではありませんでした。時間を使って、わざわざ連絡をくれた、一人の人間でした。
そのことに気づいたとき、何かが変わりました。大げさに言えば、「自分が作ったものは誰かの生活に届いていたんだ」という感覚を、初めてちゃんと受け取れた気がしました。
「誰かに認められたい」という気持ちは、作り手なら誰でも持っています。Lilyもそれは正直あります。でも、あのDMが心に刺さったのは、承認されたからではありませんでした。
「心配してもらえた」からです。作品ではなく、作っている人間を気にかけてもらえた。それが、あんなにも染みたのだと思います。
メッセージをもらった翌週、久しぶりにコードエディタを開きました。
大きなことはしませんでした。ずっと気になっていた小さなバグをひとつ直して、リリースノートに「少し直しました。また少しずつ更新していきます」とだけ書いて、更新しました。完璧なアップデートを準備してから再開しようと2ヶ月ずっと思い続けていたのに、実際にやったのはそれだけでした。
更新後、また一件メッセージが来ました。「戻ってきましたね」と。
それだけで十分でした。大きな機能は何もない、たったひとつのバグ修正でも、「戻ってきた」と見てくれている人がいる。その事実が、次の週も開き続ける理由になりました。
止まっていたときに「完璧なアップデートをしてから再開しよう」と思っていたことが、実は一番の足かせだったと気づきました。小さく動くことを自分に許すだけで、また始まりました。
後から思えば、あの2ヶ月間ずっと、「準備が整ったら動き出そう」と考えていました。でも、整ってから動き始めたことは一度もありませんでした。動き始めてから、少しずつ整っていくものだったんだと今はわかります。これは個人開発に限った話ではないかもしれませんが、一人でやっていると特に、この「整ってから」の罠にはまりやすいと感じます。
一人で作るのは、しんどいです。
褒められないし、誰かと比べてしまうし、止まっても誰にも怒られないから、止まりやすい。再開するきっかけも、自分で作るしかない。
でも、あの経験から一番思うのは、「止まること自体は失敗じゃない」ということです。
止まりながらも、誰かが使い続けてくれることがあります。そして、心配してくれる人がいることもあります。止まっている間に気づくことがあります。
完全にやめてしまわなければ、再開できます。アプリを消してしまわなければ、誰かがまだ使い続けてくれていることがあります。それは、Lilyが2ヶ月間止まっていた間も、変わらなかったことでした。
今のLilyの作り方が変わったとしたら、「誰かひとりのために作る」という意識が少し強くなったことです。数字より前に、あのDMを送ってくれた人の顔を思い浮かべます。その人が少し便利になるかどうかを、まず考えます。
それだけで、作るのが少し軽くなりました。
このエッセイを読んでいる方の中に、もし今アプリやサービスの更新が止まっている方がいたら、一度だけ振り返ってほしいのです。届いているフィードバックの中に、批判じゃないものも、ちゃんとありませんか? 数字の奥に、誰か一人の顔を想像できますか?
そして、もし今も何かを動かし続けているなら、あなたのユーザーの誰かが、案外ちゃんと見ていてくれているかもしれません。
Lilyは、あのひと言が今も好きです。「大丈夫ですか?」
技術的に正しい質問ではないし、バグレポートでもない。でも、あれが一番、また作り続けたいと思わせてくれた言葉でした。
同じく一人で何かを作り続けている方に、今日もありがとうと言いたいです。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています