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最初の一人は、頭の中にしかいませんでした。 Webアプリをリリースして最初の数週間、ダッシュボードを開くたびに「今日もゼロか」と確認する習慣がつきました。ダウンロードやアクセス数の数字より、誰かから一言でも届いたらどれだけ違うだろう、とばかり思っていた気がします。 あるとき、届い…
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Lily さんへの応援になります
最初の一人は、頭の中にしかいませんでした。 Webアプリをリリースして最初の数週間、ダッシュボードを開くたびに「今日もゼロか」と確認する習慣がつきました。ダウンロードやアクセス数の数字より、誰かから一言でも届いたらどれだけ違うだろう、とばかり思っていた気がします。 あるとき、届いたのです。たった一行のメッセージが。送ってくださったのは、自分がツールを作りながら頭に思い浮かべていた「あの人」と、ほとんど同じ人でした。職業も、困りごとも、言葉のトーンまで。そのとき初めて、信じて作り続けることに意味があると、腹の底から納得できました。 この記事は、作り続けることへの迷いと、それでも手を動かし続けた時間について書きます。誰かに届くかどうか分からないまま何かを作っている人に、少しでも届けばうれしいです。
個人開発を始めたころ、わたしはいつも「誰かに使ってほしい」と思いながら作っていました。でも、その「誰か」の輪郭がはっきりしないことに気づいたのは、公開してしばらく経ってからでした。
作っているときは「忙しいフリーランスの人が使うかも」「副業でWebデザインをしている人に刺さるかも」と漠然と考えていました。でも実際には、その人の年齢も、どんな仕事のリズムで生きているかも、どんな言葉で自分の悩みを表現するかも、何も知りませんでした。架空の人が、さらにぼんやりとしていたのです。
ターゲットを絞ると届く人が減る、という感覚がありました。誰にでも使えるように作れば、誰かには使ってもらえる、と。今考えると、それは「誰にも刺さらない可能性」から目をそらしたくて、曖昧にしておいた言い訳だったと思います。広く構えれば、傷つく機会も少ない。そういう自己防衛が、ターゲット像をずっとぼかしていました。
リリースから最初の三ヶ月、ユーザー数は一桁のままでした。フォームから問い合わせが来たのは一度だけで、それも文脈が全くかみ合わない内容で、少しだけがっかりしたのを覚えています。
SNSで告知するたびに、インプレッション数と実際の流入数の差を見て、少しずつ疲弊していきました。「自分が作りたいものを作っているだけで、需要がないのかもしれない」という声が、頭のどこかでずっとしていました。
一番しんどかったのは、数字が少ないことそのものより、「誰かに見てもらっているかどうかも分からない」状態でした。一人でも、使った感想を教えてくれる人がいれば違ったと思います。でも当時のわたしは、誰かと繋がる接点を自分で作ることが不得手で、ひたすら機能を足してリリースノートを更新するだけでした。
作ることで不安を消そうとしていた、というほうが正確かもしれません。手を動かしていれば、少なくとも「何もしていない」という後悔はせずに済む。それだけを支えにしていた時期でした。
そのころ、すこし考え方を変えてみました。ターゲット像を、ぼんやりした属性の集合ではなく、一人の具体的な人物として思い描いてみることにしたのです。
架空の人でした。名前は考えなかったけど、年齢は30代前半で、フリーランスで請負仕事をしながら自分のプロダクトも育てようとしている。土日にカフェで作業することが多くて、作業ログをノートアプリに書いている。孤独な感じがするけど、それを「寂しい」とは言わない人。
その人のためにUI文言を考え、その人が最初に戸惑う場所を想像して、チュートリアルを作り直しました。数字のためではなく、その架空の一人に届けるために手を動かすようになってから、作るのが少し楽しくなりました。不思議なもので、実在しない人のことを真剣に想像すると、作業に熱がこもるのです。
発信の文章も変わりました。「便利なツールです」から「一人で作っているとき、自分の仕事を誰かに見せたくなる瞬間があると思います」という書き方に変えました。読んでいて「自分のことだ」と感じてもらえる一文を、毎回一つだけ入れるように意識し始めました。機能説明より先に、気持ちの話をする。それだけで、文章の手触りがずいぶん違ってきました。
リリースから半年近く経ったある平日の朝、メールが届きました。問い合わせフォームからでした。
「フリーランスでWebの仕事をしながら自分のサービスを作っています。このツール、まさに探していたものでした。ありがとうございます。」
読んで、しばらく動けませんでした。
フリーランス、自分のサービス、まさに探していた——それは頭の中で思い描いていた「あの人」の言葉と、ほとんど同じでした。年齢も、仕事のスタイルも、メールの文体に漂うトーンまで。リアルな人が、架空の像に重なった瞬間でした。
正直に言うと、その人が現れるまで、自分の想定が正しいかどうか確認する手段がありませんでした。データも少なく、フィードバックもなく、ただ「こういう人がいるはずだ」と信じながら作っていただけでした。根拠は、ほとんどありませんでした。
でも、届きました。
根拠がないことと、間違っていることは、違うのだと思います。
個人開発の孤独さの一つは、「自分が正しい方向に向かっているか」を確認してくれる人が、作っている最中には基本的にいないことだと思います。チームがあれば誰かに聞けるし、上司がいれば方向修正してもらえる。でも一人で作っていると、確信を持てないまま手を動かし続けるしかない時間がほとんどです。
そのメッセージをもらってから、わたしは「根拠が揃ってから発信しよう」「もう少し機能が整ってから公開しよう」という先送り癖が、少しだけ和らぎました。完璧な根拠を待っていたら、あの人と出会えていなかったかもしれない。
作っている最中の直感や、頭の中の「あの人」の像は、完璧ではないけれど、まったく無意味でもない。むしろそれが、届く人へのかすかな道筋だったのかもしれない、と今は思っています。
振り返ると、「届いた」のは偶然ではなかった部分もあると思います。
メッセージをくれた方は、わたしのSNSでの投稿を何ヶ月か前から見ていたと教えてくれました。ツールの紹介ではなく、「一人で作っていて煮詰まったときの話」を書いたとき、「自分と同じだ」と思ったのだと。
その投稿は、新機能のリリースノートではありませんでした。「夜中に一人でバグを直しながら、これ使ってくれる人いるのかなって考えた」という、ただそれだけの話でした。いいねは少なかったし、特に反響もなかった。でも、誰かの記憶に静かに残っていたのです。
小さな正直さが、細い糸になっていた。そう気づいてから、わたしは「作ること」と同じくらい「どんな気持ちで作っているか」を言葉にすることを、続けています。完成していなくても、うまくいっていなくても、その途中を正直に書く。それだけです。大きなことは何もしていません。
今でも、新しいものを作るとき、頭の中に「あの人」を置きます。一人の架空の人物。でも今は、あのメッセージをくれた方の言葉が混じっています。少しだけ輪郭がはっきりしています。
届くかどうかは、作ってみるまで分かりません。今も正直、分かりません。
でも一度、信じて作ったものが、信じていた人に届いた。その事実が、また手を動かすための十分な理由になっています。
もしあなたが今、誰に届くか分からないまま何かを作っているなら。頭の中の「あの人」のことを、少し丁寧に想像してみてください。その人は、どんな言葉で自分の悩みを表現しますか。何時ごろ作業しますか。どんな瞬間に、あなたのプロダクトを必要とするでしょう。
想像することは、根拠にはならないかもしれないけど、道しるべにはなります。
あなたの「あの人」も、きっとどこかにいます。今日も何かを探しながら、作りながら、諦めずに。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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