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毎年この季節になると、タイムラインが少しざわつきます。誰かのアプリが数万ユーザーを突破した、ARRがXX万円を超えた、ProductHuntで1位を取った。そういう報告を見るたびに、わたしはそっと画面を閉じて、自分のダッシュボードをこっそり開いていました。数字は相変わらず小さい。…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
毎年この季節になると、タイムラインが少しざわつきます。誰かのアプリが数万ユーザーを突破した、ARRがXX万円を超えた、ProductHuntで1位を取った。そういう報告を見るたびに、わたしはそっと画面を閉じて、自分のダッシュボードをこっそり開いていました。数字は相変わらず小さい。「もっと頑張らなきゃ」というため息が、毎回セットでついてきました。 このエッセイは、そのため息をやめた日の話です。「伸ばさなきゃ」というプレッシャーを手放して、小さいままでいいと腹を決めた瞬間のこと。「スケールしない」という選択が、ちゃんとした選択肢になるまでの話を、正直に書いておきたいと思います。 技術的な話はほとんど出てきません。数字の見せ方も、マーケの戦略も、成長の方程式も、今日は全部置いておきます。ただ、個人で何かを作り続けているひとに、少しでも届けばいいなと思いながら書きます。
わたしが最初にアプリをリリースしたのは、ちょうど仕事が落ち着いてきた頃でした。毎日少しずつ作って、怖いけどリリースボタンを押して、「誰かに使ってもらえたらいいな」という気持ちだけで始めたものでした。
最初の数週間は純粋に楽しかったです。フィードバックが1件来るだけで嬉しかったし、バグを直すのも、使ってもらえているという実感があって前向きになれました。
でも、じわじわと変わり始めました。SNSでほかの個人開発者のリリース報告や成長報告を見るうちに、「これだけ頑張っているのに、なぜわたしのアプリは伸びないんだろう」という思考が、頭の中に根を張り始めたんです。
あるとき、「目標ユーザー数を決めよう」と思い立ちました。根拠はありませんでしたが、「月100人」と決めて、そこに向けて動き始めました。告知の文章を工夫して、ハッシュタグを研究して、ランディングページを何度も書き直しました。
結果は変わりませんでした。数字は少し動いたりもしましたが、目標には届かない。そのたびに「自分には何が足りないんだろう」「作り方が悪いのかな」「そもそも向いていないのかな」と考えるようになりました。
アプリを作る時間より、数字を眺めてため息をつく時間のほうが増えていました。これは、かなりまずい状態でした。
転機は劇的なものではありませんでした。
ある朝、起きてすぐダッシュボードを開こうとして、ふと手が止まりました。「また見ても同じだよ」という声が、自分の中からしました。疲れていたんだと思います。数字への執着で、静かに消耗していました。
そのまましばらくぼーっとして、かわりにアプリを自分で使ってみました。最初に作った機能、まだちゃんと動いていました。地味だけど、自分が使いたくて作ったやつ。「これ、ちゃんと動いてるじゃないか」と思ったら、少し笑えました。
伸ばすことに必死になっていた期間、自分のアプリを自分で使っていなかったことに気づいてしまいました。それが、何かを手放す最初のきっかけでした。
数字への執着を少し緩めた頃、ログを眺めていてあることに気づきました。毎日同じ時間帯にアクセスがある。確認すると、同じ数人がほぼ毎日使ってくれていました。
登録ユーザーは多くありません。でも、その中の何人かは、日課のようにログインしてくれていました。
その事実が、なぜかとても響きました。派手な成長報告でも、バイラルでも、大型アップデートでもなく、ただ「毎日使ってくれている人がいる」という、静かな事実。スケールしていないのに、ちゃんと誰かの生活の一部になっていました。
これは当たり前のことのように聞こえるかもしれません。でも、成長に焦っていた頃のわたしには、この「ただ存在して、使われている」という状態が、まるで「失敗」に見えていました。
数万ユーザーじゃないから失敗。バイラルしなかったから失敗。話題にならなかったから失敗。そんな減点方式で、自分の作ったものをずっと見ていたんです。
でも実際は、毎日使ってくれる人がいる。壊れたら直す。使いやすくしたら「ありがとう」が来る。小さいけれど、それはちゃんとした循環でした。
個人開発のコミュニティにいると、「スケール」という言葉がとても多く飛び交います。ユーザーを増やす、収益化する、プロダクトを育てる。それ自体は悪いことでは全然ありません。わたしも目指せるなら目指したい気持ちはあります。
でも、「スケールする」がデフォルトの正解で、そうでないものは「諦め」や「途中放棄」みたいに見えてしまう空気がある。その空気に、わたしはずっと息苦しさを感じていました。
腹を決めたのは、シンプルなことでした。「このアプリを、今使ってくれている人のためだけに、丁寧に作り続けよう」と思ったんです。数字を伸ばすための施策は一旦やめて、今いる人が気持ちよく使えることだけを考える。それを決めた日、不思議と気持ちが軽くなりました。
スケールしないことは、諦めではありません。「今、ここにいる人を大切にする」という積極的な選択だと、今は思っています。誰かの生活の小さな一部に、ちゃんと根を張ること。それは、数字では測りにくいけれど、確かに価値のあることだと感じています。
執着を手放してから、変化は地味ですが確かにありました。
いちばん大きかったのは、アプリを触ることが純粋に楽しくなったことです。「伸ばすためにこの機能が必要か」という視点じゃなくて、「使っているひとが困っていそうだから直そう」という視点で動けるようになりました。
フィードバックへの向き合い方も変わりました。以前は「ユーザーが増えないのはここが原因かも」という文脈でしか読めていなかったんですが、今は「このひとはこう使っているんだ」という読み方ができるようになってきました。声が届きやすいサイズだからこそ、一人ひとりのことをちゃんと見られる。それは、小さいからこそ持てる強みだと気づきました。
大きなアップデートを打つことより、小さな不便を一つひとつ潰すことをするようになりました。メニューの文言を少し変えるとか、エラーメッセージをわかりやすくするとか、表示の並び順を直すとか。
そういう地味な改善を、誰も見ていなくてもやり続けることで、アプリが少しずつ自分の手に馴染んでいく感覚があります。育てているというより、一緒に育っている、みたいな。
派手な変化はなくても、積み重ねていくと確かに変わっていきます。小さい庭を、少しずつ丁寧に耕していくような感覚です。
ここまで書いておいて、正直に言います。手放しが完璧にできたかというと、全然そうではありません。
今でも誰かの大きな成果報告を見ると、ちくっとします。「もっとうまくやれば違ったかな」という気持ちが出てくることもあります。それは多分、これからも消えないんだと思います。
コミュニティにいると、自分のペースを保つのは意外と難しいです。まわりの熱量に引きずられて、また「伸ばさなきゃ」モードに入りそうになることもあります。
でも、ちくっとしてから「まあいいか、今日も動かそう」に戻るまでの時間が、少しずつ短くなってきました。それだけで十分だと、今は思っています。
完全に超然とした境地に達する必要はないんです。揺れながら、それでも手を動かし続けることが、個人開発者としてのリアルな姿だとわたしは思っています。
このエッセイを書いている今日も、わたしのアプリは特に派手なことは何もなく、いつもの数人が使ってくれています。ダッシュボードの数字は相変わらず地味です。
でも、今日直したかった小さなバグを直しました。ずっと気になっていた表示のずれを修正しました。使っているひとが少し気持ちよくなれたらいいなと思いながら。
「小さいままでいい」と決めたことは、サボることを許可したんじゃないと思っています。今いるひとのために、引き続き手を動かしていく。ただ、その先に「数万人」という幻を置くのをやめたということです。
同じように個人で何かを作っているひとへ。あなたのアプリが小さくても、それはちゃんとした選択肢のひとつです。毎日使ってくれているひとが一人でもいるなら、それはもう成功の一形態だと、わたしは思っています。
今日も、手を動かし続けましょう。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
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