この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

アプリのアイコンを作った日のことを、今でもよく思い出します。 それまでの数ヶ月間、私は毎晩少しずつコードを書き続けていました。起動すればちゃんと動く。データも保存できる。自分が欲しかった機能も、だいたい揃ってきた。でも、どこかずっとふわふわしていました。「本当にこれはアプリなんだ…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
アプリのアイコンを作った日のことを、今でもよく思い出します。 それまでの数ヶ月間、私は毎晩少しずつコードを書き続けていました。起動すればちゃんと動く。データも保存できる。自分が欲しかった機能も、だいたい揃ってきた。でも、どこかずっとふわふわしていました。「本当にこれはアプリなんだろうか」という感覚が、心のどこかにずっとありました。 それが変わったのは、アイコンを作ってホーム画面に置いた瞬間でした。その小さな正方形を眺めながら、私は初めて「あ、私、何かを作ったんだ」と思いました。コードの羅列が、その瞬間に「自分のプロダクト」に変わった気がしたのです。この記事は、その体験について書いています。
開発を始めたばかりの頃、アイコンのことなんてまったく考えていませんでした。
Xcodeのプロジェクトを新しく作ると、デフォルトで白いアイコンが設定されます。薄いグレーの縁取りがついた、何もない白い正方形。これが何ヶ月もの間、私のアプリの「顔」でした。シミュレーターで動かすときも、実機でテストするときも、いつも白いアイコンがそこにありました。
機能は増えていきます。デザインも少しずつ整ってきます。でも白いアイコンのままのホーム画面を見るたびに、なんとなく「まだ完成していないもの」という感覚がついてまわっていました。自分でもそれが不思議でした。ちゃんと動いているのに、なぜこんなにリアルに感じないんだろう、と。
開発をしていると、ついつい「動けばOK」と思いがちです。少なくとも、私はそうでした。
ユーザーが使うのは機能であって、アイコンじゃない。外見よりも中身。そういう考え方が、どこかで染みついていました。だからアイコンは「後でいつかやる」リストの、ずっと下のほうにありました。
でも今思えば、それは少し間違っていた気がします。機能は「道具」の部分かもしれないけれど、アイコンは「存在」の部分なんですよね。道具がいくら揃っていても、名前がなければ呼べない。顔がなければ「誰」かわからない。白いアイコンのアプリは、機能はあっても、まだ「誰かになっていない」状態だったのかもしれません。
ある日、重い腰を上げてアイコン作りに取り組みました。
まずネットで作り方を調べました。デザインツールを開いて、指定のサイズのキャンバスを作りました。そこから先が、まったく進みませんでした。
カーソルを画面の上でうろうろさせながら、気づいたら30分が経っていました。
円を描いてみる。なんか違う。文字を入れてみる。ダサい。グラデーションをかけてみる。なんとなくそれっぽいけど、「自分らしさ」がない。消す。また円を描く——その繰り返しでした。
アイコンって、とても小さな画像なのに、その中にアプリの「全部」を込めなきゃいけない気がして、すごくプレッシャーでした。これが顔になる。これが第一印象になる。そのプレッシャーが、手を止めさせていました。
結局その日は何も完成せず、ツールを閉じました。「センスがないのかな」と少し落ち込みながら。
次の試みは「参考をたくさん集めよう」作戦でした。
デザインのインスピレーションサイトや App Store のアイコンをひたすら眺めて、「いいな」と思うものをスクラップしていきました。でも気づいたら、「いいな」と思うものが多すぎて、逆に自分が何を作りたいのかわからなくなっていました。
参考を集めることは大事だと思います。でも、集めすぎると「真似したい」という欲求が出てきてしまう。あるいは、どれも良く見えすぎて「自分には無理」という気持ちが育ってきてしまう。私の場合は後者でした。
行き詰まっていた状況が変わったのは、アイコンのことをいったん忘れて、別のことを考え始めたときでした。
「このアプリは、何のためにあるんだろう」
もとはと言えば、自分自身が困っていたから作り始めました。毎日ちょっとしたことを記録したいのに、既存のアプリはどれも多機能すぎて疲れてしまう。もっとシンプルに、静かに、続けられるものが欲しかった。
そのことを思い出したとき、アイコンのヒントが見えてきた気がしました。
「このアプリを使うとき、どんな気持ちでいてほしいか」という軸で考えてみました。
静かで、落ち着いていて、毎日続けられる感じ。ごちゃごちゃしていなくて、手に取るのが苦じゃない感じ。そういう言葉が浮かんできました。
そこからアイコンのイメージが少しずつ形になってきました。派手な色は使わない。複雑なシルエットより、シンプルなかたちにする。色は一色か二色。余白を怖がらない。そういう方針が自然と出てきたのです。
参考として集めた画像を見直してみると、自分が「いいな」と感じていたのは、実は全部シンプルで余白の多いものでした。そこに気づいたとき、ようやく手が動き始めました。
方針が決まってからは、意外と早かったです。
落ち着いたブルーグレーの背景に、小さなモチーフをひとつ。テキストは入れない。それだけ。
ツールで形を作って、色を塗って、書き出しました。それを開発環境に読み込んで、実機に転送して——
ホーム画面に、私のアプリのアイコンが現れました。
言葉にするのが少し難しいんですが、「あ、本物になった」と思いました。
iPhone のホーム画面に並ぶアプリたちと、同じ大きさで、同じように置かれている。よく使うアプリと、天気アプリと、私のアプリが、横に並んでいる。その光景が、なぜかじんわりと胸に来ました。
それまでずっと「開発中のもの」という感覚だったのが、その瞬間に「私が作ったプロダクト」に変わった気がしました。アイコンという、たった一枚の小さな画像が、それを成し遂げてしまったことに、自分でも驚きました。
コードを書いているときは「問題を解いている」感覚が強いんです。バグを直す、機能を実装する、エラーを消す。それは確かに達成感があることなのですが、どこかパズルを解いているような感覚で、「作っている」実感とは少し違う。でもアイコンを作ったとき初めて、「私は何かを生み出した」という実感がやってきました。
アイコンをつけてから、自分の開発への向き合い方が少し変わりました。
まず、スクリーンショットを撮りたくなりました。ホーム画面に私のアプリがある、その画面を写真に残したくなった。誰に見せるわけでもなく、ただ記録として。それが不思議と「続けよう」という気持ちにつながりました。
次に、人に話しやすくなりました。以前は「アプリ作ってるんだ」と言っても、何を見せればいいかわからなかった。でもアイコンがあれば、ホーム画面を見せながら「これ」と言えます。たったそれだけのことが、自分の中での「存在感」を大きくしてくれました。
もちろん、アイコンをつけたからといってアプリが完成したわけではありませんでした。
まだ直したい画面がある。追加したい機能がある。リリースまでにやることはたくさんある。それは変わりません。でも、アイコンをつける前と後では、その「未完成さ」に対する気持ちが変わりました。
以前の「まだ完成していない」は、どこかネガティブな響きでした。「まだダメ」「まだ見せられない」「まだちゃんとしていない」という感じ。でもアイコンをつけた後の「まだ完成していない」は、「まだ育てている」という感覚に近い。ちゃんと存在しているものを、続けて磨いている感じ。
同じ未完成でも、そこに「すでに存在している」という土台があるかどうかで、こんなに気持ちが違うのか——そのことに、じんわりと気がつきました。
個人開発をしていると、「完成してから公開する」「完璧になったら見せる」という気持ちに、どうしてもなりがちです。私もずっとそうでした。
でも、アイコンを作った体験から思うのは、「存在させること」と「完成させること」は、別のことかもしれないということです。完成は遠くていい。でも、自分のプロダクトに顔をつけること、名前をつけること、ホーム画面に置くこと——そういう「存在させる」行為は、思ったより早くできるし、思ったよりずっと大事なことでした。
白いアイコンのままでもアプリは動きます。でも、アイコンをつけた瞬間に何かが変わりました。少なくとも私にとっては、その小さな正方形が「自分は作り手だ」という実感をくれました。
もしまだアイコンを後回しにしているなら、今日ちょっとだけ作ってみてください。完璧じゃなくていい。後で変えてもいい。まずホーム画面に置いてみること——それだけで、きっと何かが変わると思います。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています