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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

リリースボタンを押した夜のことは、よく覚えています。ドキドキしながら公開して、SNSに告知を出して、「あとは待つだけだ」と思った。でも翌朝、管理画面を開こうとして、なぜかブラウザのタブを閉じてしまいました。その次の日も、その次の日も。 正確には、開けなかったのではなく、開けなかっ…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
リリースボタンを押した夜のことは、よく覚えています。ドキドキしながら公開して、SNSに告知を出して、「あとは待つだけだ」と思った。でも翌朝、管理画面を開こうとして、なぜかブラウザのタブを閉じてしまいました。その次の日も、その次の日も。 正確には、開けなかったのではなく、開けなかった自分を見ないふりしていたんです。「今日は忙しいから」「まだ早いから」「週末にまとめて見よう」と言い訳をしながら、数字と目を合わせることを先延ばしにし続けた。あのころの私は、ダッシュボードという存在がとにかく怖かったのです。 この記事は、そんな時期を過ごした体験の告白です。同じように数字を避けている人に届いたらいいなと思いながら、正直に書きます。
リリース直後というのは、不思議な時間です。やり切った達成感と、「本当に使ってもらえるんだろうか」という不安が、同じ胸の中に同居している。
私の場合、その不安のほうが勝っていました。数字を見て「誰も来ていなかったら」どうしようという恐怖です。具体的には、アクセス数が一桁だったり、登録ゼロだったり、そういう現実を突きつけられることへの怖さ。見なければ、まだ可能性は「ある」ことにできる。薄々わかってはいても、開かずにいることで、自分の中の淡い期待を保存していたんだと思います。
もう少し掘り下げると、当時の私にとって数字は「プロダクトへの評価」ではなく、「自分への評価」に見えていました。
アクセスが少ない=自分の作ったものが求められていない=自分の力不足、という変換が自動的に起きていたんです。だから数字を見ることは、自分を直接否定される感覚があって、すごく怖かった。
個人開発をしている人は、サービスと自分の境界線が薄くなりがちだと思います。自分が作ったものだから、それへの評価が自分への評価に感じられてしまう。これは、チームで作るプロダクトとは違う、個人開発の独特のしんどさのひとつだと、今なら言えます。
数日が週になり、週が月になっていきました。管理画面を開かないまま、なんとなく機能を追加してみたり、ランディングページの文章を直してみたり。「改善している」という体裁を保ちながら、本当に必要な情報から目を背けていたのです。
あとで数字を見たとき、衝撃でした。一番アクセスが集まっていたのは、私がほぼ手をつけていないページだったんです。逆に、私が時間をかけて改善していた部分は、ほとんど誰も見ていなかった。
見ていなかった間、私はいったい何に向かって走っていたんだろうと思いました。地図を持たずに「なんとなく北へ」と歩き続けた感じ。エネルギーは使っていたのに、方向がずれていた。それが一番もったいなかったと今は思います。
リリースから2ヶ月ほど経ったころ、ようやく腹を括って数字を見ました。そこでわかったのは、「見ない」ことにはそれ相応のコストがあるということです。
改善のヒントが埋もれていた。ユーザーの動きが見えていれば、もっと早く気づけたことがあった。逃げている間も時間は過ぎていて、その時間を回収する方法はない。怖いと思っていたものの正体は、実は「現実」だっただけで、現実は見なくても存在し続けていた。
正直に言うと、劇的な気づきがあったわけじゃないんです。ある日、同じく個人開発をしている人がSNSでこんな言葉を書いていて、それが刺さりました。
「数字は怖いけど、見ないと何も始まらない。ゼロでも、それがスタートラインなだけ」
その人も同じように怖かったんだ、という安心感と、「スタートライン」という言い方がいいな、と思ったんです。ゼロは「失敗の証明」じゃなくて「出発点」なんだと。
一度に全部を見ようとするから怖い、というのもあったと思います。それで、まず「1週間のアクセス数だけ見る」というルールを作りました。詳細なユーザー行動とか、コンバージョンとか、そういう複雑なものは後回しにして、ただ「何人来たか」だけを毎週月曜の朝に確認する。
それだけなら怖くない、と自分に言い聞かせて始めたら、意外と続けられました。習慣化されると、数字を見ることへの恐怖感が少しずつ薄れていきました。
小さな習慣を続けていくと、数字から学べることが増えてきました。そして、向き合い方が変わったことで、いくつか具体的に変わったことがあります。
ある週、急にアクセスが増えた。どこかでシェアされたのか、検索から流入が増えたのか。理由を調べるようになりました。
逆に、新しい機能を追加した週に、特に数字が変わらなかったこともあった。それはそれで情報で、「この機能は期待したほど影響がなかった」という事実として受け止められるようになりました。
感情の問題だと思っていたのですが、実は見方の問題でもあったんです。数字を「評価」として見るのをやめて、「ヒント」として見るようにしたら、少し楽になりました。
最初のうちはアクセスが一桁の日も普通にありました。最初はそれが怖かった。でも毎週見ているうちに、「ゼロも普通のこと」という感覚になってきた。
個人開発のプロダクトが、最初からたくさんの人に使われることのほうが稀だと思います。少ない数字を「現実として受け入れる」と、次に何ができるかを考えることにエネルギーを使えるようになる。受け入れることで、初めて動けるようになった気がします。
これが一番の収穫でした。見続けることで、「この記事を書いた翌日だけアクセスが増えた」とか「特定の曜日に来る人が多い」とか、細かい傾向が見えてくる。
大きな成長じゃなくていい。少しずつ何かが変わっていることを確認できると、続ける理由ができます。数字を見なかったころは、そういう小さな変化さえ見落としていたんだと気づきました。
正直に言うと、今でも気が重い日はあります。施策を打った直後、「効果があったかな」と気になりながらも、なかなか開けない日も。
でも以前と違うのは、「開けない自分」に気づいたとき、「また逃げてる」という言葉を自分に送れるようになったことです。自覚があれば、たいていその日のうちに開けます。
怖さがゼロになったわけじゃない。それでも、「怖さと一緒に見る」ことを覚えたという感じです。
数字を見るようになってから、「もっとちゃんとした分析をしなきゃ」と思うようになって、それがまたプレッシャーになったこともあります。ヒートマップを導入しなきゃとか、ユーザーインタビューをしなきゃとか。
でも今は、「できる範囲の数字を、できる頻度で見る」で十分だと思っています。個人開発は、すべてを完璧にやる必要はない。まず開けること、それが一番大事。
もしこれを読んでいる人の中に、ダッシュボードをしばらく開いていない人がいたら、一緒じゃないかなと思います。私も長い間、そうでした。
怖いのは当たり前です。自分が作ったものを数字で見るのは、ちょっと裸になる感じがする。それでも、見ないままでいることのコストも、じわじわと積み上がっていきます。
最初は数字を「見る」だけでいいと思います。分析も改善も、その後でいい。まず開けること、ただそれだけ。
私がそうだったように、開けてみたら「意外と大丈夫」だったという経験が、きっと積み重なっていきます。怖いものって、直視すると少しだけ小さくなりますから。
今日、ひとつだけ開いてみませんか。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています