この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
更新通知を設定していたのに、いつの間にか確認するのをやめていたアプリがあります。リリースしてから1年ほど経ったころ、Lilはそのアプリのことをほとんど忘れていました。新しいアイデアが浮かんでは作り、また別のものに手をつけて——そんなことを繰り返しているうちに、過去に作ったものが「…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
更新通知を設定していたのに、いつの間にか確認するのをやめていたアプリがあります。リリースしてから1年ほど経ったころ、Lilはそのアプリのことをほとんど忘れていました。新しいアイデアが浮かんでは作り、また別のものに手をつけて——そんなことを繰り返しているうちに、過去に作ったものが「存在すること」すら意識から消えていったのだと思います。 それがある朝、ふと分析画面を開いたとき、思ってもみない数字が並んでいたんです。昨日も、今日も、誰かが使っていた。更新を止めてから8ヶ月以上が経つのに。 この文章は、その小さな発見が私に教えてくれたことについて書きます。作ることの意味を、少し違う角度から見つめ直した話です。
そのアプリは、自分が「あったらいいな」と思って作ったシンプルなツールでした。機能は少ない。デザインも凝っていない。コードも今見返すと恥ずかしいところが多い。でもリリースした日は、本当に嬉しかったことを覚えています。
最初の数週間は毎日分析画面を開いていました。インストール数が1増えるたびにドキドキして、レビューが付くたびに心臓が跳ね上がって。あの頃はアプリのことしか考えていなかったと思います。
ところが3ヶ月ほど経つと、熱量が少しずつ落ちていきました。理由はいくつかあります。
インストール数が伸び悩んでいた。改善したい部分はたくさんあるのに、どこから手をつければいいかわからなくなってきた。何より「次のアイデア」が頭の中でチラついて、今のアプリへの集中力が続かなくなっていきました。
更新しなくなったのは、突然ではありません。「今週は忙しいから」が「来週やろう」になって、やがて「そのうち」になって。気がついたら分析画面すら開かなくなっていました。まるでそのアプリが最初から存在しなかったかのように、日常から消えていったんです。
更新を止めると、不思議なことが起きます。そのアプリを思い出すたびに、罪悪感みたいなものがちらつくんです。
「あれ、ちゃんとやり切れなかったな」「続けられなかった」「リリースしたはいいけど結局放置してる」——そんな言葉が自動的に浮かんできて、自分の中で小さな「失敗」として処理されていきました。
誰かに言われたわけじゃない。でも心の棚の奥のほうに、そのアプリは「完成しなかったもの」として並べられていました。
8ヶ月後のことです。別のアプリの数字を確認しようと開発者コンソールに入ったとき、ふと「そういえばあのアプリどうなってるんだろう」と思って、久しぶりに画面を切り替えました。
正直、何も残っていないと思っていたんです。数字がゼロになっていても不思議じゃない、と。
でも違いました。
アクティブユーザーの欄に、ちゃんと数字があった。
多くはないです。数十人という規模。でも、確かにいた。昨日も、一昨日も、今週も、誰かがそのアプリを開いていました。
私が更新をやめた日から今日まで、私は一度もそのアプリのことを考えていなかった。でもその間ずっと、どこかの誰かの日常の中にあったんです。
しばらく、画面をぼーっと眺めていました。何とも言えない気持ちでした。嬉しいというより、静かに胸が熱くなるような感覚。「ちゃんとそこにいたんだね」って、アプリに言いたくなりました。
あの発見が、それまで自分が持っていた思い込みを少しほぐしてくれた気がします。
私はずっと「続けること」に価値があると思っていました。定期的に更新して、機能を増やして、ユーザーと向き合い続けること——それが「ちゃんと作っている」ということだと。
だから更新をやめたアプリは「途中で諦めたもの」になってしまっていたんです。
そのアプリは、私が手を離した後も、ちゃんと動いていた。
誰かの画面の中で起動して、何かを解決して、また閉じられて。その繰り返しが、私の知らないところで続いていた。
「作ったこと」は、すでに完結しているんだと、そのとき初めて気がつきました。
作り続けることと、作ったことは、別のことなんです。更新が止まっても、存在は消えない。誰かに届いたものは、届き続けることがある。それまで「途中で終わったもの」と思っていたものが、「ちゃんと終わったもの」に見えてきました。
個人で開発していると、「続けていないとダメ」という空気を感じることがあります。
毎週更新している人を見ると焦る。ユーザー数が増え続けていない自分を責める。インターネットにはたくさんの「成功している個人開発者」の話が流れていて、その文脈では「伸び続けること」や「続けること」がデフォルトの正解みたいに見える。
でも実際のところ、個人でアプリを作って、リリースして、誰かに使ってもらえるというのは、それだけでかなりすごいことだと思うんです。
アイデアを思いついて、形にして、世界のどこかに存在させる。
これ、当たり前じゃないんですよね。「作りたい」と思ったまま形にしない人の方が、圧倒的に多い。作りかけたまま諦める人も多い。
そこまでやり切って、誰かに届いた。そこには、それだけの意味がある。更新の頻度とは関係なく。
私はその事実を、あの朝まで見落としていました。
あの発見の後、私はそのアプリに久しぶりに触りました。
大規模な更新ではありません。ずっと気になっていた小さなバグを1つ直しただけ。30分もかからなかった。それをリリースして、また日常に戻りました。
義務感からではなかった。「使っている人がいるなら、せめてこれくらいは」という、ごく自然な気持ちから動いていました。
更新しなきゃ、続けなきゃ、という重さではなくて。
「いてくれてありがとう」みたいな気持ちで、小さなことをひとつした。それだけで、不思議と気持ちが軽くなったんです。
作ることへの構え方が、少し変わった気がしました。「続けなければ失敗」という呪いが、少し解けた感じ。
この話を、開発仲間の友人にしたら、「わかる」と言ってくれました。
彼女も同じような経験があるそうで、更新を止めたアプリについて「あれは失敗だったかな」と思っていたけど、ある日レビューに新しいコメントが付いていて驚いた、と。
個人開発者って、作ったものを自分で「なかったことにする」癖があるのかもしれません。
更新が止まると、心の中で消去してしまう。でも消えていないんです。どこかの誰かの端末の中に、ちゃんと残っている。
リリースしたアプリは、ある意味で作者の手を離れて、自分の命を生きています。
あなたが忘れていても、使っている人は忘れていない。あなたが諦めていても、その人の日常の中では現役で動いている。
それは少し、怖いことでもあるし、でもとても嬉しいことでもある。
更新が止まったアプリを持っている人に、この話を届けたかったんです。
「続けられなかった」と自分を責めているなら、一度分析画面を開いてみてください。数字があるかもしれない。小さくても、確かな数字が。
そしてもし誰もいなかったとしても、あなたは何かを作った。アイデアを形にして、世界に出した。その事実は変わらない。
作ることは、続けなければ意味がない、ということじゃない。作ったこと自体が、もうすでに何かを残しているんだと思います。
私はあの朝の発見以来、「更新をやめたアプリ」を失敗リストから外しました。棚の奥じゃなくて、ちゃんと完成したものとして、心の中に並べ直しました。
それだけで、次を作る気持ちが、少し軽くなりました。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています