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開発を始めたとき、あんなにわくわくしていたのに。気づいたら、自分のプロジェクトのタブを開くのが少しだけ億劫になっていました。 「好きで始めたはずなのに、なんでこんなに気が重いんだろう」。そう思いながらも、理由がよくわからなくて、自分を責めてみたり、気分転換しようとしてみたり、それ…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
開発を始めたとき、あんなにわくわくしていたのに。気づいたら、自分のプロジェクトのタブを開くのが少しだけ億劫になっていました。 「好きで始めたはずなのに、なんでこんなに気が重いんだろう」。そう思いながらも、理由がよくわからなくて、自分を責めてみたり、気分転換しようとしてみたり、それでもやっぱりなんとなくプロジェクトから距離を置いていたり。 このエッセイは、そういう経験をしたLilyが、正直に書いたものです。解決策とか、モチベーション維持のコツとか、そういった話ではなくて。ただ、あの「冷め方」と、そこから先の話を、等身大で共有したいと思いました。
作り始めたのは、ある夜ふと思いついたアイデアがきっかけでした。「これ、あったら便利だな」という、シンプルな動機です。
最初の数日間は、とにかく楽しかった。寝る前に少し進めるはずが気づいたら2時間経っていて、起きたらまず昨日の続きを確認して。頭の中に、完成形のイメージがくっきりと描けていて、それに近づいていく感覚が純粋に気持ちよかったんです。
こういう高揚感って、個人開発を続けている人なら絶対に覚えがあると思います。誰かに頼まれたわけでもないのに、気がついたら深夜まで手を動かしている、あの感覚。「これ、ちゃんと完成させよう」と思っていました。本当に、そう思っていました。
最初の変化に気づいたのは、開発を始めて3週間ほど経ったころだったと思います。
あの夜の興奮が、少しずつ薄れていました。でも、「冷めた」とはっきり気づいたわけでもなくて。ただなんとなく、プロジェクトを開く前に一瞬ためらうようになっていた。他のことを先に片付けてから、とか。今日は疲れたから明日、とか。
そうして気づいたら、1週間近く何も触っていませんでした。
サボっていた自覚はあったので、ある日ちゃんと向き合ってみることにしました。「なんで開くのが嫌なんだろう」と。
紙に、思いつく限り書き出してみました。
書いてみると、なかなかの量がありました。しかも全部、それなりに正直な気持ちでした。「やる気がないのは甘えだ」とか「もっと好きなはず」とか、自分に言い聞かせようとしていたけれど、正直に書き出してみたら、萎えるだけの理由がちゃんとそろっていたんです。
なかでも、心に刺さっていたのは「似たサービスがすでに存在していた」という発見でした。
開発を始めてから少し経ったころに、たまたま見かけたんです。完全に同じではないけれど、自分のアイデアとかなり近い。「これがあるなら、わざわざ作る意味あるのかな」と思ったとき、何かがぷしゅっと萎んだ感じがしました。
今思えば、その瞬間から少しずつ、情熱の空気が抜けていったんだと思います。誰かと競争したいわけでもないのに、「後発で意味があるのか」という問いが頭の片隅にずっと居座るようになって。作業するたびに、その問いが小さくちくちくしていた気がします。
熱が冷めていることには気づいていました。それでも、やめませんでした。なぜかと言うと、やめる理由もよくわからなかったから、です。
「つまらなくなったから」はやめる理由になるのかな、と思って。でも、もともとこれを作ろうとした理由って何だっけ、と振り返ったとき、「面白そうだったから」以外にも「作れるか試してみたかった」という気持ちもあったことに気づきました。楽しい気持ちが薄れても、「作りきれるか」という問いへの興味は、まだ少し残っていた。それだけが、続ける細い糸でした。
もう一つ、正直に言うと、「また途中でやめた」という自分の履歴を増やしたくなかった、という気持ちも少しあったかもしれません。完成させた実績がほしい、みたいな。それは格好いい動機ではないけれど、それでもいいかな、と今は思っています。続けるのに、立派な理由はいらない。
それまで「いいものを作りたい」と思っていた自分から、「とにかく一回形にしてみる」に目標を切り替えました。
完璧じゃなくていい。誰かに見せなくていい。ただ、自分の手で一周させてみる、という感覚です。
すると不思議なことに、少し動けるようになりました。熱がない分、変に力みがなかったのかもしれません。「これで正解か」とか「もっといい方法があるんじゃないか」という迷いが減って、とりあえずやってみる、に集中できた。熱量があるときって、それが邪魔になることもあって、「最高のものを作らなければ」という重さが、手を止めさせていたのかもしれないな、と思いました。
もう一つ、自分にとって大きかったのは、スコープを大幅に絞ったことです。
最初に描いていた完成形には、色々な機能が詰め込まれていました。「あれもできたら便利」「これも入れたい」と、構想の段階でどんどん膨らんでいた。でも「全部なくていい、これだけ動いたら完成と呼ぼう」と決めたとき、急に終わりが見えた気がしました。
ゴールが遠すぎると、進んでいるかどうかさえわからなくなります。毎日少しずつ作業していても、完成まで何%進んだのかが全然見えないと、だんだん虚しくなってくる。近くにゴールを置き直したら、毎日の小さな進捗がちゃんと前進に感じられるようになりました。
完成まで、毎日大きく進もうとするのもやめました。
「今日はこの一画面だけ」「今日はこの機能だけ動けばいい」と、作業を極端に小さく区切るようにしました。終わりが見えると、やっと手をつけられる。着手できれば、思ったより進むこともある。熱がないときは、はじめの一歩のハードルを下げることが全てだな、と実感しました。
紆余曲折ありながらも、一応の完成までたどり着いたとき、正直なところ「感動した!やった!」という爽快感はほとんどありませんでした。あったのは、静かな達成感、みたいなもの。「ああ、できたな」という、それだけ。
でも、それが思いのほか悪くなかったんです。むしろ、なんだか深いところに残った感じがしました。
一番の収穫は、「熱量がなくても、作れる」と自分の体で知ったことでした。熱量があるから作れる、ではなかった。熱量がなくても、理由さえあれば動ける。この体験をしてから、自分の作り方への信頼が少し変わった気がします。
モチベーションは、上がったり下がったりするものです。ずっと楽しいプロジェクトなんて、たぶんそんなにない。冷める時期があって当然で、そのときどうするか、自分なりのやり方を持っているかどうかが大事なんだと思いました。
もう一つ、開発を終えてから気づいたことがあります。
あの「似たサービスがある」という事実、最初はすごく気持ちを萎えさせたけれど、今は全然違う見方をしています。
似たものがあるということは、その方向性に需要があるということ。そして、自分が作ることで得られる学びや経験は、既存サービスがあっても奪われない。完成したものの価値より、作った自分に残るものの方が、個人開発においてはずっと大きいかもしれない、と今は思っています。「誰かのために唯一無二のものを作らなければ意味がない」なんて、最初から思う必要なんてなかった。
あのプロジェクトは、今もひっそりと存在しています。誰かに使ってもらえているかはわかりません。数字を見るのが少し怖くて、あまりちゃんと確認していません。
でも、存在している。それで今は十分かな、と思っています。
次に新しいものを作るとき、きっとまた同じ経験をすると思います。最初の熱狂が静かに落ち着いて、億劫になって、やめようかなと思う瞬間が来る。そのとき、「冷めた=終わり」じゃなくていい、と自分に言ってあげられると思います。それだけで、少し違う動き方ができる気がしています。
個人開発は、誰かに強制されてやるものではないから、やめる自由も当然あります。熱が完全に消えてしまったなら、やめることも選択です。でも、熱が冷めたことだけを理由にやめるのは、少しもったいないかもしれない。冷えた状態で動いてみた先に、あなただけの答えが待っていることもあるから。
このエッセイを読んでくれたあなたのプロジェクト、引き続き応援しています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています