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リリース翌週、通知は1件も鳴らなかった アプリをリリースした翌朝、目が覚めてすぐスマホを手に取った。 5。 App Storeのダウンロード数を見て、「まだ少ないけど、これからだな」と思った。3日後に開いたら8になっていた。「着実に増えてる」と、少しだけ安心した。そして1週間後、…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
アプリをリリースした翌朝、目が覚めてすぐスマホを手に取った。
5。
App Storeのダウンロード数を見て、「まだ少ないけど、これからだな」と思った。3日後に開いたら8になっていた。「着実に増えてる」と、少しだけ安心した。そして1週間後、10になったまま動かなくなった。
正確に言うと、10のうち6人はわたし自身と、強制的にダウンロードしてもらった身近な人たちだった。見知らぬ誰かからの本当のダウンロードは4件。2ヶ月かけて作ったアプリが、現実には4人にしか届いていなかった。
そのとき感じた感情を正直に書くと、「悔しい」というより「恥ずかしい」という言葉の方が近かった。誰かに笑われているわけじゃない。でも、笑われているような気がしてならなかった。自分が何か大事なことを根本的に勘違いしていたような、居心地の悪さがしばらく続いた。
当時のわたしは、本気でそう信じていた。
機能が充実していれば、UIが丁寧であれば、使ってくれる人は自然と現れる。そう信じてひたすらコードを書いた。個人開発コミュニティで「バズった」と話題になっているアプリを眺めながら、「あれも似たようなコンセプトだな」「自分のほうが細部まで丁寧に作った」なんて思っていた。
この感覚が、最初の大きな勘違いだった。
App Storeには毎日何千ものアプリが新たに追加される。世界中の開発者が、自分と同じように「これは絶対に使える」と信じて作ったものを並べている。そのなかで「いいものを作った」は、出発点にすら立てていない。届ける努力を何もせずに、届かないことに傷ついていた。
でも当時のわたしにはそれが見えなくて、「機能をもっと増やせば変わるかもしれない」と、誰にも知られないまま更新を繰り返していた。通知は0のまま、バージョン番号だけが上がっていった。
あの時期を振り返ると、本当に的外れなことばかりしていたと思う。
誰も見ていないダッシュボードを1時間おきに開いた。ダウンロードが増えない理由を延々と考えた。「色が悪いのかもしれない」「起動が重いのかもしれない」「アイコンが地味すぎるのかもしれない」と、根拠のない仮説を立てては修正を繰り返した。機能を3つ追加した。UIを一から作り直した。説明文の言い回しを何十回も変えた。
でも、外に向けて何も発信しなかった。
問題の本質はシンプルだった。存在を知られていないのに、見つけてもらおうとしていた。
発信することが、なんとなく怖かった。「自分のアプリをSNSで告知する」という行為が、どこかはしたないものに思えていた。自分でもうまく言葉にできなかったけど、「大したものじゃないのに大げさに見える」「売り込みをしている人みたいに思われたくない」という気持ちがあったのだと思う。
でも本当はもっと深いところに怖さがあった。
作ったものを世に出して、反応がゼロだったとき。あるいは否定されたとき。それは作ったものへの評価ではなく、自分自身への否定のように感じそうで、怖かった。だから出さない方が傷つかなくて済む、という無意識の選択をしていた。
あるとき、フォロワーが100人もいないアカウントが「作りました」という一言とスクリーンショット1枚を投稿しているのを見かけた。
そのポストに、15件のリプライがついていた。3人が「ダウンロードしました」と書いていた。
わたしは2ヶ月間、機能追加とUI改善を繰り返して4ダウンロード。あの人は1投稿で3ダウンロードだった。
比べること自体がナンセンスかもしれない。でも、何かが崩れた気がした。
「まず知られなければ、存在しないのと同じだ」という当たり前のことが、ようやく腑に落ちた。どんなに丁寧に作っても、誰かの目に触れなければ評価されるチャンスすらない。見えない棚に並べた商品を、お客さんが来るのを待ちながら磨き続けていた。
そこから変えたことは、思ったより小さかった。
ひとつめは、完成した日に必ずどこかに投稿することにした。Xに、スクリーンショット1枚と「こういう場面で使えます」という短い一文。「宣伝」とか「告知」みたいに気張ったものじゃなく、日記の延長くらいの気持ちで書いた。
最初は投稿ボタンを押すまでに10分くらいかかった。それでも押した。
ふたつめは、個人開発コミュニティの場(Discordや、tsukuttaのような場所)に出してみた。「作ったものを見せあう」文化がある場所に、恐る恐る投稿した。
そこで起きたことが意外だった。知らない人から「こういうのほしかった」と言われた。機能について質問された。「ここをこうしたらもっと使いやすい」という具体的な意見をもらった。
批判じゃなかった。関心だった。
その瞬間、ちょっと泣きそうになった。大げさじゃなく、本当に。誰かが自分の作ったものに関心を持ってくれたという事実が、あの2ヶ月間の孤独な作業を報われた気にさせてくれた。
みっつめは、App Storeの説明文を書き直した。「できること」の列挙から、「どんな人がどんな場面で使うか」を最初に書く形に変えた。機能の説明は後半に回した。
コードは一行も変えていない。でも、その月のダウンロード数は少し増えた。数字よりも、「誰かに届いた」という感覚が戻ってきたことの方がずっと大きかった。
ここで「その後ダウンロード数が10倍になりました」と書けたら、話としてきれいに収まる。でもそうじゃないから、そうは書かない。
数字は少しずつ増えた。爆発はしなかった。今も地道に続けている。
でも変わったことがある。
「知られないのは自分のせいだ」という重い感覚が消えた。知られる努力をしていなかっただけだと、ようやく理解できたから。
フィードバックをもらうことが怖くなくなった。最初は怖かった。でも実際に届いた意見のほとんどは「ここをこうしたら」という前向きなものだった。全否定じゃなかった。無視でもなかった。
そして、関心を持ってくれた誰かがいるという事実は、続ける理由になった。それが一番大きかったかもしれない。一人で作り続ける孤独は、一人でも「面白い」と言ってくれる人がいるだけで、全然ちがうものになる。
これを読んでいる人のなかに、「わかる」と思った人がいるなら、たぶんあなたも似たところにいると思う。
アプリはちゃんと動く。機能も考え抜いた。でも届いていない。
そのとき必要なのは、もう一個機能を足すことじゃないと思う。今日、どこかに一言書くことだと思う。
tsukuttaでも、Xでも、Discordでも、どこでもいい。「作りました」「こういう人のために作りました」それだけでいい。長い文章じゃなくていい。スクリーンショット1枚でいい。
届けることは、宣伝じゃない。「作ったよ」と誰かに言う、それだけの勇気のことだと思う。
わたしはそれに気づくのに2ヶ月かかった。あなたは今日からできる。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています