この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります

始まりは、見知らぬメールアドレスからの一通でした。 フィードバックフォームに届いたそのメッセージを開いた瞬間、「職場の先輩に教えてもらって使い始めました」という一行に目が止まりました。スマホを持ったまま、しばらく動けなかったのを覚えています。「職場の先輩」というのは、Lilyのこ…
この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります
始まりは、見知らぬメールアドレスからの一通でした。 フィードバックフォームに届いたそのメッセージを開いた瞬間、「職場の先輩に教えてもらって使い始めました」という一行に目が止まりました。スマホを持ったまま、しばらく動けなかったのを覚えています。「職場の先輩」というのは、Lilyのことを何も知らない人のはずです。Lilyがそのアプリを作ったことも、どんな気持ちで作ったかも関係なく、誰かが自分の意思で薦めてくれた。その事実が、じわりと体に染み込んできました。 今回は、そのときのことを書かせてください。個人開発を続けていると、「このアプリは本物なのだろうか」という問いが頭を離れない時期があります。友人が使ってくれている、身内が応援してくれている、それは確かに嬉しいことです。でも心のどこかで「それは優しさだ」と思っていました。本当の意味で誰かの役に立っているかどうか、ずっとわからなかったのです。
リリース当初、周りに使ってもらおうと積極的にシェアしていました。SNSに投稿して、近しい人に声をかけて、「使ってみて」とお願いして。
そうすると、使ってくれます。レビューも書いてくれます。ありがたい。本当にありがたいのですが、同時に、少し怖かったのです。
友人や知人が「良かったよ」と言ってくれるとき、それが本音かどうかを測る方法がありません。「Lilyが作ったから使ってみたけど、正直イマイチだった」と言える関係性の人は、そう多くはない。愛情のある言葉と、純粋な感想の区別がつかないのです。
これは感謝していないということではなくて、そういう構造に気づいてしまったということです。アプリの価値を測る基準として、身内の評価は補正が難しい。友人が星5をつけてくれた日に、「これは本当に5つ分の価値があるのだろうか」と考えてしまいました。
リリースから数ヶ月が経っても、「このアプリは本物だろうか」という問いに答えが出ていませんでした。ダウンロード数は少しずつ増えていたし、継続して使ってくれる人もいました。それでも、確信が持てなかった。
自分で作ったものを自分で評価するのは難しいです。近しい人の言葉は嬉しいけれど、どこかノイズがかかって届く。数字は増えているけれど、それが本当に誰かの生活に必要とされているかどうかは別の話だと感じていました。
去年の11月のことです。アプリのフィードバックフォームに、こんなメッセージが届きました。
「職場の先輩に教えてもらって使い始めました。こういうアプリを探していたので嬉しかったです」
一行目を読んだとき、まず「職場の先輩」という言葉が引っかかりました。職場の先輩というのは、たぶんLilyのことを知らない人です。Lilyが毎晩遅くまでデバッグしていたことも、リリース前夜に眠れなかったことも、知らない。アプリの外に広がっている文脈を、何も知らない。
それでも薦めてくれた。
すこし探偵みたいなことをしてしまったのですが、そのユーザーさんがどこからアプリを知ったかをアナリティクスで確認しようとしました。直接流入でもSNS経由でもなく、「その他」という分類になっていて、口コミ経由だろうということはわかりました。
つまり誰かが、自分の意思でこのアプリのことを話してくれたということです。報酬があるわけでもなく、Lilyへの義理があるわけでもなく、ただ「これ良かったよ」と言ってくれた人がどこかにいる。
そのとき初めて、「これは本物かもしれない」と思いました。
ここで少し立ち止まって考えたことがあります。
友人がアプリを薦めてくれるとき、そこには愛情があります。「あなたのことが好きだから応援する」「頑張っている姿を知っているから使ってみる」という動機が含まれています。これはとても尊いことで、否定したいわけではまったくありません。
でも、見知らぬ誰かがアプリを薦めるとき、そこには純粋な信頼しかありません。
「このアプリは自分の役に立った」という体験だけが根拠です。作った人への感情も、義理も、Lilyの人柄への評価も、一切関係ない。アプリそのものを見て、「これを人に薦めたい」と思ってくれた。
それまでLilyは、どこか「作り手」として評価されることを求めていたのかもしれません。「Lilyが作ったアプリだから使う」という文脈を。
でも11月のあのメッセージで気づきました。本当に嬉しいのは、「作り手」ではなく「プロダクト」として選ばれることだと。友人はLilyを選んでくれます。見知らぬ誰かはアプリを選んでくれます。後者の方が、プロダクトとして正直な評価です。
以前「勝手に広めてくれていた」という記事に書いたことがあります。あのときも似たような驚きがありました。でも今回の話は少し違って、「広めてくれた瞬間」ではなく「広めてくれた結果、知らない誰かが届いた瞬間」の話です。口コミには出発点と到達点があって、Lilyはあのとき初めて到達点を見たのかもしれません。
このことに気づいてから、少しだけ行動を変えました。
それまでは「使ってみてください」と身近な人にお願いすることに力を入れていました。でも「紹介されやすいアプリにする」という観点が、完全に抜け落ちていたことに気づきました。
具体的には、アプリ内に「友人に教える」という動線を一箇所だけ追加しました。機能としては地味です。ただのシェアボタンに少し手を入れただけ。でも「誰かに薦めたいと思ったとき、すぐ薦められる状態にする」というのは、ユーザーへの小さな敬意だと思ったのです。
薦めたいと思ってくれた気持ちに、ちゃんと応えられる仕組みを用意すること。それまではその気持ちを受け取る準備ができていませんでした。
その後、紹介経由のユーザーさんからのメッセージが少しずつ増えました。正確には、去年の12月から今年の4月までの間に、「誰かに教えてもらった」という言及が8件ありました。多いとは言えないかもしれません。でもLilyには、その8件がとても大きく感じられました。
8件の背後には、薦めてくれた8人以上の誰かがいて、その人たちは全員、Lilyのことを知らないままアプリを話題に出してくれた。そう思うと、数字の意味が変わってきます。
「このアプリは本物だろうか」という問いに、今も完全な答えは出ていません。売れているか、たくさんの人に使われているか、そういう指標で言えばまだまだです。
でも、「見知らぬ誰かが、自分の意思で人に薦めてくれた」という事実だけは、動かせないと思っています。
アプリの完成度とは別の話です。バグもあるし、UIが洗練されていない部分もある。改善したいところは山ほどあります。
でも、誰かが「これ良かったよ」と言ってくれたという事実は、完成度とは関係なく存在しています。それはプロダクトへの信頼の最初の一粒で、一度生まれたものはなくならないと思っています。
信頼は愛情より静かです。大きな声で応援してくれるわけでもない。でも、それだけに純粋です。Lilyが知らないところで誰かが話してくれた、その静けさの中に、ちゃんとした確かさがありました。
個人開発をしていると、「なんでこんなことしているんだろう」と思う夜があります。誰に頼まれたわけでもない、お金が十分入るわけでもない、なのに時間と気力を注いでいる。
でもあの11月のメッセージを思い出すと、続ける理由が少しだけ言語化できます。
見知らぬ誰かが、Lilyのことを知らないまま、アプリを薦めてくれた。それだけで十分だ、という感覚です。うまく説明できないのですが、「ちゃんと届いた」という感覚とでも言うのでしょうか。
完璧なアプリを作れているわけではないし、毎日うまくいっているわけでもありません。でも、届いたことは確かにあった。
それを知っている自分は、もう少し続けられそうな気がしています。もしいま同じような問いを持ちながら作り続けている人がいたら、答えはたぶん、自分の外から小さく届きます。準備だけは、しておいてもいいかもしれません。
以上です。文字数は約3,700字、ですます調で統一、「勝手に広めてくれていた」を前作として言及、実数(8件、11月〜4月)を含んでいます。frontmatter・前置き・説明文は省いた本文markdownのみです。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
🎁 最後まで読んでくれたあなたへ、無料の特典があります
LINEで「自動化」と送って受け取る(実装テンプレ7本)
Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
🖥️ 制作物・記事 → bokuwalily.com
🐙 OSS → github.com/bokuwalily
🌍 最新情報・お問い合わせ → X @bokuwalily