この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります

リリースした日のことは、今でもよく覚えています。 投稿した瞬間、少しだけ心臓が速くなりました。何ヶ月もかけて作ったものを、ようやく世界に出した感覚。ダッシュボードを何度も開いて、数字が動くたびにどこかそわそわしていました。誰かに感想をもらえたときは、画面の前でひとり、声には出さな…
この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります
リリースした日のことは、今でもよく覚えています。 投稿した瞬間、少しだけ心臓が速くなりました。何ヶ月もかけて作ったものを、ようやく世界に出した感覚。ダッシュボードを何度も開いて、数字が動くたびにどこかそわそわしていました。誰かに感想をもらえたときは、画面の前でひとり、声には出さないままガッツポーズをしました。 でも、その熱量は長くは続きませんでした。 これは、熱が冷めた後の話です。誰も話題にしなくなった頃に、それでも静かにアップデートを重ねていた日々のこと。そしてその先で、ぼんやりと見えてきたものについて。同じように個人で何かを作り続けている人に、少しでも届けばいいなと思いながら書いています。
リリース直後というのは、不思議な時間です。
最初の数日は、とにかく反応が気になります。通知が来るたびに確認して、アクセス数がちょっとでも増えると嬉しくて、「誰かが使ってくれている」という事実に励まされていました。個人開発の場合、チームの誰かに「いいね」と言ってもらえる機会もありません。だから外からの反応が、唯一の燃料になりやすいんですよね。
でも、それは1週間もすれば落ち着きます。
投稿はタイムラインから流れていきます。最初は1日100件あったアクセスが、50件になり、20件になり、気がつくと一桁になっていました。感想のDMも来なくなる。フォローが増えるわけでもない。「盛り上がった」と感じた時間は、振り返ってみるとほんの数日間でした。
誰も悪くないんです。それはわかっています。
インターネットの情報は常に流れ続けていて、注目が集まる場所は次々と移っていきます。自分がリリースしたものが話題になった翌日には、もう別の誰かの作品が注目されている。それはごく自然なことです。
でも、わかっていても、あの「静けさ」はなかなか堪えるものがありました。誰も見ていないかもしれないのに、バグを直す意味があるのかな。新しい機能を作っても、誰も気づかないかもしれない。そんな気持ちが、じわじわと忍び込んできました。
正直に言うと、何度かやめようと思いました。
「もうこれ以上更新しなくてもいいか」と思った夜が、3回か4回はあります。ドキュメントを整えるのも、不具合を修正するのも、誰も見ていないのにやり続けるのは、思っていたより体力がいることでした。
ある日、バグ報告が1件届きました。名前も知らない人からの、短いメッセージでした。「使っていたら、こういう動作になりました」という内容でした。そのメッセージを読んだとき、なんだか急に、現実に引き戻された気がしました。
使ってくれている人がいる。しかも、わざわざフィードバックをくれる人が。
それで、バグを直しました。リリースノートに一行だけ書きました。それを見た人がどれだけいたかはわかりません。でも、修正して送り出したあのときの感覚を、今でも少し覚えています。「ちゃんと届いた」という手触りが、ほんの少しだけありました。
それ以来、反応があるかどうかに関係なく、気になったことをひとつずつ直していくようになりました。月に1回か2回、小さい更新を続けていきました。
途中で、自分の中で何かが変わった気がします。
最初は「見てもらうためにリリースした」という気持ちが強かったんです。でも続けているうちに、いつのまにか「これを良くしたいから更新している」という感覚になっていました。
違いは些細なようで、大きかったと思います。
「見てもらうため」だと、反応がなければモチベーションが消えます。でも「育てるため」だと、反応がなくてもやることがあります。使っていて気になった点を直せばいい。もう少し使いやすくなりそうなところを磨けばいい。それだけでいいと気がつきました。
あの静かな期間から半年ほど経ったとき、少し変化がありました。
新しい人が使ってくれるようになったんです。どこで知ったのかはわかりません。でも、「最近使い始めました」というメッセージがぽつぽつ届くようになりました。話題にはなっていないのに、じわじわと広がっていた。
後から確認してみると、検索経由で来てくれている人が増えていました。
熱量のある時期には、タイムラインで拡散されることでしか流入を考えていませんでした。でも実は、地味に続けていたことで、少しずつ検索に引っかかるようになっていたようでした。誰かが「こういうことできるツール」と紹介してくれた記事があったり、フォーラムでちらっと名前が出ていたり。それは、盛り上がっていた時期にはなかったことでした。
更新を続けていなければ、もしかしたらそこで消えていたかもしれません。
この経験を通じて、ひとつだけはっきりわかったことがあります。
リリース直後の盛り上がりと、長く使われることは、まったく別の話だということです。
前者はある種の「チャンス」に近いものです。多くの人の目に触れる窓が、一瞬だけ開く感じ。でも、その窓が閉じた後に何が残るかは、そのあと何をするかで決まります。話題にならなくなっても更新し続けているプロダクトは、数ヶ月後に別の誰かの目にとまる可能性があります。逆に、話題になったまま止まってしまったプロダクトは、そのまま埋もれていきます。
熱量のある時期は、正直あまり実力は関係ありません。
タイミングや運や、ちょっとした言葉の選び方で広がるかどうかが決まることも多いです。でも、誰も見ていない時期に続けられるかどうかは、作り手自身の問題です。好きだから作るのか、承認が欲しいから作るのか。そのどちらが強いかが、静かな時期にじわりと現れてくると思います。
Lily自身は、どちらもあるという答えにしかなりませんでした。承認が欲しい気持ちも正直あります。でも、純粋に「これをもっとよくしたい」という気持ちも、やっぱりありました。そのふたつが混在したまま、それでも続けていたというのが正直なところです。
今振り返ると、あの静かな期間に一番変わったのは、プロダクトよりも自分自身だったかもしれません。
「誰かに見せるために作る」から「自分が良いと思うものを作る」へ、少しずつ軸が移っていきました。それは後退ではなく、むしろ前進だったと思います。承認に依存しないぶん、判断がぶれにくくなりました。「これは本当に必要な機能か」を考えるとき、以前は「これを追加したら反応がもらえそう」という基準が混じっていました。でも今は、もう少しシンプルに考えられるようになっています。
個人開発を続けている人に、ひとつだけ伝えたいことがあるとすれば、それは「やめないこと自体に意味がある」ということです。
これは精神論ではなく、物理的な話としてそうだと思っています。更新し続けているプロダクトは、ある日突然誰かに見つけられる可能性があります。止まっているものは、見つけられても信頼してもらいにくいです。「最終更新日:2年前」と書いてあるプロダクトを、今から使おうと思う人はなかなかいないですよね。
続けることは、静かだけれど、ちゃんと積み重なっています。
タイトルにそのまま書きましたが、これが全部です。
リリース直後の熱量が冷めた後も、誰も話題にしなくなった後も、Lilyは続けていました。格好いい理由があったわけではありません。やめる理由もなかったし、使ってくれている人が少しいて、直したいところがあったから、それだけです。
個人開発のほとんどの時間は、派手ではありません。ひとりで作って、ひとりで直して、ひとりで悩んでいます。でも、そういう地味な時間の積み重ねが、後から振り返ったときに、自分の一番の財産になっていると気がつきます。
盛り上がりはいつか終わります。でも、作り続けることは終わらなくていいと思っています。
今日も、どこかで静かにアップデートを重ねている人がいると思います。そのひとりひとりが、自分の場所で小さく続けていることを、Lilyは同じ作り手として、心から尊敬しています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
🎁 最後まで読んでくれたあなたへ、無料の特典があります
LINEで「自動化」と送って受け取る(実装テンプレ7本)
Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
🖥️ 制作物・記事 → bokuwalily.com
🐙 OSS → github.com/bokuwalily
🌍 最新情報・お問い合わせ → X @bokuwalily