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最初に白状しておくと、このエッセイを書こうと思ったのは、ほんの小さな出来事がきっかけです。誰かに語りたくて仕方なかった、というほど大げさな話でもありません。むしろ逆で——何も言えなかった、何も言わなかった、それなのにずっと心に残っている、そういう話です。 個人でアプリを作って公開…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
最初に白状しておくと、このエッセイを書こうと思ったのは、ほんの小さな出来事がきっかけです。誰かに語りたくて仕方なかった、というほど大げさな話でもありません。むしろ逆で——何も言えなかった、何も言わなかった、それなのにずっと心に残っている、そういう話です。 個人でアプリを作って公開したことがある方なら、少し分かっていただけるかもしれません。リリース直後の静けさ。ダウンロード数が一桁から動かない最初の数週間。「誰かに使われているのだろうか」という問いを、毎朝スマホを開くたびに自分に投げかける、あの感覚。わたしも、その時期をずっと過ごしていました。 今日は、そんな時期に起きたある朝の話をします。友達のスマホで、自分のアプリのアイコンを見つけた、あの日のことを。
アプリを公開したのは、ある春の終わりのことでした。半年ほどコツコツ作って、ようやくストアに申請して、審査を通って、「いよいよだ」と思いながらリリースボタンを押しました。
最初の数日は、自分でも何度もダウンロードして動作確認をしていたので、数字は少し動きました。でもすぐに止まりました。ゼロではない、でもほとんどゼロに近い、その状態が続きました。ストアのダッシュボードを開くたびに、グラフが横一直線に近い形で並んでいて、それを眺めているうちに「見なければよかった」と後悔する、という繰り返しでした。
正直に言うと、宣伝することに躊躇いがありました。SNSに「作りました」と書く勇気がなかったのです。もし反応がゼロだったら、と思うと怖かった。フォロワーが少ないわけではありませんでしたが、それでも「使ってみてください」と言って誰にも刺さらなかった時の、あの静けさを想像すると指が止まりました。
友人に直接勧めるのも、なんとなく気まずかった。「どうだった?」と聞いて、「うーん、使い方がよく分からなかった」と言われるのが一番きつい、と分かっていたからです。作ったものを否定されることへの恐れより、気を使われることへの恐れの方が、ずっと大きかった。だから結局、誰にも何も言わないまま、ただ数字を眺めていました。
リリースから数ヶ月経った頃、ダウンロード数は少しずつ増えていました。広告を出したわけでも、バズったわけでもありません。それでもごくゆっくりと、数字は動いていました。
そのひとりひとりが誰なのか、もちろん分かりません。名前も顔も知らない、どこかの誰か。でもその人たちは実際にアプリを開いて、何かを感じて、スマホに残しておいてくれている——そう思うと、胸のあたりがじわっとあたたかくなるような感覚がありました。
不思議なことに、数字が増えても「届いている」という実感は薄いままでした。ダウンロード数はあくまで数字で、その向こう側に生きた人間がいるという感触が、なかなか掴めなかったのです。何百人に使われていても、それが「百」という数字である限り、リアルさはどこか遠くにありました。レビューが来ると少し手ごたえを感じますが、それも画面の向こうの言葉で、体温のある実感とは少し違いました。
それはある週末の朝、友達と近所のカフェで会っていた時のことです。
わたしがスマホを忘れてきてしまって、友達に「ちょっと地図見てもいい?」と借りました。ホーム画面のロックを解除してもらった瞬間、手が止まりました。
自分のアプリのアイコンが、そこにありました。
驚きすぎて、声が出ませんでした。正確には、声を出す前に「言わない方がいい」と判断した、という感じです。
もし「これ、わたしが作ったやつだよ」と言ったら、友達は絶対に気を遣います。「えっ、すごい!ずっと使ってるよ!」という反応を、気を使って作ってくれるかもしれない。その言葉が本心かどうか、確かめる方法はありません。それに、確かめたいとも思わなかった。
地図を確認して、「ありがとう」と言ってスマホを返しました。友達は何も気づいていません。わたしだけが知っている。その状態が、ちょうど良かったのです。コーヒーを飲みながら他愛もない話をして、そのまま朝を過ごしました。胸の中だけに、小さな何かを抱えたまま。
カフェを出て、家に帰る道を歩きながら、じわじわと実感が来ました。
友達は、誰かに勧められたわけでもないのに、わたしのアプリを入れていた。しかもホーム画面に。ホーム画面というのは、毎日目にする場所です。消していないということは、使い続けているということです。それがどんな頻度かは分かりませんが、少なくともアンインストールはされていない。そこに存在し続けている。
宣伝しなかった。勧めなかった。それでも届いていた。
その事実が、数字が何百になるよりも、ずっとリアルに「作ったものが存在している」という感覚を教えてくれました。
ここで少し正直な話をすると、このアプリの前に作り始めたものは、ほとんど形になりませんでした。3つ着手して、完成したのは1つだけ。残りの2つは途中で「これ、誰も使わないかもしれない」と思って止めてしまいました。
止めた理由は、モチベーションが切れたとか、技術的に詰まったとか、そういうことではなくて——「誰かに届く気がしなくなった」ということでした。作っている途中で自分の中の仮想ユーザーがぼんやりしてきて、「これって意味あるのかな」と思い始めたら、もう手が動かなくなってしまいました。
今のアプリを完成できたのは、たぶん「ここまで作ったら公開しよう」という小さなラインを最初に決めたからだと思います。完璧にしてから出すのではなく、動く状態になったら出す。その判断だけが、わたしを最後まで連れて行ってくれました。
友達のスマホを返した後、しばらくの間、作ることへの向き合い方が少し変わった気がします。
以前は「もっとダウンロードされたい」「もっと評価されたい」という気持ちが先にありました。でもあの朝以来、そこよりも少し手前のことを考えるようになりました。誰かのホーム画面に、静かに存在し続けること。消されないでいること。毎日開かれなくてもいい、たまに思い出してもらえれば十分、という感覚。
それは諦めではなくて、むしろ逆で——作ることの解像度が上がった、という感じです。「バズること」ではなく「残ること」を目指すようになりました。
その後、アプリに小さな改善を少しずつ加えてきました。大きな機能追加ではなく、細かい使いやすさの調整ばかりです。ひとつ変えるたびに、「あの友達がこれを使ったら、少し快適になるかな」と思いながら作業しています。名前も顔も知らない、ほかの誰かに対しても、同じことを考えながら。
大きなアップデートをドーンと出す、というよりは、ちょっとだけ良くなったものを静かに更新し続ける。そのリズムが、今のわたしには合っています。届いているかどうかは、すぐには分からない。でも続けていれば、いつかまた気づく瞬間があるかもしれない。そう思えるようになりました。
最後に、このエッセイを読んでくださっているあなたへ。
もし今、数字が動かなくて、届いているのかどうか分からなくて、作り続けることに意味があるのか迷っているとしたら——あなたの作ったものも、きっとどこかの誰かのスマホに、静かに存在しているかもしれません。
それはあなたに報告されることなく、誰かの日常のすき間に、そっと使われているかもしれない。友達の友達が、何かのきっかけでインストールして、「まあ悪くないか」と思ってそのまま残しているかもしれない。あなたが想像もしていない使い方で、誰かの小さな困りごとを解決しているかもしれない。
わたしがあの朝、友達のスマホを見た時に感じたことを言葉にするのはむずかしいのですが、強いて言えば「ああ、作ってよかった」というより「ああ、やめなくてよかった」に近い感覚でした。完成させてよかった、公開してよかった、消えそうな気持ちの中でも続けてよかった——そういう、静かな安堵です。
作ることをやめなければ、届く可能性はゼロにはなりません。それだけは、確かです。あなたの作ったものが、誰かのホーム画面にある日を、わたしはどこかで信じています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています