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エッセイを書きます。 深夜2時を過ぎた頃、誰も見ていないエディタに向かって、Lilyはこんなひと言を書き残したことがあります。 「// ここまで来るのに3ヶ月かかった。よかった。」 コードとしては何の意味もない、たった一行のコメントです。誰かに読んでもらいたくて書いたわけでも、ド…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
エッセイを書きます。 深夜2時を過ぎた頃、誰も見ていないエディタに向かって、Lilyはこんなひと言を書き残したことがあります。 「// ここまで来るのに3ヶ月かかった。よかった。」 コードとしては何の意味もない、たった一行のコメントです。誰かに読んでもらいたくて書いたわけでも、ドキュメントとして残したくて書いたわけでもない。でもそのとき、どうしても何かを残しておきたかった。画面の前でひとりで戦ってきた自分に、せめて一行だけ、言葉をかけてやりたかったのだと思います。 個人開発をしていると、そういう瞬間が訪れることがあります。誰にも届かないとわかっていながら、ソースの深いところに何かをそっと書き残してしまう、あの静かな行為。今日はそれについて、少し話させてください。
Lilyが個人でプロダクトを作り始めたのは、会社員として働きながら「自分だけのものを持ちたい」と思い始めた頃でした。最初はチュートリアルを写経するだけで精一杯。自分のアイデアを形にするまでには、ずいぶん時間がかかりました。
その頃から、変な癖がついていました。コードに混ぜて、独り言を書く習慣です。
「なんでここでエラーが出るのかまじでわからない」とか、「今日はここまでにする。明日絶対直す」とか。誰が読むわけでもないのに、テキストエリアに向かって話しかけるように、コメントを残していました。
最初は単なる作業メモのつもりでした。けれどいつのまにか、コメントは日記に似たものになっていきました。困り果てた記録、小さな達成感、夜中の愚痴、翌日の自分へのメッセージ。そういうものが、コードの隙間にぽつぽつと散らばっていきました。
あるとき、久しぶりに昔作ったプロジェクトを開きました。ほぼ完成しないまま放置していたやつで、ファイルを開くのも少し憂鬱でした。どうせ汚いコードが残っているだろうし、あの頃の自分の未熟さと向き合うのがしんどかったのかもしれません。
スクロールしていくと、こんな一行が出てきました。
「2022年11月4日。仕事から帰ってきて、今日もここで詰まってる。でも諦めたくない。」
日付まで書いていたこと、自分でもすっかり忘れていました。あのとき何を考えていたか、何に悩んでいたか、その一行が全部運んできてくれた気がして、しばらく画面の前で固まってしまいました。
誰にも届かなかった言葉が、3年後の自分に届いていました。
そのときから、コードへの向き合い方が少し変わりました。以前は「効率よく書く」ことだけを意識して、余計なものをどんどん削っていました。コメントも最小限に、ロジックの説明だけにしようとしていた。
でもあの一行を見てから、ときどき「今の気持ち」を書いてもいいんだと思うようにしました。誰かに向けてじゃなく、未来の自分に向けて。「この判断には迷いがあった」とか、「ここを直したら少し好きになれた」とか。
コードは変わっていくけれど、コメントはその瞬間を留めておける。小さいけれど、確かな記録だと思っています。
個人開発のコミュニティで知り合ったAさんという方から聞いた話です。
Aさんはオープンソースのコードを参考にしながら自分のサービスを作っていて、ある日、参照していたライブラリのソースをじっくり読んでいたときに、こんな一行を見つけたそうです。
「I hope someone finds this useful someday.(いつか誰かの役に立てばいいな)」
書いた人の名前もわからない、いつ書かれたのかも定かでない一行。でもAさんはそれを見たとき、「続けようと思えた」と話してくれました。
Aさんがその話をしてくれたのは2025年の秋のことでした。当時Aさんは半年以上かけて作ってきた機能を、アクティブユーザーがほぼゼロのまま公開したばかりで、「誰にも使われないなら意味があるのか」と迷っていた時期だったそうです。
そのひと言を聞いて、Lilyの中で何かが変わりました。「残す」ことの意味を、もう少しやわらかく捉えていいんだな、と。
Lilyはずっと、「誰かに読まれてはじめて意味がある」と思っていました。記事も、コードも、コメントも。誰かの目に届かなければ、作っていないのと同じだと。
でも、Aさんの話を聞いてから、その前提が少し崩れました。
誰にも届かないかもしれない一行が、見知らぬ誰かの深夜を支えることがある。届くかどうかは、書いた人にはコントロールできない。でも「書くかどうか」は、自分で選べる。
そう考えると、深夜のコメント欄に残した独り言も、無駄じゃなかった気がしてきます。誰も読まなかったとしても、書いた瞬間のLilyは確かにそこにいて、何かを感じ、何かと戦っていた。それは消えない事実です。
Aさんのエピソードが教えてくれたのは、それだけじゃありませんでした。書いた本人が意図していなかった場所で、まったく関係のない誰かに刺さることがある、ということです。
オープンソースのコードに残されたひと言は、おそらく「誰かを励ましたい」という意図で書かれたわけじゃないと思います。ただその人がその瞬間、ふと書き残したもの。でもそれが、何年か後に、Aさんが諦めかけていた夜を支えた。
そのことがずっと、頭の片隅に残っています。
個人開発は孤独な作業です。チームがいるわけじゃないし、進捗報告を誰かにするわけでもない。うまくいかなくても、褒めてくれる人もいない。
その孤独の中で、コードに残す独り言は、自分が「ここにいた」という証みたいなものだとLilyは思うようになりました。プロダクトが完成しなくても、誰にも使われなくても、あの夜ここで作っていたという事実は変わらない。その事実を、コードのどこかに留めておく。
そのことへの遠慮が、いつからかなくなりました。
「こんなコメント書いたら恥ずかしい」とか「プロらしくない」とか、昔はそういうことを気にしていたような気がします。でも今は、深夜にひとりで戦っている自分に少しくらい言葉をかけても、いいんじゃないかと思っています。誰も見ていないんだから、遠慮する必要もない。
世界中の個人開発者が今日も画面に向かっていて、その誰かがコードのどこかに、ちいさなひと言を書き残しているかもしれない。
それがいつか見知らぬ誰かの目に触れるかもしれないし、ずっと誰にも読まれないままかもしれない。それでもいいと、Lilyは思えるようになりました。
自分の手でソースを書いて、その中に「今日もここで作っていた」という跡を残す。その小さな行為が、孤独な作業を少しだけ豊かにしてくれる気がしています。
あなたが深夜のエディタに残したひと言は、誰にも届かなかったかもしれない。でもそれを書いたとき、あなたは確かに「残す」という意志を持っていた。それはおかしなことでも、恥ずかしいことでもなくて、個人開発者としての正直な記録だとLilyは思います。
書き残すことを、もう少し許してあげてください。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
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