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以下がエッセイ本文です。 開発が趣味のLilyです。先日、自分でリリースしたアプリを非公開にしました。 チームはいません。リリースのときも、終わらせるときも、ひとりでした。「おめでとう」と言ってくれる人もいなければ、「惜しい」と声をかけてくれる人もいない。Slackのお知らせチャ…
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Lily さんへの応援になります
以下がエッセイ本文です。 開発が趣味のLilyです。先日、自分でリリースしたアプリを非公開にしました。 チームはいません。リリースのときも、終わらせるときも、ひとりでした。「おめでとう」と言ってくれる人もいなければ、「惜しい」と声をかけてくれる人もいない。Slackのお知らせチャンネルもなく、ただ管理画面のボタンをひとつ押して、それで終わりでした。 その静けさが、思いのほか胸に刺さりました。騒々しくないからこそ、自分がどれだけそのアプリに気持ちをのせていたかが、終わったあとに初めて見えてきた気がして。今日はその話を書かせてください。
きっかけは小さなものでした。日常のちょっとした不便を感じたとき、「これ、アプリにしたら便利じゃないか」という思いつきです。
個人開発をしている人なら、この感覚はわかっていただけると思います。問題を見つけて、解決策を思いついて、自分ならそれを作れると気づいた瞬間の、あの軽い高揚感。夜中にノートに機能の一覧を書き出して、どんな画面にしようかと考えながら眠れなくなる感じ。
私はその感覚が好きで、週末をつぶして最初のバージョンを完成させました。デザインも機能も粗削りでしたが、「自分が欲しいものを自分で作った」という達成感は本物でした。
完成してリリースした日、私は小さく一人でガッツポーズをしました。でも、インターネットはそれを知りません。Xに投稿したら数件いいねがついて、それで終わりです。
「まあそんなものか」と思いながら、でもどこかで「きっとこれから徐々に広まるはず」と信じていました。作ったものが誰かの役に立つという、根拠のない確信。これが最初の思い込みでした。
リリースから3か月が経ったころ、分析ダッシュボードを開く頻度が減りました。最初は毎日確認していたのに、週に一度、それから2週間に一度、そのうち開くのが怖くなっていきました。
数字は正直です。毎日使ってくれているユーザーは一桁。一度使ってまた来てくれる割合はほぼゼロ。「インストールはしてもらったけど、使い続けてはもらえていない」という現実がそこにありました。
数字を見なければ現実から逃げられると思っていたのか、それとも見たくないものから目を逸らしていただけなのか。今思えばどちらも正解で、どちらも逃げだったと思います。
ユーザーが増えないとき、個人開発者が最初に思いつくのは「宣伝が足りないのかも」というものです。私もそうでした。
Xでポストを増やしました。開発ログをnoteに書きました。個人開発者のコミュニティにも顔を出しました。でも数字はほとんど動きません。宣伝した日だけ一時的にインストール数が増えて、すぐに戻る。その繰り返しでした。
「プロダクトと宣伝のどちらが悪いのか」を考えはじめると、どちらも悪い気がしてきて、どちらから手をつければいいかわからなくなりました。
いちばん苦しかったのは、撤退のタイミングを決められなかったことです。
「あと1機能追加すれば変わるかもしれない」「通知を改善すれば戻ってくるかもしれない」「画面を整えれば継続率が上がるかもしれない」──毎月、「もう少し」の理由を見つけては続けていました。
でも今思えば、それは改善への意欲というより、終わらせることへの恐怖でした。止める基準を最初に決めていなかったことが、じわじわと自分を消耗させていきました。
終わらせることを躊躇させていたものがもう一つありました。「もったいない」という感覚です。
作るのにかかった時間、悩んだ深夜、リリースしたときの達成感、ここまで来たという事実。それらが全部なかったことになるような気がして、やめると言い出せませんでした。
個人開発は投資したお金より投資した時間のほうが大きい分、「ここまでやったのだから」という呪縛は静かに深く刺さります。その気持ちは前進するエネルギーにもなるけれど、間違った方向へ進み続けるエンジンにもなります。自分の場合は後者でした。
終わらせることを決めたのは、特別な日ではありませんでした。夜、仕事のあとにPCを開いて、いつものようにダッシュボードを眺めていたとき、ふと「これ以上続ける理由を、私はもう自分に説明できない」と思ったのです。
改善のアイデアが尽きたわけではありませんでした。技術的に詰まっていたわけでもない。ただ、自分に対して正直になったとき、「このプロダクトに対して自分がまだ本気でいられるか」という問いへの答えがNOだと気づいてしまいました。
それを認めるのに、半年かかりました。
管理画面の「非公開にする」というボタンを押したとき、確認のダイアログが出て、もう一度押して、それで終わりでした。
誰にも通知されません。どこにも流れません。ただ、検索結果からアプリが消えて、公開ページが非表示になって、静かに幕が閉じました。
この静けさが、意外でした。もっと何かを感じると思っていたのに、しばらくぼーっとして、それからコーヒーを入れに行きました。涙が出るわけでも、すっきりするわけでもなく、ただ静かでした。
非公開にしてから数日が経って、少しずつ自分の気持ちが整理されてきました。その中でひとつ、気づいたことがあります。
私はそのアプリが好きだったんだということ。
使い続けてくれるユーザーが少なくても、数字が伸びなくても、それでも自分はそのアプリを「よいもの」だと思っていました。終わらせたあとも、「ああ、あの部分は悪くなかったな」と思い返す場面があります。
これは執着とか未練とかではなく、「自分が作ったものへの愛着」だと思います。個人開発には、作り手のこだわりや判断が直接のっています。だからこそ、終わらせることが、自分自身を否定するような感覚になってしまう。
でも、アプリへの愛着と、そのアプリを続けることの正しさは、別の話でした。
いちばん怖かったのは、「やめたら、もう作りたくなくなるかもしれない」ということでした。
でも実際にやめてみて、その恐怖は取り越し苦労だったと気づきました。非公開にして一週間後、私はまた何かを作りたいという気持ちを感じていました。新しいアイデアを思いついて、小さなプロトタイプを作りはじめていました。
「作ること」への気持ちは、特定のプロダクトに紐づいていたのではなく、自分の中にずっとあるものでした。一つを終わらせることが、それを消すことにはなりませんでした。
今度のプロダクトを作るとき、私は最初に「どうなったら終わりにするか」を決めておくつもりです。
具体的には、毎日使ってくれる人が3か月連続で10人未満なら見直す、一度使った人が2週間後に戻ってくる割合が15%を割ったら立ち止まる、といった基準です。数字はあくまで目安で絶対ではないけれど、「終わりにする権利を自分に先に与えておく」という感覚が、続けることへの純粋な動機を守ってくれると思っています。
やめることへの恐怖を感じながら続けるより、やめる条件を先に用意しておいて、それまでは思い切り作る。そのほうが、作っている時間が豊かになる気がします。
個人開発は、作ることが目的で始まる人が多いと思います。少なくとも私はそうでした。
でも実際に一本終わらせてみて、「リリースが完成ではなく、終わらせることも含めて一つのプロジェクト」だと思えるようになりました。
ひとりで始めて、ひとりで続けて、ひとりで終わらせました。チームがあれば誰かと感情を分け合えるけれど、個人開発ではそれを全部自分で抱えます。その重さは確かにあります。でも同時に、その重さごと自分のものにできるという自由もある。
あの日、非公開ボタンを押した手は、確かに私の手でした。それだけは、ちゃんと誇りに思っています。
今また何かを作っています。うまくいくかはわかりません。でも今度は、終わりまで含めて、ちゃんと自分で決めるつもりです。
同じように個人開発をしている誰かの、何かの参考になれば嬉しいです。
Lily
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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