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これを書こうと思ったのは、ちょっとした気まずさと照れ臭さが混じった、妙な気持ちからです。 自分のアプリのアクセスログを眺めていたら、ふいに深夜2時台のセッションが目に入りました。たった一件。ぽつんと、そこにありました。 誰かがいたんだ、とそのとき思いました。深夜2時に何かを抱えて…
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Lily さんへの応援になります
これを書こうと思ったのは、ちょっとした気まずさと照れ臭さが混じった、妙な気持ちからです。 自分のアプリのアクセスログを眺めていたら、ふいに深夜2時台のセッションが目に入りました。たった一件。ぽつんと、そこにありました。 誰かがいたんだ、とそのとき思いました。深夜2時に何かを抱えて、わたしの作ったものを開いた人が。その人がどんな気持ちだったのか、わたしには分かりません。眠れなかったのか、何かに追い詰められていたのか、それとも単純に夜型の人だったのか。でも、その一件のログが、不思議なほどわたしの気持ちを動かしました。今日はその話を書かせてください。
正直に言うと、以前はアクセスログを見るのが怖くて、あまり開いていませんでした。
リリースしたばかりの頃は毎日確認していたんです。「今日は何人来たかな」と期待しながら。でも現実はなかなかシビアで、一週間経っても二週間経っても数字はほとんど動かない。セッション数が一桁の日が続く。そのうちログを見ること自体が憂鬱になってきて、気づいたら「確認しない」という習慣が身についていました。
見なければ傷つかないのは確かです。でも同時に、何も変えられなくなっていました。誰が来ているのか、どこで詰まっているのか、何が刺さっているのか。そういう情報から目を背けた状態で、「なんでうまくいかないんだろう」と悩み続けていた時期があります。
今思えば少し笑えますが、あの頃のわたしは本当に真剣に悩んでいました。作ったものを誰かに届けたいのに、そのために必要なフィードバックを自分で遮断していた。矛盾しているとは分かっていたけれど、やめられなかった。
そんなある夜、久しぶりにログを開いたのは半ば事故みたいなものでした。サーバーのコストを確認しようとして、ついでにアクセスの画面も見てしまった、という感じです。
数字はやっぱり少ない。一日に来る人の数は、両手で数えられる程度。でもその中に、ありました。
深夜2時4分のセッション。
ブラウザはモバイル。滞在時間は7分ちょっと。どのページを見ていたかも分かります。最初のページに入って、中のコンテンツをいくつか見て、また最初のページに戻ってきて、それで終わっている。
7分間、その人は何をしていたんでしょう。
眠れなくて起きていたのかもしれない。仕事の締め切りが迫っていて、ぼーっとスマホを触っていたのかもしれない。誰かに傷ついたあとで、気を紛らわせていたのかもしれない。それとも、ただの夜更かしで、何となく見つけて開いてくれただけかもしれない。
わたしには分かりません。絶対に分かりません。
でも、その「分からなさ」が、不思議と胸に刺さりました。この人はわたしの存在を知らない。Lilyという名前も、こんなことをぐるぐる考えているということも。それでも、深夜2時に誰かがわたしの作ったものを開いて、7分間そこにいてくれた。
なんか、すごいことだと思いませんか。
それまでわたしが作り続けていた理由は、正直なところ少し変でした。
「バズりたいわけじゃないけど、でも数字は気になる」「誰かに使ってほしいけど、でも自分用でもいいか」「やめる理由もないから続けてる」——そういう、ふわふわした動機でした。それ自体が悪いとは思いませんが、同時に少し虚ろでもありました。
深夜2時の一件を見てから、少し変わりました。
バズることと、届くことは違います。
100人に見られて誰の記憶にも残らない状態と、1人が深夜2時に7分間使ってくれる状態——どちらが本当に届いているかと言えば、わたしは後者だと思います。数字の大小ではなく、誰かの時間の中に入り込めたかどうか。
そう考えたとき、わたしには「届いた」と言っていい記録がありました。深夜2時のあの一件が、それです。
それだけで、続ける理由として十分だと感じました。誰かがいた、という事実。それは消えません。ログの中に、ずっとあります。
ただ、きれいごとばかりを書くのも正直じゃないので、失敗の話もさせてください。
リリース直後に「絶対ここが問題だ」と思って大きく作り直したことがあります。デザインを全部見直して、機能を整理して、かなりの時間をかけました。でも実際には、その変更でアクセスが増えることはありませんでした。
あとで冷静に振り返ると、問題はデザインではなかった。そもそも知ってもらえていなかっただけで、形をいくら変えても知名度は上がらない。当たり前のことなんですけど、作っている最中は「改善すれば良くなるはず」という思い込みが強くて、本当の課題が見えていませんでした。
これ、個人開発をしている人なら共感してもらえると思うんですが——作るのが好きな人って、「作れば届く」と無意識に信じていることが多いんですよね。わたしもそうでした。
でもそれは別のスキルです。届けることは、作ることとは全然違う。どちらが難しいかとか、どちらが大事かとかじゃなくて、単純に別の能力が必要な別の活動です。
この気づきは、あの深夜2時の一件よりも前からうっすら分かってはいました。でも腑に落ちていなかった。あのログを見てから、初めて「じゃあ届けることも、ちゃんとやろう」という気持ちになりました。
大きな方針転換ではなく、小さいことをいくつか変えました。
ひとつは、ログを週に一度だけ見る習慣を作ったこと。毎日見ると一喜一憂してしまうので、曜日を決めて、その日だけ確認する。それだけで、数字への向き合い方がずいぶん落ち着きました。
もうひとつは、記録を残すこと。誰が来たかは分からないけれど、「来てくれた人がいた」という事実を、自分なりのメモに書き留めておく。深夜2時の一件も、その日からメモに書きました。「2時4分に誰かがいた」と。ただそれだけの一行ですが、くじけそうになったときに読み返せる一行でもあります。
こうしてエッセイを書いているのも、その延長線上にあります。
コードを書いてリリースするだけじゃなく、自分が何を考えていて、何を感じて、なぜ作っているのかを言葉にすること。それ自体が、誰かに届く可能性を作ることだと気づきました。
技術的なことが書けなくてもいい。すごい実績がなくてもいい。深夜2時にアプリを開いてくれたあの人と同じように、このエッセイを深夜に読んでいる人がいるかもしれない。その人が「ああ、わかる」と思ってくれたら、それだけで書いてよかったと思えます。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
あの一件のログに、わたしは今でも感謝しています。その人はわたしのことを知らない。お礼を伝えることもできない。でも、あのタイムスタンプがなければ、今のわたしは少し違う場所にいたかもしれません。
個人開発って、孤独な作業です。フィードバックが来るのは最初だけで、あとはしんとした時間が続く。数字を見ても「本当に誰かに届いているのか」分からなくなる瞬間が、誰にでもあると思います。
でも、届いているかもしれないんですよ。深夜2時に、誰かがいるかもしれない。
ログを開くのが怖い気持ちは、わたしにはよく分かります。でも、そこに誰かがいる可能性も、同時にある。見えていないだけで、ちゃんとそこにいる人が。
わたしはこれからも作り続けます。あの深夜2時の一件を、ずっと覚えていながら。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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