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エッセイを書きます。 このエッセイを書こうと思ったのは、去年の冬のことです。たまたまアプリの管理画面を久しぶりに開いたら、見知らぬ人のレビューに目が止まりました。「毎朝これを開くのが習慣になっています」という、短い一文。 私がそのアプリを作ったのは、自分自身の「毎朝の習慣」がきっ…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
エッセイを書きます。 このエッセイを書こうと思ったのは、去年の冬のことです。たまたまアプリの管理画面を久しぶりに開いたら、見知らぬ人のレビューに目が止まりました。「毎朝これを開くのが習慣になっています」という、短い一文。 私がそのアプリを作ったのは、自分自身の「毎朝の習慣」がきっかけでした。でも正直に言うと、その習慣は、もうとっくになくなっています。アプリを作った理由が、作った本人の生活からひっそり消えていたんです。 それに気づいたとき、少し不思議な気持ちになりました。自分の外側で、静かに生き続けているものがある。知らない誰かの朝に溶け込んでいる。このエッセイは、その感覚を言葉にしてみようとした記録です。個人開発をしている方に届けば、と思って書きました。
そのアプリを作り始めたのは、2024年の春ごろでした。当時の私は、朝の時間がどうにもうまく使えなくて、毎日なんとなくスマホをスクロールしながら一時間が溶けていました。「記録するものがあれば、少しはマシになるかもしれない」という、それだけの理由でした。
技術的な挑戦がしたかったわけでも、ビジネスとして育てたかったわけでも、ありません。ただ、自分が困っていたから。自分のために、自分の問題を解こうとして作ったものでした。アプリとしての完成度より、「動けばいい」という気持ちが先にありました。
リリースから6ヶ月ほど経った頃、私はそのアプリをほとんど開かなくなっていました。朝の習慣自体が変わってしまったからです。引っ越しをして、生活リズムが変わって、そもそも「朝時間をどう使うか」という悩みが消えていた。問題が解決したわけではなく、その問題自体が自分の人生からフェードアウトしていったんです。
アプリへの関心も、自然と薄れていきました。たまにダッシュボードを確認するくらいで、機能を追加するモチベーションはほぼゼロになっていました。それでも公開したまま放置していたのは、消すのも面倒だったからだと思います。
2025年1月のある朝、久しぶりにアプリストアの管理画面を開きました。特に理由はなかったんですが、なんとなく気になって。
そこに、47件のレビューがありました。私がアプリをほぼ放置していた期間に、誰かが使い続けて、わざわざ評価をつけてくれていた。平均は4.2。「シンプルで続けやすい」「毎日のルーティンになってます」というコメントが、いくつも並んでいて。
正直、最初は信じられませんでした。作った本人が使っていないものが、なぜ人の習慣になっているのか。不思議というより、少し申し訳ない気持ちにもなりました。
その少し後に、問い合わせフォームの未読を整理していたら、Yさんという方からのメッセージが出てきました。「このアプリのおかげで朝の時間が変わりました。ありがとうございます」という内容でした。送られてきたのは、私がアプリをほぼ触っていなかった時期のことです。
それを読んだとき、画面を見たまましばらく動けませんでした。Yさんはその後も使い続けてくださっていて、新機能のリクエストまで丁寧に書いてくれていました。「通知のカスタマイズができると、もっと使いやすくなると思います」という、具体的なひと言で。
私はそのメッセージに返信をして、3日後にその機能を実装しました。それまで半年以上ほったらかしにしていたアプリに、久しぶりにコードを書きました。Yさんのメッセージが、私の行動を変えたんです。
アプリを作るとき、私はいつも「自分のために」から始めています。自分が不便だから、自分が解決したいから、自分が試してみたいから。それは今でも変わっていません。
でも、あのレビューとメッセージで初めて気づきました。「自分のため」に作ったものが、ある瞬間から「誰かのため」に動き始める。しかも、作った本人の意識とはまるで関係なく。
この経験の中で一番怖かったのは、自分が無意識に「アプリを終わらせていた」ことでした。自分が使わなくなったから、このアプリは終わった。更新しなければ、価値がない。熱量が落ちたなら、放置するしかない、と。
でも実際には、私が手を離した後もアプリは動き続けて、誰かの朝に溶け込んでいた。私の中の「終わり」と、誰かにとっての「続き」が、同時に存在していた。それを知ったとき、少しだけ安堵するような、でも同時に背筋が伸びるような、複雑な気持ちになりました。
個人開発をしていると、「完成」のタイミングがわからなくなることがあります。全部の機能を作り切ったとき?自分が満足したとき?熱量が続いている間?
今は少し違う考え方をしています。誰かが使い始めた時点で、そのアプリには「外側の生命線」が生まれます。それ以降は、自分の熱量だけが判断基準じゃなくなる。完成は、一回ではなく、使われるたびに少しずつ更新されていくものかもしれない、と。
正直に書かなければいけないことがあります。私がアプリを放置していた期間、いくつか問題が起きていました。
軽微なバグが2件、報告されていたんですが、気づいたのは数ヶ月後でした。フォームに届いていた問い合わせのうち、返信していないものが5件ありました。全部、Yさんのメッセージで管理画面を見直したときに、まとめて発見したものです。
そのときの気持ちは、恥ずかしさに近いものでした。使ってくれている人がいるのに、何の反応もしていなかった。ひとりで使うためのスクリプトなら、それでいい。でも人が使っているなら、それは違う。同じものでも、「誰かが使っている」という事実が加わった瞬間、責任の質が変わる気がします。
今は、月に一度だけ管理画面を確認するルーティンを作りました。機能追加は気が向いたときでいい。でも届いているメッセージには必ず返す。問い合わせは週に一度は見る。それだけは守ろうと決めました。大げさなコミットではなくて、ちょっとしたリズムを作るだけで、ずいぶん違います。
最初に作ったときのモチベーションは「自分が使いたいから」でした。今のモチベーションは、正直それではありません。自分はもうあまり使っていない。
でも今は、「Yさんが使っている」「47人が何かを感じてくれている」という事実が、続ける理由になっています。これは最初と全然違う理由です。モチベーションの質そのものが変わった。
それでいい、と思っています。理由が変わっても、続けることに意味があるなら、それでいい。最初の動機と今の動機が違っていても、アプリの価値は変わらない。むしろ、理由が変わるくらい長く続いているということは、それだけ本物だったのかもしれません。
個人開発をしていると、自分のコードに強く愛着を持ちがちです。これは自分の分身だ、という感覚。自分が作ったから、自分のものだ、という感覚。
でもリリースした瞬間から、そのアプリは「誰かのもの」にもなっています。私が手を離していた間も、誰かの習慣に組み込まれていた。作った理由が自分の中から消えても、誰かの中では続いている。そのギャップに気づいたとき、少し肩の荷が下りた気がしました。「完璧じゃなくていい。動けばいい。誰かが使ってくれているなら、それで十分だ」という感覚。
Yさんのメッセージは、今でも保存しています。気分が落ちた日に読み返すためです。「毎朝これを開くのが習慣になっています」というレビューも、スクリーンショットで手元に置いています。自分の熱量が落ちているとき、「でも誰かには続いている」ということを思い出せるように。
こんなエッセイを書こうと思ったのは、同じ状況にいる方に伝えたかったからです。作るきっかけが消えても、それはアプリの終わりではないかもしれない。熱量が落ちても、誰かの手で続いていることがある。管理画面を開くのが少し怖くなっても、一度開いてみたら、思っていたよりずっと静かに動き続けていることがある。
あなたが作って、そのままにしてしまっているものが、今どこかで誰かの朝に溶け込んでいるかもしれません。まだ終わっていないかもしれない。たまに管理画面を覗いてみるのも、悪くないと思います。そこに、自分では気づけなかった「続き」が待っていることが、あります。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
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