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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

アプリをリリースしてから、一年近くずっとレビューを「見るだけ」にしていました。 毎朝スマホを開いて、開発者向けの管理画面を確認して、新しいコメントがあればそっと読んで、そっと閉じる。星が増えていれば少しだけほっとして、辛辣な一言が届いていれば昼ごはんも喉を通らなくなる。そんな日々…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
アプリをリリースしてから、一年近くずっとレビューを「見るだけ」にしていました。 毎朝スマホを開いて、開発者向けの管理画面を確認して、新しいコメントがあればそっと読んで、そっと閉じる。星が増えていれば少しだけほっとして、辛辣な一言が届いていれば昼ごはんも喉を通らなくなる。そんな日々を繰り返していました。返信できる機能があることは知っていたけれど、「自分が使うもの」という感覚がまったくありませんでした。 でも、ある平日の夜、私は「返信」ボタンを初めて押しました。送ったのはたった二文です。それなのに、送信した瞬間、何かがふわっと変わった感覚がありました。孤独だった開発の時間が、急に「誰かとのやりとり」に見えてきたんです。あの夜のことを、今日は正直に書いてみようと思います。
最初のころは、毎日のようにレビュー欄を確認していました。気になって仕方なかった。でも、確認するたびに一喜一憂するのが消耗すると気づいて、少しずつ頻度を減らしていきました。週に一度にして、それでも怖くて、気づいたら月に一度になっていた。
変に聞こえるかもしれませんが、良いレビューも少し怖かったんです。「使いやすいです」「毎日使っています」という言葉を見ると、嬉しいと同時に、プレッシャーを感じるようになっていました。この人が毎日使ってくれているのに、次のアップデートで何かを壊してしまったら、と。喜びと不安がセットでやってくるので、受け取るたびにじわじわ疲れていきました。
悪いレビューについては言うまでもないです。「バグがある」「使いにくい」という一言が目に入ると、そのコメントだけが何時間も頭の中を回りました。反論したい気持ちと、申し訳ない気持ちと、よくわからない怒りが混ざって、結局何もできずに画面を閉じる。それが毎回のパターンでした。
返信しない理由は、ひとつではありませんでした。「何を言えばいいかわからない」「変なことを書いたら炎上するかも」「そもそも読んでくれるかどうかわからない」。そういう小さな不安が積み重なって、返信ボタンは存在しているのに、私の選択肢の中にはない、という状態がずっと続いていました。
それが変わったのは、去年の秋のことでした。夜の11時ごろ、布団の中でスマホを確認していたら、新しいレビューが届いていました。星2つ。
そのレビューには、こんなことが書いてありました。「ほぼ完璧なのに、ひとつだけ気になるところがある」と。具体的には、特定の画面でボタンが少し見づらいという話でした。
しばらく画面を見つめていました。悪口ではなかった。むしろ、ちゃんと使ってくれていて、しかも丁寧にフィードバックをくれていた。星2なのに、文章のトーンはとても穏やかで、「こうなったらもっといいな」という気持ちがにじんでいました。
「この人に、返信したい」と思ったのは、そのときが初めてでした。
とはいえ、すぐには押せませんでした。布団の中で文章を考えはじめましたが、何度書いても「違う」と感じて消しました。
「フィードバックありがとうございます」──無難すぎる。 「次のアップデートで対応します」──できるかどうかわからないのに約束はできない。 「確認します」──なんとなく冷たい感じがする。
そうやってしばらく迷って、最終的に送った文章はこうでした。
「使ってくださってありがとうございます。ご指摘の箇所、自分でも気になっていたところでした。もう少し見やすくなるよう、考えてみます。」
シンプルです。特別なことは何も言っていない。でも、自分が本当に思っていることだけを書いた文章でした。送信ボタンを押したのは、日付が変わる少し前でした。
送信した直後、少し後悔しました。「余計なことをしたかな」「変に思われたかな」と。でも、それと同時に、不思議なくらい気持ちが軽くなっていました。
今まで、レビューは「判定」だと思っていた気がします。5段階で評価されて、自分(とアプリ)の価値が決まる。そういうものとして捉えていました。でも、返信を書いているあいだ、私は初めて「レビューを書いた人」のことを考えていました。この人はどんな場面でこのアプリを使ってくれているんだろう、と。
返信ボタンを押した瞬間、数字の羅列だったレビュー欄が、少し違って見えた気がしました。
翌日の夜、その方がレビューを更新してくれました。星2から星4に変わっていて、コメントには「返信いただけると思っていなかったので驚きました。ありがとうございます」と書いてありました。
正直に言うと、泣きそうになりました。笑えますよね。たった一往復のやりとりで。でも、あのとき感じた気持ちは本物でした。誰かが自分のアプリを使ってくれていて、感じたことを教えてくれた。それに自分が応答した。それだけのことなのに、開発が急に「ちゃんと世界と繋がっているもの」に感じられたんです。
個人でアプリを作っていると、孤独を感じることが多いです。チームがあれば誰かに相談できるし、進捗を共有する相手もいる。でも一人だと、全部自分の中で完結してしまう。
ユーザーの数字は見えます。どれだけ使ってもらえているか、どこで離脱しているか。でもそれは「統計」であって「人」じゃない。誰かが使ってくれているのはわかるけれど、その人が誰で、何を感じているのかは、とてもぼんやりしていました。
返信してみてはじめて気づいたのですが、レビューって、手紙みたいなものだったんです。書いた人がいて、気持ちが込められていて、届いている。私はずっとそれを受け取るだけで、返事を書いていなかった。
もちろん、全員が返事を期待しているわけではないと思います。でも「誰かが読んでいる」とわかるだけで、届け方が変わることはあるかもしれない。そして自分自身にとっても、「判定」ではなく「対話」として向き合えるようになると、心の持ちようがずいぶん違いました。自分が作ったものに、人の気配がする感じ、とでも言えばいいでしょうか。
これを書いておかないと嘘になるのですが、今でも全てのレビューに返信できているわけではありません。
辛辣なコメントには、今もうまく向き合えないことがあります。誤解されているように感じるレビューには反論したくなってしまって、その気持ちを飲み込むのが難しい。「ありがとうございます」とだけ書いて送ることも、気持ちが乗らなくてできない日があります。
でも、ひとつ変わったことがあります。レビュー欄を開くのが、以前ほど怖くなくなりました。「判定」ではなく「届いた声」として見られるようになってきたから、だと思います。返信するかどうかは別として、ちゃんと読むようになりました。
「全部に返信しなきゃ」と思うと、プレッシャーで何もできなくなります。私もそうでした。でも、一通だけ、本当に「返したい」と思った声に、正直な言葉で返す。それだけでも、何かが変わります。少なくとも、自分の中で。
完璧な返信である必要も、丁寧な言葉を尽くす必要もないと思います。「ちゃんと読みました」「ありがとうございます」が伝わるだけでも、十分です。あの夜の私の二文が、そうだったように。
最後に、少しだけ個人的なことを書かせてください。
個人開発を続けていると、「なぜ続けているのか」がわからなくなる瞬間があります。ダウンロード数が伸び悩んでいたり、バグ修正に追われていたり、似たようなサービスが新しく出てきたり。そういうときに、「これって意味あるのかな」と思ってしまうことが正直あります。
あのレビューへの返信は、そういうときの支えになりました。大げさに聞こえるかもしれないけれど、本当のことです。「使ってくれている人がいて、その人とやりとりできた」という記憶が一つ積み重なったことで、開発が少しだけ「自分と誰かを繋ぐ行為」に感じられるようになりました。
同じように、返信ボタンをずっと押せないでいる人がいたら、一通だけ試してみてほしいです。感謝を伝えるだけでもいい。一文でも構いません。
誰かの言葉に、自分の言葉で返す。それだけで、孤独な作業の中に、小さな窓が開く感じがします。私にとっては、あの夜がそうでした。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています