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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

リリースボタンを押した瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。数秒の読み込みのあと、ステータスが「公開中」に変わりました。指が震えているのがわかりました。数ヶ月間、ひとりで作り続けてきたものが、ようやく世界に出た瞬間でした。 でも、その後で起きたことが、自分でも予想外でした。告知…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
リリースボタンを押した瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。数秒の読み込みのあと、ステータスが「公開中」に変わりました。指が震えているのがわかりました。数ヶ月間、ひとりで作り続けてきたものが、ようやく世界に出た瞬間でした。 でも、その後で起きたことが、自分でも予想外でした。告知ツイートの下書きを開いて、書きかけて、消して——それを何度も繰り返して、結局その日は何も投稿できませんでした。アプリは確かにリリースされているのに、誰にも知らせていない。世界に出たけれど、誰もいない場所にそっと置いてきたような、妙な感覚でした。 この記事は、そんな体験について書きます。リリースはできたのに、発信できなかった。あの数日間に自分が何を感じていたのか、そして小さな一歩を踏み出したらどんなことが起きたのか。同じような気持ちを抱えたことのある方に、少しでも届いたら嬉しいです。
振り返ってみれば、リリースにたどり着いたこと自体、並大抵のことではありませんでした。アイデアを思いついた日から数えると、構想・設計・実装・テスト、そしてストアへの申請——それぞれの段階で、何度も心が折れかけました。
「こんなの誰が使うんだろう」と思いながら画面を閉じた夜が、何度もありました。似たようなアプリがすでにあることを知って、一晩落ち込んだこともありました。それでも手を動かし続けて、なんとかリリースまで漕ぎつけた。そのこと自体は、本当にすごいことだったはずです。
でも、リリースした瞬間、達成感よりも先に別の感情がやってきました。
「さあ、告知しよう」——そう思って開いた投稿画面で、Lilyは固まってしまいました。
何を書けばいいのか。「リリースしました!」だけでは素っ気ない。でも長く書こうとすると、どこか自分を売り込んでいるような気がして落ち着かない。スクリーンショットを添えようか、でも画面が地味すぎるかもしれない——そんなことを一時間くらいぐるぐると考えて、結局その日は何も投稿しませんでした。
夜、アプリのダッシュボードを開くと、ユーザー数は0のままでした。当たり前です。誰にも教えていないのだから。
翌日も、その次の日も、下書きを書いては消す日々が続きました。
告知できない理由を自分なりに探ってみると、根っこにあったのは「刺さらなかったときの恐怖」でした。反応がゼロだったら。リプライも、いいねも、RTも来なかったら——それはすなわち「誰にも必要とされていない」という現実を突きつけられる気がして、怖かったのだと思います。
でも、それ以上に怖かったのは「笑われること」でした。
個人開発者のコミュニティはあたたかい人が多いと知っています。でも、心のどこかで「こんなもの作ってどうするの」「なにこれ」と思われることを想像してしまう。実際にそういうリプライが来るとは思っていなくても、可能性がゼロではないと思うと、投稿ボタンに指が伸びませんでした。
この感覚、うまく言語化するのが難しいのですが——「作ること」と「見せること」は、全然別の行為なんだと、そのとき初めて実感しました。作るのは自分の世界でできます。でも見せるのは、他者の存在が必要で、その他者がどう反応するかはコントロールできない。その不確かさが、怖かったのです。
リリースから5日が経ちました。
アプリは公開されている。でも誰も知らない。ダッシュボードの数字はずっと0か1(おそらく自分のアクセス)のまま。その状況を眺めながら、Lilyはだんだん別の感情を抱えるようになっていました。
罪悪感、です。
「せっかく作ったのに、告知しなかったら意味がない」という気持ちと、「でもまだ勇気が出ない」という気持ちが、毎日ぶつかり合っていました。そのうち、アプリのことを考えること自体が少しつらくなってきて、ダッシュボードを開く回数も減っていきました。
よくない状態になっている、とうすうす感じていました。でもどうすればいいかわからなかった。「思い切って投稿しよう」と背中を押してくれる人も、身近にはいませんでした。ひとり開発の孤独というのは、こういう瞬間に一番強く感じるものだと思います。
転機は、意外なところからやってきました。
別の個人開発者の方が「リリースしました!」とつぶやいているのを見かけたんです。いいねがたくさんついていて、コメント欄もあたたかかった。その投稿を眺めながら、ふと思いました。「この人も、最初は怖かったのかな」と。
その方が実際に怖かったかどうかはわかりません。でも、その想像をした瞬間に、なんだか急に「もういいか」という気持ちになりました。完璧な告知文じゃなくていい。バズらなくていい。ただ、「作りました」と言うだけでいい。
その夜、Lilyはほとんど考えずに投稿しました。文章はシンプルで、スクリーンショットを一枚貼っただけ。「○○を作りました。よかったら使ってみてください」——それだけでした。
押した瞬間、胃のあたりがぎゅっとなりました。スマホを伏せて、しばらくそのまま放置しました。怖くて通知が見られなかったのです。
15分後くらいに恐る恐る画面を見ると、いいねが数件ついていました。「おめでとうございます!」というリプライも一件来ていました。それだけでした。バズってもいなかった。でも、笑われてもいなかった。
なんか、泣きそうになりました。
正直に言うと、「刺さらなかったら」という恐怖が現実になったわけです。大きな反響はありませんでした。でも、感じたのは絶望ではなく、妙な安堵でした。
思っていたより、ずっとあたたかかったのです。
数件のいいね、一件のリプライ。それは数字としては小さいかもしれません。でも、誰かがLilyの投稿を見て、時間を使って、反応してくれた——それは確かなことでした。「誰にも届かなかった」のではなく、「小さく、でも確かに届いた」という感覚がありました。
その後数日で、アプリを試してくれた方が数人現れました。フィードバックをくれた方もいました。「こういう機能があったらいいな」というコメントが来たときは、本当に嬉しかったです。自分の作ったものが、現実の誰かの手に渡って、使われている——その実感は、告知ツイートを投稿するまでは絶対に得られなかったものでした。
この体験を経て、Lilyが気づいたことを書いておきます。
「発信」という行為は、自分の作ったものを世界に存在させるための、最後のステップなんだと思うようになりました。リリースは確かに大事です。でも、告知しなければ、そのアプリは実質的には存在していないのと同じです。木が森の中で倒れても音がしないように——誰にも知られていないリリースは、リリースしていないのと大きく変わらない。
それでも発信が怖い気持ちは、今でもわかります。消えてはいません。
でもあの数日間を経て思うのは——「刺さらなかったらどうしよう」という恐怖は、実際に投稿してみるまで答えが出ないということです。怖いまま想像し続けても、答えは出ません。小さくでもいいから声に出してみて初めて、現実がわかります。そして現実は、たいてい想像よりずっとやさしいです。
今、もし「リリースはしたけど告知できていない」という方がいたら、Lilyはただこれだけ伝えたいです。
バズらなくていいです。完璧な文章じゃなくていい。スクリーンショットが地味でも構わない。「作りました」の一言でいい。ハッシュタグも、長い説明文も、なくていいです。
ただ、声に出してみてほしいのです。
個人開発のコミュニティには、あなたの作ったものに興味を持ってくれる人が、必ずどこかにいます。全員じゃなくていい。一人でいい。その一人に届くためには、まず言葉にする必要があります。
Lilyも、まだ毎回怖いです。次のプロジェクトを告知するときも、きっとまた胃がぎゅっとなると思います。でも、あの数日間の後悔——アプリを誰も知らない場所に置いてきてしまったような感覚——は、できればもう繰り返したくない。だから、怖くても声に出すことを選ぼうと思っています。
作ったことは、すごいことです。でも、作ったことを誰かに伝えることも、同じくらい大事なことだとLilyは思っています。
あなたの「作りました」を、誰かが待っているかもしれません。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています