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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

こんにちは、Lilyです。今日は技術的な話ではなく、個人開発をしていると必ずぶつかる「あの壁」について書きたいと思います。作るのは好き。でも、出すのが怖い。この感覚を言語化したくて、ずっとメモを書き溜めていました。 正直に言うと、わたしはリリースがあまり得意ではありませんでした。…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
こんにちは、Lilyです。今日は技術的な話ではなく、個人開発をしていると必ずぶつかる「あの壁」について書きたいと思います。作るのは好き。でも、出すのが怖い。この感覚を言語化したくて、ずっとメモを書き溜めていました。 正直に言うと、わたしはリリースがあまり得意ではありませんでした。「もう少し改善してから」「バグが1個残っているから」「UIをもう少しきれいにしてから」。そうやって言い訳を積み重ねて、気がつけば半年以上塩漬けにしたプロジェクトがいくつもあります。 このエッセイを読んでくださっている方の中に、同じような経験をしている人がいると思って書きます。決して「もっとがんばれ」と言いたいわけじゃないんです。ただ、あの怖さの正体を一緒に見つめて、少しだけ前に進めたら、それで十分だと思っています。
個人開発って、作っているときが一番楽しいですよね。
アイデアを思いついた瞬間の興奮、最初の画面が動いたときの感動、小さな機能がつながっていくときのパズルを解くような感覚。あのゾーンに入ると、時間があっという間に過ぎていきます。夜中の2時に「もう少しだけ」と思って気がつけば朝4時、なんてことも一度や二度じゃないはずです。
問題は、その楽しさが「作り続けること」に向かってしまうことです。完成に近づいているはずなのに、次のアイデアが浮かんでくる。「ここを改善したらもっと良くなるな」「この機能があれば、もっと使いやすいな」。そうやって終わりのない改善ループに入り、いつの間にか数ヶ月が経っていた、というのがわたしのよくあるパターンでした。
作ることへの愛着が強いほど、手放すのが怖くなる。これが最初の罠だと思っています。作るのが好きな人ほど、出すことがどんどん遠くなっていく。少し矛盾しているようで、でも実態はそういうものだったりします。
リリースを前にして感じる「怖さ」、あれは一体何なのでしょう。自分の感情を整理してみたら、いくつかの層に分かれていることに気づきました。
一番わかりやすいのは、批判への恐れです。
「バグがあったらどうしよう」「使いにくいと言われたら」「誰にも使われなかったら」。否定されることへの恐怖が、リリースボタンを押す手を止めます。
特に個人開発は1人でやっているから、プロダクトが否定されると自分が否定されたような気持ちになりやすいんですよね。チームで作っていれば「みんなで作ったもの」と少し距離を置けるけど、1人で作った作品は自分そのものという感覚があります。コードの1行1行に自分の判断が詰まっているから、それを否定されるのは、自分の思考を否定されるのと近い感覚がします。
もう一つは、完璧主義が仮面をかぶった先延ばしです。
「まだ完成していないから出せない」というのは、一見まともな理由に聞こえます。でも正直に自問自答してみると、本当に「完成基準」があって足りていないのか、それとも「批判されるリスクをゼロにしたい」という願望から逆算した言い訳になっていないか、微妙なときがあります。
わたしの場合、後者のことが多かったです。完璧にしようとすればするほど、怖さが消えるどころか「これだけ頑張ったのに批判されたら余計に傷つく」という重圧が増していました。完璧主義は保険のつもりが、むしろリスクを増やしていたんです。
意外と見落とされがちなのが、この感覚です。
批判されるのも怖いけど、誰にも気づいてもらえない、完全にスルーされる可能性も同じくらい怖い。頑張って作ったものが、世界に出した瞬間に静寂に包まれる。それを想像するだけで、むしろ出さないほうがまだ可能性が残っているような気がしてしまいます。
「シュレーディンガーの個人開発」とでも呼びましょうか。出す前は、成功も失敗も同時に存在している。出した瞬間に、現実が決まってしまう。だから出せない。
過去を振り返ってみると、リリースできなかったプロジェクトがいくつもあります。
ひとつは、友人向けのスケジュール調整ツールです。外部サービスとの連携が思ったより難しくて、「完璧に動くようになってから出そう」と決めたら、そのまま1年以上放置しました。今では似たようなサービスがいくつも出ていて、当時出していればなあ、と思います。
別のプロジェクトは、自分が使いたくて作ったメモアプリです。機能はほぼ完成していたのに、「デザインがダサいから恥ずかしい」という理由でお蔵入りにしました。でも実は、そのデザインのダサさは今見直してもそこまでひどくないんです。当時の自分には「他の人の目に映る自分のセンス」がとにかく怖かったんだと思います。
両方に共通しているのは、「完成していないから出せない」という建前の裏に「傷つきたくない」という本音があったことです。完成度の問題ではなく、感情の問題でした。気がついたのは、だいぶ後のことでしたが。
変わったきっかけは、割と地味な出来事でした。
あるとき、完成度60%くらいのプロトタイプを、「まあ仲のいいコミュニティだし」という気持ちで半ばノリで共有したんです。本当に気軽に、「作ってみたんだけど、こんな感じです」くらいの温度感で。
反応は、思ったより温かいものでした。バグを指摘してくれた人もいましたが、それよりも「こういう機能があったら嬉しい」「自分もこういうの作りたかった」「続きが楽しみ」という声の方が多かったんです。
そのときに気づいたのは、「完璧に出来上がったものを見せる」のと「作っている途中を一緒に楽しむ」のでは、全然違うコミュニケーションが生まれるということでした。完璧なものを出す必要はない。むしろ「一緒に育てていく」感覚を持てるくらいの状態で出したほうが、温かい関係が生まれやすかったりします。
もちろん、用途や文脈によっては完成度が重要なケースもあります。でも個人開発の、特にコミュニティ内での共有なら、早く出す方がいいことの方が多い、と実感した出来事でした。
怖さが完全になくなったわけじゃないですが、少しだけ楽になった考え方や行動を共有します。
以前のわたしは「完成=完璧」だと思っていました。でも今は「完成=今の自分が出せる最善の状態」と定義を変えました。
それでも出すのが怖いときは「今後のバージョンで直せる」という言い訳を自分に許可しています。最初のバージョンが完璧じゃなくていい。最初のバージョンはただのスタートラインです。ゴールでもゴールテープでもなく、ようやくゲームが始まる瞬間。そう思うと、少し気が楽になりました。
「批判されたら怖い」という感情は、実はとても曖昧です。具体的にどんな批判が来たら、どうなるのかまで考えると、意外と怖くなくなることがあります。
「バグがあると言われる → 謝ってすぐ直す → むしろ信頼が生まれる」「使いにくいと言われる → ありがとうと言ってメモする → 次のバージョンに活かせる」。最悪のシナリオを具体化すると、たいていの批判は「対処できる問題」に変わります。漠然と怖がっているときより、ずっと冷静に向き合えます。
いきなり全世界に向けて公開するのではなく、信頼できる小さなコミュニティに先に見せる。それだけでだいぶハードルが下がりました。
「完成前のものを共有する」という経験を積み重ねることで、「出すこと」へのアレルギーが少しずつなくなっていきます。筋トレと同じで、小さな負荷から始めて慣らしていく感覚です。最初は怖くても、2回、3回と繰り返すうちに「あ、出しても世界は終わらないんだな」という感覚が体に染み込んできます。
これが一番大きな割り切りかもしれません。
どんなプロダクトも、出した後に改善します。完璧に見えるサービスだって、最初のバージョンは今よりずっと荒削りだったはず。「完璧になってから出す」を待っていると、永遠に出せません。出した後に完璧を追いかける、という順番に切り替えることが大切だと思います。「完璧にしてから出す」のではなく、「出してから完璧にしていく」。これがわたしの中での最大の意識転換でした。
怖さがなくなることはないと思っています。
むしろ、怖さを感じているということは、それだけ大切に作っているということの証拠でもあります。怖くないものを出しても、作っていて楽しくなかったはずです。怖さは、愛着の裏返し。そう思うと、少し怖さと仲良くなれる気がします。
ただ、怖さを感じながらでも出せるようになることは、練習でどうにかなります。
出したら、何かが変わります。反応がなくてもフィードバックがなくても、「自分は出せる人間だ」という小さな自信が積み重なっていきます。それが次の作品を作る燃料になる。作ることへの情熱を、出すことへの勇気につなげていく。そのサイクルが回りはじめたとき、個人開発がもっと面白くなります。
作り続けることと、出し続けること。この両方ができる個人開発者になりたいなあ、とわたしは思っています。まだまだ途中ですが、一緒に歩いていきましょう。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています