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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

エッセイを書きます。 あれは、何度も何度も夢で見た瞬間でした。リリースボタンを押して、アプリがストアに公開される、その瞬間。ずっと待ち望んでいたはずなのに、実際にその瞬間が来たとき、Lilyはひとりでノートパソコンの前に座って、ただ画面を見つめていました。 誰かに報告したかった。…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
エッセイを書きます。 あれは、何度も何度も夢で見た瞬間でした。リリースボタンを押して、アプリがストアに公開される、その瞬間。ずっと待ち望んでいたはずなのに、実際にその瞬間が来たとき、Lilyはひとりでノートパソコンの前に座って、ただ画面を見つめていました。 誰かに報告したかった。でも、正直に言うと、まず誰に話せばいいかわからなかったんです。家族には「アプリを作ってる」と話したことはあったけれど、技術のことはなんとなく伝わらない。友人には「なんか趣味でやってるやつ?」くらいの温度感で見られていた。SNSに投稿しようとしたけれど、下書きを3回書いて3回消しました。 この記事は、そのリリース直後の「完全な静寂」について書きます。何ヶ月もかけて作ったものを世界に出した瞬間、世界が何も反応しなかった、あの時間のことを。それがどれほど想定外で、どれほど心細かったか。そして、それでも次の一歩を踏み出せた理由を、できるだけ正直に綴ってみようと思います。
Lilyがそのアプリを作り始めたのは、ちょうど前の年の秋口でした。きっかけはとても地味なもので、自分自身が欲しかったツールが世の中になかったから、という、よくある理由です。
最初は軽い気持ちでした。「まあ、数週間でできるかな」と思っていたのが、気づいたら年を越え、桜が咲いて、梅雨が来ていました。途中で設計をゼロから作り直したり、ある機能の仕組みを根本から変えたり、デザインを何十回も修正したり。思っていた以上に時間がかかったし、思っていた以上に愛着が湧いていました。
でも同時に、こういう感覚もずっとあったんです——「リリースさえすれば、何かが変わる」という予感。具体的に何がどう変わるのかはわからなかったけれど、「完成させる」「世に出す」という行為そのものが、自分の中で大きなマイルストーンになっていました。
リリースする前夜、Lilyはほとんど眠れませんでした。バグが残っていないか、説明文の誤字はないか、スクリーンショットは見やすいか、何十回も確認を繰り返しました。
緊張していたし、期待もしていました。「もしかしたら、誰かが使ってくれるかもしれない」「フィードバックをもらえるかもしれない」「同じ課題を抱えている人に届くかもしれない」——そういうポジティブな想像が、頭の中をぐるぐると回っていました。
公開ボタンを押したのは、たしか平日の夜でした。審査が通り、「公開済み」というステータスに変わったとき、Lilyはまず深呼吸をしました。やり遂げた。そう思いました。
そしてSNSに、短い告知を投稿しました。「作りました」という1行に、リンクと簡単な説明を添えて。
それから——静寂が来ました。
最初の1時間。通知はありませんでした。まあ、そうかな、と思いました。
最初の半日。ダウンロード数は、数件。知り合いが押してくれたのかもしれない。
翌日の朝。SNSの告知へのリアクションは、ほとんどありませんでした。いいねが数個。コメントはゼロ。
正直に言います。かなりこたえました。
「反応がないとは思っていなかった」というのが本音です。完全にゼロとは、予想していなかった。「少しくらいは……」という期待が、静寂によってひとつひとつ消えていく感覚。あれは独特のしんどさでした。
何ヶ月も時間をかけてきたという事実が、逆に重くのしかかってくる気がしました。「こんなに時間をかけたのに」「こんなに頑張ったのに」——そういう言葉が頭の中に浮かんでは、消えました。
でも、それと同時に、もうひとつの声もどこかにあったんです。「誰も気づかなかったのは、まあそうかもしれない」という、冷静な自分の声。
少し時間が経って、ようやく落ち着いて考えられるようになったとき、Lilyは思いました。当たり前だよな、と。
世界には、毎日何千ものアプリがリリースされています。ストアには数百万のアプリが並んでいます。Lilyのアプリが「いきなり見つかる」というのは、路上に紙を1枚置いて「誰かが読んでくれるだろう」と期待するようなことで、それは正直、甘い見通しだったと思います。
「作ること」と「届けること」は、まったく別のスキルです。Lilyは「作ること」に全力を注いでいたけれど、「届けること」にはほとんど何も準備していませんでした。告知のタイミング、どのコミュニティに投稿するか、どんなふうに紹介するか——そういうことを、後回しにしていたんです。
個人開発をしていると、「リリース」がゴールに見えてくる瞬間があります。ゴールテープを切ったら、あとは自動的に何かが起きるような気がする。でも実際には、リリースはスタートラインのひとつに過ぎなかった。
これは失敗というより、思い込みの修正でした。「作った」から「使われる」には、まだいくつものステップがある。そのことを、リリース後に身をもって知ることになりました。
ひとつ正直に告白しておくと、Lilyはリリース前、「届けること」を考えるのが少し怖かった側面もありました。誰かに見せる前に、まず完璧にしたかった。でも、完璧を待っていたら、届けることを考えるタイミングは永遠に来ない。その矛盾に、リリース後に初めて気づきました。
Lilyが最初にやったことは、やめないこと、でした。
正直、「もういいかな」と思う瞬間もありました。誰も使っていないなら、メンテナンスを続ける意味は?という考えが、ちらっと頭をよぎった。でも、そこでやめたら、あの数ヶ月が「失敗談」として終わってしまう気がして、それが嫌でした。
だから、とりあえず1ヶ月は続けてみようと決めました。反応がなくても、週に1回は何かしら改善してみる。それだけ。目標もKPIも設定しませんでした。ただ、続けることだけを決めました。
少し立ち直ったころ、Lilyはこんなことをやってみました——個人開発者が集まるオンラインのコミュニティで、「作りました」ではなく「こんな課題があって、こう解決してみました」という形で紹介したんです。
すると、初めてコメントが来ました。「同じこと困ってた」「使ってみます」というシンプルな言葉でしたが、Lilyはそれを読んで、少し泣きそうになりました(笑)。
リリース告知は「作った」という事実の報告でしたが、コミュニティへの投稿は「誰かの課題に向けた対話」でした。この違いが、反応の差に出たんだと思います。
そのコメントをくれた方が、その後も継続して使ってくれるようになりました。フィードバックをもらい、改善して、また使ってもらう——その小さなサイクルが回り始めたとき、Lilyは思いました。これがスタートラインだ、と。
数字は小さいです。今でも、決して「バズった」とは言えない状態です。でも、「誰かひとりに届いた」という事実は、あのリリース直後の完全な静寂と、まったく違う手触りをしていました。
振り返ってみると、あの静寂にはひとつの贈り物が含まれていました。
誰も気づかなかったことで、Lilyは焦らずにアプリを改善できました。もしリリース直後にたくさんの人が来ていたら、バグや不完全な部分に大きく傷ついていたかもしれない。少し時間をもらって、落ち着いて直す余裕があったことは、後から考えれば悪くなかったと思っています。
もちろん、最初の静寂は辛かった。でも、それが「作る」と「届ける」の両方を学ぶきっかけになりました。
今、この記事を読んでくれているのが、もしリリースしたばかりで静寂に直面している方なら——それは正常です。あなたが作ったものの価値が低いのではなく、「届けること」がまだこれからなだけです。
個人開発は、長い旅です。スプリントではなくマラソン。リリース直後に誰も気づかなかったとしても、それはゴールじゃなくて、次のスタートの話をしているだけです。
最後に、正直に書きます。
Lilyが静寂の中でも前を向けたのは、格好いい理由からじゃありません。「これを諦めたら、もっと後悔しそうだった」という、それだけです。
「やめてしまったら、あとで絶対に後悔する」という感覚。それが、続けた理由のほぼすべてでした。
個人開発をしている人は、みんな何かを信じて作っています。その信念を、最初の静寂で手放してしまうのは、もったいない。あの静寂は、本当の意味でのテスト期間だったのかもしれません——何があっても、これを続けられるか?というテスト。
Lilyは、今もまだ続けています。まだ小さなプロジェクトですが、今日も誰かひとりが使ってくれています。それで、十分です。あなたが作ったものも、きっとまだ途中なだけです。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています