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何本目かのアプリをリリースした夜、SNSにそっと告知を流して、そのままベッドに倒れ込みました。達成感でも疲労でもなく、ただ「また出した」という静かな事実だけが胸にありました。最初のアプリを出したときの、手が震えるような緊張は、どこかに消えてしまっていました。 それが寂しいことなの…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
何本目かのアプリをリリースした夜、SNSにそっと告知を流して、そのままベッドに倒れ込みました。達成感でも疲労でもなく、ただ「また出した」という静かな事実だけが胸にありました。最初のアプリを出したときの、手が震えるような緊張は、どこかに消えてしまっていました。 それが寂しいことなのか、成長なのか、当時はよくわかりませんでした。でも今になって振り返ると、あの静けさこそが、自分の中で何かが変わったことのサインだったと思っています。 このエッセイは、アプリを量産してきた経験談です。技術的な話ではありません。作り続けることで、自分の思考や感情がどう変わったか――そういう、少しだけ内向きな話を書かせてください。同じように手を動かし続けている人に、何かひとつでも届けばと思っています。
最初に個人でアプリを作ったとき、Lilyはそれを「完璧にしてから出す」と決めていました。デザインはもっと洗練させたい、機能はもう少し増やしたい、文言がまだ気になる、スクリーンショットの見栄えが悪い――そういう理由でリリース日は何度も延びました。
3ヶ月かけて作ったものが、結局ほとんど誰にも使われなかったとき、正直かなり落ち込みました。でも今思うと、あの3ヶ月で一番時間を食っていたのは「作ること」ではなく「出す勇気を持つこと」だったんです。コードを書いている時間よりも、「これで大丈夫かな」と悩んでいる時間のほうが長かった。
振り返ると、「もっと良くしたい」という気持ちの裏には、「失敗したくない」という気持ちが強くありました。出さなければ批判されない。未完成のままなら、「自分の実力はこんなもんじゃない」と言い訳ができる。
完璧主義って、品質へのこだわりだと思っていたんですけど、実態は怖さから目をそらすための、上手な言い訳だったんだと思います。当時のLilyには、それが全くわかっていませんでした。
転機は、あるオンラインコミュニティで他の個人開発者の方の話を聞いたことでした。月に一本出すことを淡々と続けている人がいて、その姿勢に素直にびっくりしました。
「クオリティより数を出すことに意味があると思っているわけじゃない。でも、出さないと何もわからないから」
その一言が刺さりました。Lilyはずっと、出す前に「わかろうと」していたんです。誰かが使いたいか、どんな機能が要るか、デザインはどうすべきか――全部、出す前に正解を見つけようとしていた。でも実際には、出してみるまで何もわからない。頭の中でどれだけシミュレーションしても、現実のユーザーとの接触には勝てない。
その気づきから、「とにかく出してみる」という方針に切り替えました。もちろん最初から割り切れたわけではなくて、最初の数本は出すたびにそれなりにドキドキしていました。でも、一本一本出すたびに、少しずつその緊張が薄れていきました。
5本、10本と出すうちに、判断する速度が上がりました。「この機能は入れるか入れないか」「このデザインはこれで行くか作り直すか」――そういう判断を、以前は1〜2日かけて悩んでいたのが、30分くらいで決められるようになりました。
理由はシンプルで、判断の基準が体に染み込んできたからだと思います。「どうせ出してみないとわからない」という経験則が積み重なると、「とりあえず出してフィードバックを見よう」という判断が自然になっていく。正解を探すのをやめて、仮説を試すことに慣れていくんです。悩んでいる時間が短くなると、単純に作れる本数も増えるので、いい循環が生まれます。
以前のLilyにとって「失敗」は、使われないアプリをリリースすることでした。でも今は違います。何も学べなかったリリースが失敗で、たとえ0ダウンロードでも「○○は刺さらなかった」という学びがあれば失敗じゃないと思っています。
これは言葉遊びではなくて、本当に感覚が変わりました。数字が悪くても、「なんで使われなかったんだろう」とデータや反応を分析するのが、なんというか、楽しくなってきたんです。パズルを解く感覚に近い。
失敗が授業料だと言う人はたくさんいますが、実感を伴うには数を重ねる必要がありました。頭でわかっていても、体が怖がっていた。それが、量産することで徐々に解除されていきました。
最初のうちは、「ウケそうなもの」を作ろうとしていました。流行っているカテゴリを追ったり、他の人のアプリを参考にしたり。でも作り続けていると、自分が本当に興味を持てるテーマと、義務感で作っているテーマの差がはっきりしてきます。
義務感で作ったアプリは、細部への愛情が薄い。バグを直すのも億劫になるし、機能を追加する気力もわかない。一方、自分が「これ、ほしい」と思って作ったアプリは、使われなくてもいじり続けたくなる。
量産を通じて、自分の「作りたい」の輪郭がだんだんはっきりしてきました。これは、1本を大事に作り続けているだけでは、たぶん見えなかったことだと思っています。
良いことばかり書きましたが、量産中にしんどかった時期も正直あります。
ある時期、3本連続でほとんど使われないアプリを出しました。ダウンロード数は一桁、コメントもレビューもない。SNSで告知しても反応が薄い。「自分には向いてないのかな」「時間の無駄なんじゃないか」と思い始めたのを覚えています。
そのとき助けになったのは、同じように作り続けている人たちのコミュニティでした。うまくいっていない話を正直に書いたら、「自分もそうだよ」という返信がいくつかきて、なんだかほっとしました。失敗を隠さなくていいんだと、改めて思えた瞬間でした。
しんどいときに気づいたことがあります。「次のリリースまで絶対に諦めない」みたいな根性論では続かないということ。
Lilyがやるようになったのは、リリースの規模を意図的に小さくすること。機能を絞る。デザインを最小限にする。「これだけできれば出す」という基準を、あらかじめ決める。そうすると、完成までの距離が短くなって、続けやすくなります。
それと、数字を見る頻度を減らしました。毎日ダウンロード数を確認すると、気分が数字に引きずられる。週に一度だけ見るようにしたら、少し楽になりました。これは地味ですが、かなり効きました。
変わったことをたくさん書いてきましたが、変わらなかったこともあります。
「良いものを作りたい」という気持ちは、全く変わっていません。スピードが上がっても、「雑に出せばいい」とは思えない。使う人の体験を丁寧に考えたいという気持ちは、むしろ量産を続けるほど強くなっている気がします。アプリを出す回数が増えると、「この導線、自分だったら離脱するな」とか「このラベル、意味が伝わらないな」という解像度が上がってくるんです。
あとは、完成したときの、あの小さな達成感。何本作っても、リリースボタンを押す瞬間には、やっぱり少しだけ緊張します。それが消えていないことを、Lilyはひそかに大切にしています。
量産を続けてわかったことは、「アプリを出すことで何かを得よう」と思っているうちは、しんどいということです。バズを狙ったり、収益化を急いだり、評価を気にしすぎたり。それ自体が悪いわけではないけれど、それだけを目的にしていると、うまくいかないたびに折れそうになる。
「出すこと自体が練習で、練習がうまくなることが目的」と思えるようになってから、少し楽になりました。料理が上手になりたければ、食べてもらえるかどうかに関係なく、毎日料理する。それと同じだと思っています。うまくなった先に、誰かに喜んでもらえるものが作れる。
量が人を変えます。でも、それは一朝一夕ではありません。Lilyも、変化に気づいたのはかなり後になってからでした。もし今、出すのが怖くて止まっているなら、完璧でなくていいので、一度出してみてください。
最初の一歩は、いつも怖い。でも出してしまえば、次は少し怖くなくなります。そしてまた出す。その繰り返しが、気がつけば自分を変えていたりするんです。作り続けること自体が、いちばんの近道なのかもしれないと、Lilyは今そう思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています