この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

プロジェクトを途中で捨てたことが、何度あったかもう数えていません。 でも今日書きたいのは、「捨てた」話ではなく、「捨てそうになったのに、なぜか最後まで走り切れた」話です。 ある夜、つくっていたアプリの完成まで残り20%というところで、急に手が止まりました。コードは動いている。デザ…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
プロジェクトを途中で捨てたことが、何度あったかもう数えていません。 でも今日書きたいのは、「捨てた」話ではなく、「捨てそうになったのに、なぜか最後まで走り切れた」話です。 ある夜、つくっていたアプリの完成まで残り20%というところで、急に手が止まりました。コードは動いている。デザインもほぼ整っている。リリースまであと少し。なのに、画面を閉じてベッドに転がってしまいました。焦りと倦怠感がまじった、あの独特の苦しさ。似たような経験、ありませんか?この記事は、その夜のことを正直に振り返ったものです。同じ感覚を知っている人に、少しでも届いたら嬉しいです。
個人開発をしていると、序盤と中盤はなんだかんだ楽しいんです。
最初はアイデアだけがあって、「これをつくったら面白いかも」という期待だけで走れます。何も形になっていないからこそ、すべてが可能性に見える。中盤は課題と格闘しながらも、少しずつ形になっていく手応えがあります。「動いた!」という瞬間の喜びが、疲れを上回ってくれます。
問題は終盤です。技術的に難しい部分はすでに乗り越えた。機能のほとんどは完成している。残っているのは、細かいバグの修正とか、エラー処理とか、説明文の整備とか、地味で目立たない作業ばかり。そのうえ「完成」という出口が見えてきたぶん、「本当にこれでよかったのか」という不安が急に大きくなってきます。
序盤の「何でもできる気がする」ではなく、終盤の「本当にこれで大丈夫か」。後者のほうが、何倍も重たいのです。誰かに言われてはじめて気づきましたが、終盤の苦しさは序盤の楽しさの代償みたいなものなのかもしれません。
そのときつくっていたのは、シンプルなiOSアプリでした。コア機能は全部実装済みで、提出もすぐできる状態でした。
なのに、ある夜を境に一切触れなくなりました。
「明日やろう」が「今週やろう」になり、気づいたら10日以上ファイルを開いていませんでした。不思議なのは、嫌いになったわけじゃないんです。むしろ、完成したときのことを想像すると今でも嬉しい気持ちはある。なのに、手が動かない。作業フォルダのアイコンを見るだけで、なんとなく気が重くなる。自分でも何が起きているのかよくわかりませんでした。
後で気づいたのですが、あの停滞は「やる気の問題」じゃなかったんです。
一番しんどかったのは、完成させることで「評価される立場」になるという事実でした。
完成前は、まだ安全地帯にいられます。「つくっている途中」は失敗でも何でもない。でも完成してリリースすれば、誰かに使われて、感想が返ってきて、場合によっては「使えない」と思われるかもしれない。そのリスクをリアルに感じ始めると、わざと完成させないことで傷つかないようにしようとしていた気がします。
無意識の自己防衛だったのかもしれません。「まだ完成していない」という状態が、一種の盾になっていました。
もうひとつ厄介だったのが、完成が近づくにつれて、急に細かいことが気になりだしたことです。
フォントがちょっと違う気がする。このUXは本当に正しいか。もっといい方法があるんじゃないか。序盤には気にならなかったことが、終盤になって次々と浮かんでくる。完璧主義のような気分になりながら、実は完成から逃げているだけでした。
こだわりと逃避は、外から見るとそっくりです。自分でも区別がつかなくて、しばらくそれが「本当のこだわり」だと信じていました。
正直に言うと、「やる気が戻ったから」ではありません。
やる気を待っていたら、今でもリリースできていなかったと思います。それよりも、ふとしたきっかけで「あ、やっぱり完成させたい」と思えた瞬間がありました。小さな、本当に些細な出来事でした。
solomakerやtsukuttaのタイムラインに流れてきた、誰かの「完成しました!」という投稿でした。
知らない人でしたが、「ついにリリースできました」「迷いながらも最後まで作り切りました」という一言が刺さりました。同じようにつくっている人がいる。同じように迷って、それでも前に進んだ人がいる。あのとき、もし自分が完成させたらこういう気持ちになれるのかな、と思えたことが大きかったです。
勝手な共感だとわかっていても、「ひとりじゃないかもしれない」という感覚は、じわじわと効いてきました。
一番効いたのは、発想の転換でした。
「いいものをつくる」から「まず完成させる」に目標を下げたのです。
リリースした後にいくらでも改善できます。v1.0は完璧じゃなくていい。むしろ不完全なほうが、使ってくれた人の声を聞いて育てる余白が生まれる。そう決めたら、「完璧じゃないとリリースできない」というブレーキが少しだけ外れました。
その日から、1日30分だけ触ると決めました。考えすぎず、ただ手を動かす。それだけです。
30分ルールで、意外とはかどりました。
「今日はエラー処理だけ直す」「今日は説明文を書く」と、タスクを細かく切ったことで、毎日小さな「完了」を体験できるようになりました。モチベーションというのは、作業の前につくるものではなく、作業の後に生まれるものだと改めて実感しました。
「やる気が出たら作業しよう」ではなく、「作業した後にやる気が出る」。順番が逆だったんです。
リリースしたあと、思ったよりずっと清々しい気持ちでした。
「こんなんで大丈夫か」と怯えていたわりに、使ってみた人から「シンプルで好き」と言ってもらえたりして、自分が気にしていたことの半分は杞憂でした。リリース前の自分に伝えるとしたら、「そんなに怖くないよ」と言いたいです。
もちろん、改善したい部分は今でもたくさんあります。フォントの問題も、UXの問題も、まだ全部解決していません。でも「完成した」という事実は、どんな不完全さよりも重かったです。完成したからこそ、次に何を直すべきかが見えてきた。
リリースできた人を観察していると、みんな似たようなことを言います。「最初から完璧を目指さなかった」「一旦出して反応を見た」「v1は実験だと思っていた」。
逆に、何年もつくり続けているのにリリースできない人は、「まだ足りない」「もっとよくしてから」という言葉を繰り返します。どちらが充実しているかというと、完成させた人のほうが絶対に楽しそうです。完成させることで生まれる次のステップが、モチベーションを持続させているように見えます。完璧を追うより、完成を重ねるほうが、長く走り続けられる気がしています。
今でも、終盤に差し掛かると同じ感覚が来ます。
「あとちょっと」のタイミングで、急に怠くなる。やる気が消える。別のアイデアが急に魅力的に見えてくる。不思議なくらい、いつも同じパターンです。これはきっと一生続くんだと思います。
でも今は、その感覚が来たとき「ああ、またこれか」と思えるようになりました。嵐が来ていることを知っていれば、少し落ち着いて対処できます。怖いのは、嵐だと気づかずに方向感覚を失うことだから。
ひとつお願いがあるとすれば、「やめる前に一回だけ、30分だけ触ってみてください」ということです。やる気を待つのではなく、手を動かしてみる。それだけで、意外と続きが見えてくることがあります。
あの夜、ベッドに転がりながら、「もうやめようかな」と本気で思っていました。
でも今、そのアプリを使ってくれている人がいます。リリースしなかったら、その人には届かなかった。それだけで、あのとき走り切れてよかったと思えます。
完成まで、あとちょっと。しんどいのは、もうすぐ終わるからです。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています