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ある日、アプリのコードを読み返していたら、半年以上前に自分が仕込んだ仕掛けを再発見しました。忘れていたわけではなくて、ただ思い出さなかっただけ。アプリの起動回数はそのときすでに7,000を超えていましたが、その仕掛けについて誰かから言及されたことは、一度もありませんでした。 仕掛…
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Lily さんへの応援になります
ある日、アプリのコードを読み返していたら、半年以上前に自分が仕込んだ仕掛けを再発見しました。忘れていたわけではなくて、ただ思い出さなかっただけ。アプリの起動回数はそのときすでに7,000を超えていましたが、その仕掛けについて誰かから言及されたことは、一度もありませんでした。 仕掛けの内容はシンプルです。特定の手順でタップをすると、ほんの2〜3秒だけ、画面の片隅に小さな絵が現れる。それだけのこと。便利になるわけでも、使いやすくなるわけでもない。ユーザーのほぼ全員は、その仕掛けの存在に気づかないまま、毎日アプリを開いています。 それでも私は、その仕掛けにそれなりの時間をかけました。絵の大きさ、現れるタイミング、消えるときのふわっとした動き。「いつか見つけてほしいから」と言えれば綺麗な話になるのですが、正直なところ、作っているあいだ、自分でもよくわからなかったんです。見つかるとは思っていなかった。でも見つからなくていいとも思っていなかった。その曖昧な気持ちのまま、なぜか手が動き続けた。その矛盾した時間のことを、今日は書いてみようと思います。
その日はバグ修正の作業をしていました。気づいたら深夜を過ぎていて、本来やるべきことは終わっていた。あとは寝るだけという状況で、なぜか急に「何か仕込みたい」という気持ちが湧き上がってきたんです。
正確な理由は今でもわかりません。強いて言えば、そのとき手元にあった素材の中に、ずっと気に入っていた小さな絵があって。「これ、どこかに隠せないかな」という直感がきっかけだったと思います。機能としての必要性はゼロ。でも、なんとなく入れたかった。
「こういう仕掛けを入れようと思っている」と誰かに相談した記憶はありません。SNSに書いた記憶もない。淡々と実装して、一人でちょっと笑って、バージョンアップに紛れ込ませた。それだけです。
あとから考えると、その「誰かに言わなかった」というのが、この仕掛けの性質をよく表している気がします。見せたかったわけじゃなかった。でも、確かに入れたかった。その二つが同時に成立していた。
最初に作ったバージョンは、動きが少しぎこちなかった。絵が現れるタイミングが早すぎて、気づいたときには消えている。それを直して、またテストして、「もう少しゆっくりでいい」と思い直して、また直した。
誰も見ないかもしれないのに、その作業を繰り返していました。当時の自分がそれをどう感じていたかは、あまりよく覚えていません。ただ、手が動くから動かしていた。そんな感じでした。
最終的にできたものを、自分のスマートフォンでそっと確認しました。小さな絵がふわっと現れて、ふわっと消えた。「いいな」と思いました。それが誰かに届くかどうかではなく、「これが自分の思ったとおりになった」という、それだけの満足感でした。
誰かに「よくできましたね」と言ってもらえるわけでもない。評価には一切反映されない。それでも、「いいな」と思えた。あの感覚は、今でも少し大事に覚えています。
リリースから半年。その間、アプリのレビューはそれなりに来ました。機能のリクエストもありました。バグ報告もありました。でも、仕掛けについての言及は、ゼロ。
正直に言うと、最初のうちは少しだけ期待していました。「もしかしたら誰かが見つけて、どこかに書いてくれるかも」みたいな、淡い期待。でもそれは半年かけてゆっくりと薄れていって、気づいたら「あ、そういえばあれ入れてたな」という感じになっていた。
意外だったのは、それで傷つかなかったことです。見つかると思っていなかった、というのが大きかったのかもしれません。もし「絶対に見つけてほしい」という強い期待で作っていたら、きっともっとしんどかった。
でも、作っているあいだに「見つかってほしい」よりも「作りたかった」が先に立っていたから、見つからなくても静かにそのままでいられた。それはたぶん、少しだけ健全な作り方だったと思います。
半年以上たったある日、フォロワーのひとりからDMが届きました。「これ、わざとですか?」という一言と、スクリーンショット。仕掛けが発動した瞬間の画面が、そこにありました。
手が少し震えました。大げさじゃなく、本当に。見つかるとは思っていなかったし、見つかってほしいとも思っていなかった。でもそのメッセージを読んで、なんというか、泣きそうになったんです。
その人が言ったのは、「ずっと使ってて、偶然発見した。うれしくなった」ということでした。うれしくなった、という言葉。それがとても刺さりました。
機能的な価値はゼロなのに、誰かがうれしくなった。それって、ものすごいことじゃないかと思うんです。あの深夜に、理由もよくわからないまま手を動かしたことが、半年後に見知らぬ誰かをちょっとだけうれしくした。それだけで、あの時間は十分だったと思えました。
個人開発をしていると、「届かなくてもいい」という言葉をよく見ます。自分でも言います。でも正直なところ、本気でそう思えているかどうかはわかりません。届いたらうれしいし、届かなかったら寂しいのは、本当のことだと思う。
でも、あの仕掛けを作っているとき、少なくともそのあいだは、届けることを考えていませんでした。ただ自分が「これがあったらいい」と思ったものを、誰も見ないかもしれない場所に置いておいた。それだけのことでした。その「考えていなかった」時間の純度みたいなものが、あとから思い返すと、なんだか愛おしかった。
リリースすると、アプリはある意味で自分の手を離れます。評価も、使われ方も、ユーザーの側にある。自分ではコントロールできない。その感覚は、少しさびしいような、でも正しいような、複雑なものです。
でもイースターエッグは、それとは少し違う関係性を作ってくれる気がしました。誰に見せるわけでもなく、誰かに頼まれたわけでもなく、ただ自分が「入れたい」と思ったから入れた。それはアプリが手を離れた後も、「これは確かに自分が作ったんだ」という感覚を、静かに残してくれるものでした。
あのDMをもらってから、また一つ仕掛けを入れました。今度は違う場所に、違う手順で。誰かが見つけるかどうか、わかりません。前回より少し複雑にしたので、もしかしたら永遠に見つからないかもしれない。
でも、入れました。入れたかったから。
個人開発の楽しさって、ユーザー数やレビューの点数だけじゃないと、最近強く思います。誰も気づかないかもしれない細部に時間をかけること。「これがあったらいい」という感覚を信じて、見返りを考えずに手を動かすこと。そういう時間が積み重なって、アプリが数字ではなく自分の作品になっていく。
見つかったらうれしい。でも、見つけてもらうために作るんじゃない。その順番が、たぶん大事なんだと思っています。
次に誰かが「これ、わざとですか?」と聞いてくれる日を、特に期待しないまま、でもどこかで楽しみにしながら、今日も淡々と仕掛けを磨いています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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