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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

申請が届いたのは、朝の7時ちょっと過ぎのことでした。 ベッドの中でまだ半分眠りながらiPhoneを開いたら、App Store Connectのバッジが光っていました。「あ、また誰か買ってくれたのかも」とぼんやり思いながらタップすると、そこに書いてあったのは「Refund Req…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
申請が届いたのは、朝の7時ちょっと過ぎのことでした。 ベッドの中でまだ半分眠りながらiPhoneを開いたら、App Store Connectのバッジが光っていました。「あ、また誰か買ってくれたのかも」とぼんやり思いながらタップすると、そこに書いてあったのは「Refund Request」という文字でした。返金申請、です。 リリースして3週間目のことでした。日本語に直せば「あなたのアプリはいりません」という意味のメッセージが、ひっそりと朝の受信トレイに届いていたわけです。今日はそのときのことを書かせてください。技術の話はほとんど出てきません。ただ、あの朝わたしの中で何が起きたのか、そしてどうやって夕方にはまたコードエディタを開く気になれたのかの話です。同じように個人で何かをつくって、誰かに届けようとしている人に読んでもらえたら、すこし嬉しいです。
アプリの価格は480円でした。
返金が承認されれば、売上から480円が消えます。金額の話をするのは少し恥ずかしいのですが、正直に言います。「480円を失う」という事実より、もっと別のことが刺さりました。
それは、「誰かがお金を出して買ってくれたのに、返したいと思った」という事実そのものです。
ダウンロード数はずっと数字として見てきました。インストール数、アクティブユーザー数、セッション時間。分析ダッシュボードに並んでいる数字たちは、「読んでくれる人がいる」という感覚をふんわりと届けてくれますが、それはどこかぼんやりとした実感でした。でも返金申請は違いました。スマホを手に取って、アプリを探して、「これはいらない」とAppleに連絡するという、ひとつひとつの動作を想像してしまったんです。あの通知を見た瞬間、ダッシュボードの数字が急に人間の顔を持ちました。
申請には理由が添えられていることがあります。今回は「期待していたものと違った」という趣旨のことが書いてありました。
「期待と違った」。
この言葉はちょっと怖いんです。なぜかというと、自分の中では「こういうアプリですよ」ときちんと説明してきたつもりだったからです。スクリーンショットも何枚も作りました。説明文も何度も書き直しました。でも届かなかった。わたしが「これです」と伝えていたつもりのものと、相手が「これかな」と思って買ってくれたものが、ずれていたわけです。
「届かなかった」という感覚は、「いらないと言われた」よりも少し深いところで刺さります。
通知を見てしばらく、わたしはベッドの上でスマホを持ったまま天井を見ていました。
「まあ、仕方ない」と思おうとしました。よくあることだと聞いていたし、実際によくあることなのだろうと思います。返金率が高い状態が続くようなら審査に影響が出ることもある、と読んだことがありましたが、1件ならそういうレベルの話でもない。冷静に考えれば大したことではないのかもしれない。
でも「仕方ない」とうまく思えないんですよ。
キッチンに行ってコーヒーを淹れて、少し頭を整理しようとしました。そのまま午前中ずっと、なんとなくコードエディタを開く気になれませんでした。開けばきっと、そのユーザーのことを考えながら画面を見ることになる。それが少し怖かったのかもしれません。
誰でも一度はこういう声が頭の中に出てくるんじゃないかと思います。わたしもそうでした。
「向いてないのかな」「もっと上手な人が作れば良かったのかな」「お金を取るほどのものじゃなかったんじゃないか」
こういう声は、疲れているときほど大きく聞こえます。反論しようとすると、さらに大きくなります。なので、わたしはそのとき反論するのをやめました。「そうかもね」とだけ心の中で答えて、コーヒーをもう一杯飲みました。声と戦うより、ただ横に置いておく。そのほうが少しだけ楽でした。
お昼過ぎ、少しだけ気持ちが落ち着いてきたころに、わたしはアプリのレビューページを開きました。
返金した人のレビューが残っているわけではないのですが、それまでに届いていたレビューを読み返しました。ありがたいことに、いくつかの星とコメントをもらっていました。「使いやすかった」「続けやすい」「デザインがかわいい」。どれも短い文でしたが、読むとすこし温かくなりました。
このアプリを使ってくれている人が、ちゃんといる。それを確かめたかったのだと思います。
それから、特に意識したわけでもなく、メモ帳を開きました。
「次に直したいこと」「ずっと気になっていたこと」「追加したかったけど後回しにしていたこと」を、箇条書きでざっと書き出してみました。10分ぐらいかけて書いたら、7〜8個出てきました。返金申請のことはひとまず脇に置いて、ただ「良くしたいこと」だけを見ている時間が、じわじわと気持ちを前に向けてくれました。
こういうとき、「なぜ返金されたのか分析する」よりも「次に何をしたいかを書き出す」のほうが自分には合っていると気づきました。原因分析が悪いわけではないですが、落ち込んでいるときに「失敗の理由探し」を始めると、答えの出ないループに入りやすいんです。自分の場合は、前向きな問いのほうが少しずつエネルギーを補充してくれます。
夕方になって、あらためてその朝のことを振り返りました。
「使ってもらった」んです。
当たり前のことですが、返金申請が来るためには、まず買ってもらう必要があります。インストールして、起動して、使ってみて、そして「違う」と思った。それはつまり、わたしのアプリが誰かの手元で動いたということです。世の中に出た、ということです。
ゼロだった頃のことを思い出しました。リリース前夜、まだ誰にも使ってもらっていないアプリの画面を眺めながら、「誰かに届くかな」とそわそわしていたこと。あのときのわたしが一番怖れていたのは、「返金されること」ではなく「誰にも触れてもらえないこと」だったと思います。
そう考えると、返金申請は「届いた証拠」でもあります。痛かったけど、それは確かです。
もうひとつ気づいたことがあります。
「期待と違った」という理由は、「期待していた」ということです。
わたしのアプリに何かを期待して買ってくれた人がいた。その期待に応えられなかったのは悔しいし、次は応えたい。でも「期待する気にもならなかった」よりはずっとましです。そこには可能性があります。届け方と中身を磨けば、次は違うかもしれない。
傷口をポジティブに塗り替えようとしているわけではありません。ただ正直に、そう思いました。
夜ご飯を食べたあと、気づいたらコードエディタを開いていました。
意識して「よし書くぞ」とやる気を出したわけではありませんでした。お昼に書いたメモを見返して、「あ、これ実は簡単に直せるかも」と思った部分があって、なんとなく確かめたくなっただけです。気づいたら1時間ぐらい、黙々と手を動かしていました。
特別なことは何もありません。ただ、それが自然だったのだと思います。
作ることが好きだから、落ち込んでいても手が動いた。落ち込んでいたことも本当だし、手が動いたことも本当です。どちらかが嘘だったわけじゃない。ふたつは、同時に存在できます。
この記事を書こうと思ったのは、「返金申請はこう対処しましょう」と伝えたかったからではありません。
あの朝の、ベッドの上でスマホを持ったまま天井を見ていた時間を、誰かと共有したかったからです。個人でつくって個人で出すということは、褒められることも、拒絶されることも、全部ひとりで受け取ることです。チームなら誰かと顔を見合わせて「しょうがないね」と笑えるけど、ひとりだとそれができない。
でも、あのときひとりだったけど、同じような朝を過ごしたことがある人はきっとたくさんいます。このコミュニティにも、そういう人がいると思います。返金申請を受け取って、少し落ち込んで、それでもまた手を動かした人が。
天井を見ながら「仕方ないか」とつぶやいた人が。
返金されても、次のコードは書けます。わたしはそれを知りました。
あなたも、きっとそうです。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています