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三日間、PCを閉じていました。 熱が出たのは金曜の夜のことです。翌朝には「今日だけ休もう」と思いながら横になって、気づいたら月曜日になっていました。ご飯もろくに食べられなくて、スマホの通知も見たくなくて、ただ布団の中で天井を眺めていました。体がどんなに重くても、なぜかひとつだけ気…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
三日間、PCを閉じていました。 熱が出たのは金曜の夜のことです。翌朝には「今日だけ休もう」と思いながら横になって、気づいたら月曜日になっていました。ご飯もろくに食べられなくて、スマホの通知も見たくなくて、ただ布団の中で天井を眺めていました。体がどんなに重くても、なぜかひとつだけ気になっていることがあって。「アプリ、ちゃんと動いているかな」。熱でぼんやりしながら、そのことだけが頭の隅に引っかかっていました。 それは心配というより、なんとなく気になる、という感覚に近かったと思います。でも、体はどんな感情にも付き合ってくれなくて、考えるより先に眠ってしまいました。このエッセイは、その数日間に感じたこと——静かな達成感と、ちょっとした孤独と——を、正直に書いたものです。同じように個人でものを作っているひとに、届いたらいいなと思いながら。
金曜の夜、「今日はもう無理だな」と思った瞬間、Macのふたを閉じました。「明日には回復するだろう」という根拠のない楽観で。
正直に言うと、最初に思ったのは「タスクが止まる」ではなくて、「通知が来たらどうしよう」でした。前日にちょっとした機能を変えたばかりだったので、バグが出たら?ユーザーさんが困ったら?そういう不安が、体の重さより先に来た気がします。
でも、体はそんな心配に付き合ってくれませんでした。気づいたら眠っていて、起きたら夕方になっていて、また眠っていて。
土曜は「回復日」にするつもりでした。日曜は「軽く確認するくらいなら」と思っていました。でも実際には、どちらも布団から出ることしかできませんでした。キッチンまで歩いて水を飲む、それだけで疲れて横になる、という繰り返し。
ぼんやりとスマホを見ると、リリースのお知らせをしたSNSにちょっとした反応があったりして。でも、返信する気力はなかった。「返せなくてごめんなさい」という気持ちだけが積み重なっていきました。
そういう日が、続きました。
月曜の朝、PCを開いた最初の画面に、ログがずらっと並んでいました。
わたしが眠っている間も、アプリはユーザーさんを迎えていました。新しいサインアップがあって、ルーティンの処理が走って、エラーもなく終わっていました。「あ、動いてたんだ」と思ったとき、なんとも言えない気持ちになりました。うれしいような、不思議なような。
うれしかったです。本当に。「自分がいなくても動くものを作れた」という感覚は、個人開発をはじめてから一番欲しかったものかもしれない、とそのとき思いました。
でも、同時に少し変な気持ちもありました。言葉にするのが難しいのですが……「わたしがいなくてよかったんだ」という実感が、すこし刺さったんです。達成感と、それと表裏一体のような、ちょっとした疎外感みたいなもの。機械がちゃんと動いていたという安心感と、自分がその3日間に完全にいなかったという事実が、なんとなく同居していた。
開発者ってこういう矛盾と一緒に生きているのかな、と思いました。
個人開発の孤独さは、よく話題になります。「チームがいない」「相談できる人がいない」「成果を誰かと喜べない」。そういう話はSNSでもよく見ます。
でも、このときわたしが感じた孤独は、少し違いました。
アプリは動いている。ユーザーさんはいる。でも、そこにわたしの「今日」はいらなかった。
もっとシステムが成熟していたら、わたしが3日いなくても誰も気づかないかもしれない。それは目標のはずなのに、すこし寂しかった。「置いてきぼりにされた」みたいな、妙な気持ち。自分が作ったものなのに。
この感情を誰かに話したら「それが自動化の醍醐味じゃん」と言われそうで、言えないでいた気がします。「成功しているのに何が寂しいの?」という問いに、うまく答えられなかった。でも、寂しかったのは本当のことなので、ここに書いておきます。
しばらく経って、この感覚は大事なシグナルだったと思うようになりました。「自分がいないと不安」という状態から抜け出したことへの、慣れていない自分がいただけで。
依存の卒業には、その後に空白が来るものなのかもしれません。寂しさは、その空白に吹いてくる風のようなもので、悪いことではなかったんだと、今は思えます。
月曜日、PCを開いてまずログを確認しました。全部正常でした。次に、気になっていたエラー通知の設定を見直しました。体調を崩しているときにも「最悪、これだけ見れば大丈夫」な形に整えておきたかったから。
「自分がいない間に何が起きていたか」を1時間かけて確認しました。ログを見て、処理件数を確認して、問い合わせがないかチェックして。
何も問題はなかった。でも、この点検の時間がとても落ち着くものでした。「ちゃんと動いていた証拠」を自分の目で確認することが、体調が戻ってきた体に、ゆっくり安心を届けてくれた気がしました。布団の中で感じていた「気になる」という引っかかりが、ここでようやく解けた感じ。
正直に言うと、最初からこんなに整っていたわけじゃないです。
以前は何か異常があっても通知が来ない状態のまま公開していたことがあって、気づいたら丸1日処理が止まっていた、ということがありました。ユーザーさんから直接報告をもらって、初めて知ったんです。そのときの申し訳なさと恥ずかしさは、今でも覚えています。「どうして気づかなかったんだろう」と自分を責めながら、深夜に対応しました。
それ以来、少しずつ監視の仕組みを整えてきました。完璧じゃないけど、「自分が離れていても最悪の事態は防げる」くらいの状態に。今回の3日間が安心して終われたのは、あの失敗から積み上げてきたものが、静かに機能してくれていたからだと思います。
以前はどこか「緊急時は気合いでカバー」という前提で作っていた気がします。でも今回、それは違うと実感しました。わたしが動けない日は、必ず来る。体調、メンタル、大切な用事——理由は何でもいい。「自分が離れる日」は前提であって、例外ではない。
だから今は、「自分がいなくても最低限回る」ことを、設計の前提として意識するようにしています。完璧な自動化でなくていい。「三日間離れても、致命的なことは起きない」くらいで十分。
「続ける」ことの難しさを、個人開発をしていると何度も感じます。
機能を作ること、ユーザーを増やすこと、収益をあげること。そういう「前に進む」話はたくさんあります。でも「自分が動けなくなる日」の話は、あまりされません。しんどい日を乗り越えた武勇伝はあっても、「しんどくて何もできなかった話」はあまり出てこない。
わたしたちは人間なので、熱を出します。体調を崩します。メンタルが沈む日もあります。それはどれだけ頑張っても避けられない。
そのとき、プロダクトが一緒に止まるか、ひとりで動き続けるかは、日頃の積み上げの差だと思います。「自分が休めるもの」を作ることは、甘えじゃない。持続可能な個人開発の、基本の形だと今は思っています。
個人開発は基本的に、誰にも気づかれない積み上げの連続です。
ユーザーが増えた日より、バグを一個直した日の方が多い。SNSにも書かない地味な改善を、ずっと繰り返している。そういう積み重ねが、「わたしがいなくても動いていた3日間」を作ってくれていました。
目に見えない積み上げは、こういう形で返ってくることがある。そう思うと、また少し、手を動かす気になれます。
体が回復した翌日、近所を少し歩きました。
「アプリ、ちゃんと動いてたな」と思いながら歩いていたら、じわっとうれしくなりました。誰かに話すほどの出来事でもない、でも自分の中で確かに「やってきてよかった」と思えた瞬間。SNSに書くでもなく、誰かに報告するでもなく、ただ自分だけが知っているその感覚。それだけで十分だと思いました。
もしこれを読んでいるあなたが、似たような経験をしたことがあるなら、「それ、すごいことですよ」と伝えたいです。
動けない日があっても、アプリが動いていたなら、それはあなたが作ったものの力です。誰かに褒めてもらえなくても、バズった投稿になれなくても、それは本物の達成です。寂しさを感じたとしても、それは弱さではなくて、依存から卒業しようとしている途中のしるしかもしれない。
そしてもし、「自分がいないと止まるものを持っている」と感じているなら、それも普通のことです。わたしもそうでした。焦らずに、少しずつ整えていけばいい。
動けない日のために、今日の積み上げがあるから。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
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