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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

リリースした日のことを、今でも鮮明に覚えています。ひと月以上かけて作ったアプリを公開して、ドキドキしながらアナリティクスの画面を開きました。数字はゼロ。翌日もゼロ。一週間後もゼロでした。 「まあ、しかたない」と自分に言い聞かせながら、でも正直どこかで傷ついていました。誰かが使って…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
リリースした日のことを、今でも鮮明に覚えています。ひと月以上かけて作ったアプリを公開して、ドキドキしながらアナリティクスの画面を開きました。数字はゼロ。翌日もゼロ。一週間後もゼロでした。 「まあ、しかたない」と自分に言い聞かせながら、でも正直どこかで傷ついていました。誰かが使ってくれれば何か変わる気がして、毎朝アナリティクスを確認するのが習慣になっていました。確認するたびにゼロを見て、少しずつ気持ちが萎んでいく感覚。あれは、静かな消耗でした。 この記事は、そんな時期のあとに起きた小さな出来事について書いています。アナリティクスにはじめて「見知らぬ誰か」のセッションが表示された日。その瞬間に感じた気持ちと、その体験が自分の作り方の根っこをどう変えたか——同じように個人開発をしているみなさんに、正直に話してみたいと思います。
アプリを公開したのは、ちょうど深夜のことでした。「えいっ」と勢いでボタンを押して、震えながらストアのページをスクリーンショットして、一人でひっそり喜びました。自分のページがウェブ上に存在している。そのことだけで、その夜は満足していました。
でも翌朝、現実が静かにやってきます。
アナリティクスのダッシュボードを開くと、セッション数は0。ダウンロード数も0。ユーザー数も0。ぜんぶゼロが並んでいました。頭では「そりゃそうだ、誰にも告知していないし」とわかっているのに、それでも何かが胸にひっかかりました。
最初の一週間は「まだリリースしたばかりだから」と思っていました。二週間目は「SNSで宣伝すれば変わる」と思っていました。三週間目になると、何も思えなくなっていました。
毎朝アナリティクスを開いて、ゼロを確認して、閉じる。この繰り返しが、静かに気力を削いでいきました。作ること自体は好きだったのに、「作ったものを誰かに届ける」という工程の難しさに、はじめて本気でぶつかっていた時期だったと思います。
「自分用に作ったものだから、自分だけが使えればいい」——そう言い聞かせることで、なんとか心のバランスを保っていました。でも本当にそれだけで満足していたかというと、正直なところ、違っていました。
リリースから約三週間が経ったある朝のことです。いつものようにアナリティクスを開きました。ゼロを確認して閉じようとしたとき——数字が違いました。
セッション数が、1になっていました。
え、と思って画面を二度見しました。自分の端末からのアクセスではありません。別のOSバージョン、別の地域からのセッション。明らかに、自分ではない誰かです。
しばらく、そのまま画面を眺めていました。
正直に書きます。最初に感じたのは、驚きでした。それから、じわじわと「誰かが来てくれた」という実感が広がってきました。たった一人。知らない誰か。それだけのことなのに、目が少し潤みました。
一人で作業してきた数週間の間、どこか「自分の作ったものは誰にも必要とされないのかもしれない」という気持ちが積もっていたんだと思います。その感覚を、見知らぬ誰かのセッション1件が、静かに溶かしてくれました。
「誰かが来てくれた」というただそれだけのことが、あんなに嬉しいとは思っていませんでした。
その日をきっかけに、アプリへの向き合い方が少しずつ変わり始めました。
それまでは「自分が欲しいから作る」という視点で、ほとんどすべてを考えていました。使いたい機能を実装して、自分が納得するデザインに整えて、自分がテストして公開する。そのループの中に、「使ってくれる誰か」の存在を真剣に想像する余地がありませんでした。
でも、あの一件のセッションを見た瞬間、はじめてリアルに思いました。
「この画面を、今日、どこかにいる誰かが実際に見たんだ」と。
それからは、機能を一つ追加するたびに「あの見知らぬ誰かが使ったらどう感じるだろう」と考えるようになりました。大げさな変化じゃなくて、本当に小さな視点の移動です。でもその移動が、作るものの質感を変えていきました。
エラーメッセージの文言を、もう少し丁寧に書き直す。読み込みが遅い箇所に、短いフィードバックを追加する。初めて使う人がつまずきそうなところに、説明をそっと添える。
どれも小さなことです。でも「誰かが実際に使っている」という実感があると、その小さなことへの本気度が変わりました。
「自分のために作る」という姿勢は、今でも大切にしています。誰かのウケを狙って、自分が作りたいものを見失うことほど苦しいことはないと思っているからです。
でも「自分のために作る」が「誰かのことは考えなくていい」と同じ意味ではない、とわかりました。自分の課題を真剣に解決しようとすること、その誠実さが、同じ課題を持つ誰かに届く。そういう構造があるんだ、と。
あの一件のセッションは、その構造をはじめて体感させてくれた出来事でした。
セッションが現れた日の夜、私は一つだけ行動を起こしました。アプリのストア説明文を書き直したんです。
それまでの説明文は、自分が何を作ったかを淡々と記述しているだけでした。「このアプリは〇〇ができます」という事実の羅列。でも書き直した文章は、「どんな状況で役に立つか」「使い始めてすぐ何ができるか」を意識したものにしました。使う人の目線で言葉を選ぶ、ということを、そのとき初めて本気でやった気がします。
その後もゆっくりと、小さな改善を続けました。
問い合わせ先を、目立つ場所に置くようにしました。フィードバックがほしい、という言葉をアプリの中に一言添えるようにしました。SNSで更新情報を告知することも、少しずつ始めました。
どれも、特別なことではありません。でも「見知らぬ誰か」の存在をリアルに感じてからでないと、こうした行動を取れなかっただろうとも思います。ゼロが続いていた期間は、それらの行動を「意味があるのかな」と感じてなかなか動けませんでした。
一人でも「来てくれた」という事実が、行動のハードルをぐっと下げてくれました。
この話を書きながら、今でもゼロが続いている自分を想像します。あのとき、もし三週間後のあの日にあのセッションが来ていなかったら、私はどうしていただろうと。
たぶん、モチベーションが続かなくて、静かにアプリを放置していたと思います。更新しなくなって、いつのまにか公開ページだけが残って、自分の中でもその存在が薄くなっていく——そういう道をたどっていたかもしれません。
個人開発は、誰かに届くまでが本当に長いです。作るのに時間がかかって、公開してもすぐには届かなくて、届いたかどうかも最初のうちはなかなかわかりません。
でも届く日は、突然やってきます。
こちら側が何も変えていないのに、どこかの誰かが検索して、たどり着いて、画面を開いてくれる瞬間が、ある朝ふいに来ます。あの一件のセッションが教えてくれた一番大切なことは、そのことかもしれません。
あれから、アプリは少しずつ使ってもらえるようになりました。今でも大きな数字じゃないし、バイラルに広まったわけでもないです。でも毎月、知らない誰かが使ってくれています。アナリティクスを開くたびに、最初の「1」のことを思い出します。あの朝、ゼロじゃなかった日のことを。
もしこれを読んでいるあなたが、今ゼロの日々の中にいるなら——まず、公開したこと自体がすごいことだと伝えたいです。作り続けて、完成させて、外の世界に出した。そのことを、どうか軽く扱わないでほしいと思います。
届くまでの時間は、人によって、作るものによって、全然違います。三週間の人もいれば、三ヶ月の人も、一年の人もいます。でも届いた瞬間は、どんな小さな「1」であっても、ちゃんと嬉しいものです。それは保証できます。
一つだけ、もし余裕があればやってみてほしいことがあります。ストアの説明文や、公開ページの文章を、「使う人の目線」で一度読み返してみることです。「自分が何を作ったか」ではなく、「相手が何を得られるか」という視点で。大きなリニューアルじゃなくていいです。一文書き直すだけでも、違います。
私はあの朝の「1」を、今でも大切に覚えています。
だから、もう少しだけ、続けてみてほしいと思います。あなたの作ったものが、どこかの誰かに届く朝は、きっと来ます。それが来たとき、続けていてよかったと、きっと思えるはずです。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています