この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

アプリの説明文を書き直すつもりで、App Store Connectを開いたのは、夜の11時すぎのことでした。理由はシンプルで、最近レビューに「何のアプリかよくわからなかった」というコメントがついたからです。それなら説明を整えよう、30分もあれば終わる、そう思っていました。 とこ…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
アプリの説明文を書き直すつもりで、App Store Connectを開いたのは、夜の11時すぎのことでした。理由はシンプルで、最近レビューに「何のアプリかよくわからなかった」というコメントがついたからです。それなら説明を整えよう、30分もあれば終わる、そう思っていました。 ところが、今の説明文を読み始めた瞬間、手が止まりました。書いてある言葉は確かに自分が書いたものです。でも、まるで別の人が書いたみたいに読める。機能の羅列、丁寧すぎる言い回し、「〇〇を実現します」という決意表明のような一文。読んでいて、なんだか息苦しくなりました。 このエッセイは、コピーライティングの話ではありません。説明文を書き直そうとしたら、いつの間にか自分が何者になったかに気づいた、という話です。作り手として少しずつ変わっていく自分を、説明文という鏡が映し出してくれた——そんな夜のことを書かせてください。
初めてアプリをリリースしたとき、説明文に費やしたエネルギーは、コードを書くより多かったかもしれません。何度も書き直して、友人に見せて、「もっと機能を説明したほうがいい」と言われて、また直して。結果できあがったのは、機能リストをそのまま文章にしたような説明文でした。
「〇〇ができます。△△にも対応しています。さらに□□機能を搭載しています」
今読むと笑えるのですが、当時は大真面目でした。怖かったんです、使ってみたら「思っていたのと違う」と言われることが。だからぜんぶ書こうとした。できることを全部並べて、「これで文句はないでしょう」と言い訳の材料を積み上げるみたいに。
あのころのLilyは、アプリ=機能の集合だと思っていました。だから説明文も、機能を過不足なく書ければいいと思っていた。デザインや空気感や、使っていてどんな気持ちになるかみたいなことは、「それは伝わらなくていい、ダウンロードさえしてもらえれば」と、どこかで思っていた気がします。
リリース後しばらくは、それで問題ないと思っていました。ダウンロード数が少ないのも、説明文のせいじゃなくてマーケティングの問題だ、と自分に言い聞かせながら。
数ヶ月経って、アプリは少しずつ変わりました。使ってくれている人の声を聞きながら、画面を直して、機能を削って、言葉を変えて。最初から比べると、もはや別のアプリのようでもあります。
そのタイミングで来たのが、「何のアプリかわからなかった」というレビューでした。それで説明文を開いたら——ああ、これはたしかにわからない。機能は書いてあるけど、誰のためのアプリか、使ったらどうなるか、何も書いていない。
まず余計な文章を削ろうとしました。「さらに□□機能を搭載しています」みたいな、煩雑な部分から。消してみると、残ったのは骨格だけで、それもなんだか薄い。「これを伝えたい」という芯が、もともとなかったのかもしれない、と思い始めました。
次に、「このアプリを一言で言うと?」と自分に問いかけてみました。答えられなかったんです。機能の説明はすらすら出てくる。でも「だから何?」と聞かれると詰まる。そのギャップが、すごく居心地悪かった。
固まりながら、昔のメモを掘り返しました。このアプリを作り始めたころに書いた走り書きです。「〇〇がめんどくさいから、自分用に作る」「こういう場面で使いたい」という、ただの個人的な愚痴みたいなメモ。
これを読んで、少し泣きそうになりました。あのころの自分は、誰かに刺さるかどうかより、自分が困っていることを解決したくて作っていた。その素直さが、今の説明文からは全部抜けていたんです。
書き直しを始めたら、最初の一文で2時間かかりました。うまいキャッチコピーを考えていたわけではなくて、「どんな言葉が正直か」を考えていたら、そうなりました。
試しに「このアプリを誰かに口頭で説明するとしたら?」と考えたら、するっと言葉が出てきました。友達に話すつもりで、飾らずに書いたら、1段落がすんなりできた。
ひとつ気づいたことがあります。リリース当時の機能リスト説明文は、あのときの自分には正しかったんだと思います。「誰かに伝える」より「まず出す」が精一杯で、それでも出したことに意味があった。
今の自分が書ける説明文は、数ヶ月分の失敗と学びと、「使ってくれている人がいる」という実感の上にあります。同じアプリについて書いているのに、視点がまるで違う。それはどちらかが間違っていたのではなくて、自分が更新されたということだと思います。
書き直した説明文は、長くなりませんでした。むしろ短くなった。削った言葉の分だけ、残った言葉が重くなった気がします。
「このアプリがあると、〇〇な気持ちで一日を始められます」
最終的にこういう一文から始まる説明文になりました。機能の話は後半に回して、最初は気持ちの話にした。リリース当時のLilyには、絶対に書けなかった一文です。
App Storeの説明文は、ユーザーに向けて書くものです。それは間違いない。でも振り返ってみると、それ以上に「今の自分がこのアプリをどう見ているか」の記録でもあります。
リリース当時の説明文、3ヶ月後の説明文、今の説明文。並べると、アプリの変化より自分の変化のほうが大きく見えます。機能への執着が減って、使う人への想像が増えた。「伝えなきゃ」が「伝えたい」に変わった気がする。
アプリのバージョンは、ちゃんとアップデートしていました。でも説明文は、リリース後にほとんど手を入れていなかった。そこに自分の怠慢があったわけですが、それ以上に「説明文なんて最初に書いたらもう変えなくていい」と思い込んでいたことが大きかったです。
アプリは生き物みたいに変わっていきます。使ってくれる人が変わって、自分が変わって、アプリが変わる。そのたびに説明文も更新していいし、むしろ更新されていくのが自然なのかもしれない。定期的に自分の言葉を見直すことは、アップデートのついでじゃなくて、それ自体に意味があるんだな、と思いました。
個人開発をしていると、作ることに集中するあまり、「何を作ったか」を言葉にする機会が意外と少ないと思います。コードは書く、機能は追加する、でも「これは何のために存在するのか」を問い直す時間は、なかなか取れない。
説明文の書き直しは、そのための強制的な棚卸しになりました。うまく書けなくて悔しかったけど、書けない理由がわかったことのほうが、ずっと大きな収穫でした。
完璧な説明文を最初から書く必要はないと、今は思っています。リリース当時のぎこちない言葉も、今思えば必要な段階でした。大事なのは、定期的に見直す習慣を持つこと。半年に一度でも、「今の自分なら何て書く?」と試してみること。
Lilyがやった棚卸しは、ノートとアプリの画面を開いて、今のアプリを初めて見る人に説明するつもりで声に出してみることでした。それを書き起こしたら、一文目ができた。難しいことは何もなかったけど、ちゃんと時間をかけてやった意味はありました。
書き直した説明文を保存して、App Store Connectから出たとき、不思議とすっきりした気持ちになっていました。アプリの数字が変わったわけじゃないし、レビューが増えたわけでもない。ただ、「今の自分がこのアプリについて正直に言える言葉」が、やっと揃った感じがした。
個人開発をしていると、数字やダウンロード数を見て落ち込む夜があります。Lilyも何度もそういう夜を過ごしました。でも説明文を書き直した夜は、違う種類の達成感がありました。成長したかどうかって、外の評価よりも、「前の自分には書けなかったものが書けた」という実感のほうが、ずっと正確に教えてくれる気がします。
あなたが今作っているものの説明文を、一度読み返してみてください。それがリリース当時から一字も変わっていないなら、あなたはこの数ヶ月で確実に変わっているはずです。その変化を、言葉にしてみる価値があると思います。難しく考えなくていい。「今の自分が友達に話すとしたら?」その一文から始めるだけでいいから。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
🎁 最後まで読んでくれたあなたへ、無料の特典があります: LINEで「自動化」と送って受け取る(実装テンプレ7本)
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
🖥️ 制作物・記事 → bokuwalily.com
🐙 OSS → github.com/bokuwalily
🌍 最新情報・お問い合わせ → X @bokuwalily