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個人開発をはじめてしばらく経ったころ、Lilyはある一種の焦りを抱えていました。アプリを作っては出し、また別のものを作っては出す。リリースのたびに「今度こそ」と思うのに、なかなか手応えが返ってこない。数を出せば出すほど、なぜか「これでいいのか」という気持ちが大きくなっていきました…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
個人開発をはじめてしばらく経ったころ、Lilyはある一種の焦りを抱えていました。アプリを作っては出し、また別のものを作っては出す。リリースのたびに「今度こそ」と思うのに、なかなか手応えが返ってこない。数を出せば出すほど、なぜか「これでいいのか」という気持ちが大きくなっていきました。
「数を出しましょう」という言葉は、開発者コミュニティでよく聞きます。確かにそうだと思いますし、Lilyも信じていました。でも、闇雲にリリースを重ねていた時期、それは「宝くじを買い続けること」と大差なかった気がしています。数さえ出せばいつか当たる、という漠然とした期待だけで走っていた。
この記事は、そんな時期を経て、「数を出すこと」の本当の意味を少しずつ理解していった話です。正直に言うと、今もまだ途中です。でも、気づいたことがいくつかあって、同じように走り続けている人の役に立てればと思って書きました。
個人開発をはじめたころ、Lilyにとっての「数を出す」は、とにかくリリースを増やすことでした。アイデアが浮かんだら作る。完成度は二の次で、まず出す。SNSで「個人開発者はスピードが命」という言葉を読んで、それを真に受けていました。
実際、最初の半年で5〜6本のプロダクトを出しました。ミニアプリ、ツール、ちょっとしたWebサービス。どれも「あったら便利かも」という動機でつくったもの。リリース直後はXに投稿して、少しインプレッションがついて、それで終わり。次のを作り始める。
その繰り返しの中で、Lilyはだんだんある感覚を持つようになっていきました。「作ること」の義務感、みたいなもの。楽しくないわけじゃない。でも、気づいたら「数を出さなければ」という焦りが先に立っていて、何のために作っているのかが少しぼやけていた気がします。
ある日、ふとこれまで作ったものを並べて眺めてみました。5本、6本、7本……と並べてみると、思わぬことに気づきました。反応がよかったもの、そうでもなかったもの、自分が作っていて楽しかったもの、途中で手が止まりがちだったもの。そこに、うっすらとしたパターンが見えてきたのです。
たとえば、「自分が実際に使いたくて作ったもの」は、どれも作っているときの熱量が違っていました。手が止まらなかった。そして、そういうものほど、出したときに「自分と似た困りごとを持っている人」から反応がありました。逆に、「こういうのが流行ってるから」とか「需要がありそうだから」という動機で作ったものは、完成した瞬間からなんとなく冷めていた。
量を出したことで、この差が見えるようになりました。1本や2本だったら、「たまたまだろう」で済んでいたかもしれない。でも7本並べたとき、もう偶然とは言えなくなっていました。
「当たりを探して数を出す」というイメージで動いていたとき、Lilyはずっと宝くじを引く感覚でいました。どこかに正解のアイデアがあって、それを当てにいく。外れ続けているのは、まだ当たりに辿り着いていないだけ、と。
でも、実際に量を出してみてわかったのは、「当たり」はあらかじめどこかにある正解じゃないということでした。作り続けているうちに、自分の中から育ってくる何か、という感じに近かったです。
スケッチブックに絵を描き続けているようなイメージだと思っています。最初のページよりも、50ページ目のほうが確実に何かが変わっている。線が変わっていたり、迷いが減っていたり、「自分が好きなもの」がはっきりしてきたり。当たりを「発見」するんじゃなくて、量の中で「育てる」んだと、ある日腑に落ちました。
量産の時期を振り返ると、正直「失敗したな」と思うプロダクトがいくつもあります。誰にも使われなかったもの、途中で放置してしまったもの、今見ると作りが荒くて恥ずかしいもの。
でも、そこで学んだことが、後のプロダクトに確実に流れ込んでいます。あのときうまくいかなかったUIの問題を、次の作品で別のアプローチで試してみた。あの失敗作で得た「こういうユーザーには刺さらなかった」という経験が、次を作るときの判断軸になった。
失敗作は単独で存在しているわけじゃない、というのがLilyの今の実感です。全部つながっている。消えていったプロダクトの経験は、次のプロダクトの骨格になっています。だから、「当たらなかったあの作品は無駄だった」とは思わないようにしています。無駄かどうかは、その後どう使うかで決まる気がするので。
量を出し続けていると、技術とは別のところが磨かれていく感覚があります。
ひとつは「完成の感覚」です。「これは出せる」「これはまだ」という判断が、少しずつ精度が上がってきました。最初は「完成した気がするから出す」という曖昧な基準でしたが、今は「誰かに使ってもらえる最低ラインはここ」という感覚が、自分の中に少し育っています。
もうひとつは「速さ」です。手が覚えることが増えると、次のプロジェクトのスタートが早くなります。毎回ゼロから考え直さなくていい部分が増える。これは目に見えにくい変化ですが、5本目と10本目では明らかに違いがありました。
そして、一番大きかったのは「趣味の明確化」かもしれません。自分がどんなものを作ると楽しいのか、どういうユーザーに使ってもらいたいのか。最初はぼんやりしていたそれが、量を出すにつれて輪郭がはっきりしてきました。これがいちばんの収穫だったと、今は思っています。
実はLily、最初のころはリリースがとても怖かったです。「誰かに見られる」「批判されたらどうしよう」「使い物にならないと思われたら」という気持ちがあって、完成しても公開をためらうことがありました。
でも、何度か出しているうちに気づいたことがあります。ほとんどの場合、世界は何も起きない。批判の嵐が来るわけでもなく、絶賛されるわけでもなく、静かに受け取られて、少しずつ使われていく(あるいは使われない)。それだけです。
この「何も起きない」という経験を重ねることで、出すことへのハードルが下がっていきました。出しても死なない、という安心感とでも言うんでしょうか。リリースが特別な儀式じゃなくて、ただの送信に近い感覚になってきた。そうなってから、作るスピードも自然に上がりました。完成度への執着が少し解けて、「まず渡してみる」という気持ちで動けるようになった気がします。
今、「数を出す」という言葉をLilyはこう理解しています。——試行を重ねることで、自分の地図を少しずつ描いていく作業。
当たりを探すためじゃなくて、自分が何者で、何を作りたくて、誰に届けたいのかを知るための手段として、量を出す。そういうふうに変わってきました。
だから今も、完璧じゃないものを出します。「もっと磨いてから」と思ったら、その先に出口が見えなくなることを知っているから。小さくてもいいから出して、反応を見て、次に活かす。それを繰り返していると、自分だけの「当たりの感覚」が少しずつ育っていきます。
もし今、数を出しているのに何も変わらないと感じているなら、少し立ち止まって、これまで作ったものを並べてみてください。どれが楽しかったか、どれに熱が入っていたか、どれを作っているときに手が止まらなかったか。そこに、うっすらと自分の輪郭が見えてくると思います。
当たりは向こうにあるんじゃなくて、あなたの中に少しずつ育っています。数を出すのは、その声を聞くための方法だとLilyは思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています