この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

アプリを誰かに見せるとき、Lilyはいつも少し緊張していました。 いえ、緊張というより、もっと正確に言うと——焦っていました。画面を開いた瞬間から、頭の中でぐるぐると言葉が湧き上がってくるんです。「このボタンはこういう意図で作って」「この機能はまだ試作中で」「本当はもう少し改善し…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
アプリを誰かに見せるとき、Lilyはいつも少し緊張していました。 いえ、緊張というより、もっと正確に言うと——焦っていました。画面を開いた瞬間から、頭の中でぐるぐると言葉が湧き上がってくるんです。「このボタンはこういう意図で作って」「この機能はまだ試作中で」「本当はもう少し改善したい部分があって」。相手がまだ何も言っていないのに、Lilyの口からはもう説明が始まっていました。 この記事は、その饒舌が自信のなさから来ていたと気づいた話です。そして、一言か沈黙でいいと思えるようになるまでに、どんな小さなことがあったかを書いています。個人開発をしていると、誰かに「見せる」瞬間が必ず来ます。その瞬間がちょっとだけ楽になるといいな、と思いながら書きました。
個人開発を始めた最初の年、Lilyはよく知人にアプリのデモをしていました。友人、元同僚、SNSで知り合った別の開発者。誰かに見てもらうたびに、同じことが起きました。
画面を見せながら、説明し続けるんです。
「これはトップページで、ここにあるリストが今日のタスクで、でもここはまだ実装途中で、本当はアニメーションをつけたくて、ただそのまえにデータ構造を整えないといけなくて、あ、このボタンはまだ仮で……」
今思い返すと、ひどいものでした。相手は画面を眺めながら、うんうんと頷いてくれているんですが、Lilyは止まれない。ある日、デモが終わってから時計を見たら、7分間も話し続けていたことに気づきました。最後に相手が「へえ、面白そうだね」と言ってくれると、ほっとする。でも、その安堵がまた次の饒舌を呼ぶ。そういうループでした。
当時はそれが自然なことだと思っていました。作ったものを説明するのは当然じゃないか、と。でも少しずつ、変な手応えを感じるようになります。説明が長くなるほど、相手の反応が薄くなるんです。聞いてもらっているはずなのに、なんだか空回りしている感じ。
最初は「伝え方が下手なのかも」と思っていました。もっとうまく説明できれば、もっと熱量が伝わるかもしれない、と。でも問題は、説明の上手さではありませんでした。
転機は、あるオンライン勉強会でのことです。個人開発者が集まってそれぞれの作ったものを見せ合う会で、Lilyも参加しました。そこで、同じくアプリを運営しているKさんというひとのデモを見たとき、思わず「あ」と声が出ました。
Kさんが画面を共有して、言ったのは一言だけでした。
「睡眠の質を記録するアプリです」
それだけ。あとは静かに操作して、終わり。説明は最初の一文だけ。
その場にいたひとたちが「使ってみたい」「睡眠スコアとか出るんですか?」と反応し始めて、Kさんはにこにこしながら「あ、そこはまだなんですけど、ここで確認できて……」と答えていました。会話が自然に育っていました。
Lilyはその場面をじっと眺めていました。なんだろう、この感じ。Kさんのデモは、Lilyのそれより情報量が少ないはずなのに、なぜか盛り上がっている。
Kさんは説明していない、とLilyは思いました。アプリをただ「そこに置いた」だけ。あとは見たひとが感じたことを言う。それだけで会話が成立していた。
Lilyは反対のことをしていました。アプリを置く前に、たくさんの言葉で包んでいた。「こういうものです、こういう意図です、ここはまだ途中で、本当はこうしたかった」。包みすぎて、中身が見えなくなっていたのかもしれません。
その日の夜、なぜKさんのデモがあんなにすっきりしていたのかを考えました。頭の中でふたりのデモを並べてみて、ようやくはっきりした気がしました。
自分が語りすぎていたのは、自信がなかったからだ、と。
説明するのは、本当は先回りして言い訳しているのに近かったんです。
「ここはまだ途中で」——それは「完成していないことを先に謝っておく」ことでした。「本当はこうしたくて」——それは「理想と現状のギャップを自分から説明しておく」ことでした。批判される前に、自分で批判ポイントを出してしまう。そうすれば傷つかない、という防御だったんだと思います。
完成度に自信があるものは、あまり説明しなくていいんです。見ればわかるから。でも「まだ粗い、未熟かもしれない」と感じているものを見せるとき、言葉で補おうとしてしまう。
でも当然、それは補えない。言葉を重ねても、未完成なものが完成には見えない。むしろ「このひとはこれに自信がないんだな」と伝わるだけです。
Lilyがそれまでしてきたことは、アプリを守るためではなく、自分の気持ちを守るためのものでした。
気づいてすぐ、大げさな変化は起きませんでした。「もう説明しない」と決意したわけでもなかったです。ただ、次にデモをするとき、ひとつだけ試してみようと思いました。
最初の一言だけ考えておく、というやり方です。
「時間を記録するアプリです」「メモを声で残せます」「買い物リストをシェアできます」——何でもいい。とにかく一文だけ。それを言ったあとは、相手が反応するまで待つ。
最初はこれが怖かったです。何も言わないでいると、「変なの?」と思われそうで。沈黙が続いたらどうしようと、ドキドキしていました。でも実際にやってみると、相手は普通に画面を見て、普通に反応してくれました。沈黙は、思ったより短かかった。
2〜3回試したとき、気づいたことがあります。
相手の最初の反応は、Lilyが何かを言う前に出てくる、ということ。「あ、これわかりやすい」とか「ここが気になる」とか。Lilyが先に言葉で埋めてしまうと、その自然な反応が出てこない。
説明は、相手の感想を遮っていたんです。
そこからは、少しずつ楽になっていきました。「待つ」ことが、作ったものを信頼することだと思えるようになったので。
今でも、長く話してしまうことはあります。特に、自分がまだ迷っているところを触れられると、すぐ言い訳めいた説明が口から出てきます。
でも、気づいたらそこで止めるようにしています。
「あ、また語りすぎた」と思ったら、「まあ、使ってみてもらったほうが早いですね」と言って切り上げる。それだけでだいぶ違う。
そして気づいたことがもうひとつあって、「一言で言うと何か?」という問いは、デモのためだけじゃない、ということです。
一言で言えないものは、まだ自分の中で整理できていないものかもしれない。その問いは、作るものの核を確かめる問いでもありました。コンセプトがぼんやりしているとき、説明も必然的に長くなる。逆に言えば、説明が短くなってきたとき、自分の中で何かが固まってきたサインでもあります。
誤解したくないのは、「説明しない=無関心でいい」ではないということです。
むしろ逆で、信頼しているんです。作ったものが、自分の代わりに話してくれると。Lilyが言葉で前置きしなくても、画面を見たひとは何かを感じてくれる。それを信じること。
それは諦めではなくて、作ったものへの敬意だとLilyは思っています。
この記事を書きながら、次にデモをするときのことを少し考えていました。
きっとまた、緊張します。どう見られるかを気にします。「あ、ここ説明したい」という衝動も出てくると思います。
でも、一呼吸おいて、一文だけ言う。あとは待つ。それだけを、自分に言い聞かせるつもりです。
語りすぎていたLilyは、間違っていたわけじゃない。ただ、怖かっただけ。その怖さと少しずつ仲良くなりながら、今日も何かを作り続けています。
あなたも次に誰かに見せるとき、一言だけにしてみませんか。意外と、それで足ります。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
🎁 最後まで読んでくれたあなたへ、無料の特典があります: LINEで「自動化」と送って受け取る(実装テンプレ7本)
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
🖥️ 制作物・記事 → bokuwalily.com
🐙 OSS → github.com/bokuwalily
🌍 最新情報・お問い合わせ → X @bokuwalily