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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

恥ずかしい話なのですが、どうしても書きたくなりました。個人開発をしている方なら、似たような経験があるかもしれないと思って。 半年ほど前のことです。私は自分のアプリに、ずっと温めていた機能を実装しました。細かい絞り込みフィルター、状態ごとのカスタム表示、ショートカット操作のサポート…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
恥ずかしい話なのですが、どうしても書きたくなりました。個人開発をしている方なら、似たような経験があるかもしれないと思って。 半年ほど前のことです。私は自分のアプリに、ずっと温めていた機能を実装しました。細かい絞り込みフィルター、状態ごとのカスタム表示、ショートカット操作のサポート。一つひとつの仕様を丁寧に考えて、UIの細部を何度も調整して、「完成した」と思ったとき、心の底から満足していました。これは自分史上いちばんよくできた機能だ、と。 リリースから3ヶ月後、使用ログを確認しました。その機能を一度でも触ったユーザーは、全体の2%でした。
このアイデアは、完全に自分発でした。「ユーザーはきっと、こういう細かい制御がほしいはずだ」という、確信めいた予感がありました。類似サービスを見て、「ここが足りない」と感じた部分を埋めようとした。その動機は純粋でした。
でも今思えば、ユーザーに聞いたことは一度もありませんでした。SNSで「こんな機能どうですか?」と問いかけることも、使ってくれている人に直接メッセージを送ることも、しませんでした。「作ってから見せれば驚いてもらえる」という思い込みが、静かにあったのだと思います。
作っているあいだは、とにかく夢中でした。週末を丸ごと使って、平日の夜も少しずつ書いて。仕様が決まっていくたびに気持ちよくて、動くようになるたびに達成感がありました。
この感覚は悪いものではないと、今でも思っています。作ることの喜びは、作る理由として十分なときもあります。ただ、その喜びがいつの間にか「使われる確信」にすり替わっていたのが、問題でした。
ログを見たとき、最初は「集計方法が間違っているのかも」と思いました。次に「UIが分かりにくいだけかも」と思いました。そしてしばらくして、静かに認めました。使われていないのではなく、必要とされていないのだ、と。
悲しいとか、くやしいとかよりも、妙な空虚さがありました。あんなに時間をかけたのに。あんなに好きだったのに。その「好きだった」という感情は本物でしたが、それと「ユーザーにとって必要かどうか」はまったく別の話でした。
当然のことなのに、本当に身にしみてわかったのは、このときが初めてでした。
しばらくして、少しだけ勇気を出しました。アプリを使ってくれている数人に、メッセージを送ってみたのです。「フィルター機能、使っていますか?」と。
返ってきた答えは、優しくて、率直でした。「存在は気づいていたけど、たどり着くのが少し大変で」「今の使い方だとそこまで必要なくて」「シンプルに使いたいので、あってもなくても」。
責めるような言葉は一言もありませんでした。でも、だからこそ染みました。ユーザーは悪くありません。機能が悪かったわけでもないかもしれません。ただ、タイミングも、見せ方も、必要性の確認も、何もしていなかった。
この経験で、自分の中にあった思い込みが少しずつ見えてきました。
私は「よい機能を作れば、自然と使われる」と信じていたのだと思います。品質の高さと、使われることは、イコールだと思っていました。でもそれは、「作り手目線の誇り」でしかありませんでした。
使う人が何に困っているのか、どんな文脈で触るのか、そもそもその機能があることに気づくのか。そういうことは、いくら丁寧に実装しても、自動的には伝わりません。伝えようとしなければ、ただ存在するだけです。
ただ、このズレに気づいたことで、すごく楽になった部分もありました。「なぜ使われないのか」を「自分の才能のなさ」の問題だと受け取らなくて済むようになったからです。
ズレはあって当然だと、今では思っています。作る人と使う人は、視点が根本から違います。だから調整が要ります。それは普通のことで、誰かに謝るようなことでも、落ち込むべきことでもありません。確認のプロセスをスキップしたことへの反省はありますが、機能を作ったこと自体を後悔する気にはなれません。
この経験以降、小さな変化がいくつかありました。大きく方向転換したわけではなく、静かに、でも確実に。
今は、ある程度形になった段階で、一人か二人に話を聞くようにしています。完成してから驚かせるより、途中で「こういうのがほしいですか?」と聞くほうが、ずっと意味があることを学んだからです。
聞くことに、最初は抵抗がありました。「まだ完成していないものを見せるのは恥ずかしい」「批判されたらどうしよう」という気持ちがあったからです。でもそのほうが、双方にとってずっと優しいと感じています。完成後に「誰も使わなかった」と静かに落ち込むより、ずっとよいです。
途中で聞くと、「そこじゃなくてこっちが困っています」という答えが返ってくることがあります。最初はその答えに戸惑いましたが、今では「聞けてよかった」と毎回思います。実装してからそれを知るより、何倍も楽だからです。
もう一つ変わったのは、失敗を隠さなくなったことです。この記事を書いているのも、その一環です。
「誰も使わなかった機能があります」と言えると、同じような経験をした人がリアクションしてくれます。それが思わぬ繋がりになったり、次の機能の構想に使える視点になったりしました。失敗談には、完成報告より多くの共鳴が集まることがあります。そのことに気づいたとき、本当に驚きました。
完成した機能の自慢より、うまくいかなかった話のほうが、会話が続くことがあります。それは「うまくいかなかった経験を持つ人」のほうが、圧倒的に多いからなのかもしれません。
最後に一つだけ。
この経験を通じて、「作ることへの喜び」を否定したくはないと、強く思いました。誰に頼まれなくても、使われる確証がなくても、作りたいから作る。その衝動は、個人開発を続けるうえでいちばん大事なエネルギーだと思っているからです。
ただ、その喜びを「使われること」の代替にしないこと。作ることと届けることは、別々のスキルで、別々の努力が要ります。そのことを、あのログが静かに教えてくれました。
誰も使わなかった機能のことを、今でも少し誇りに思っています。なぜなら、あれは間違いなく、丁寧に作ったものだったからです。ただ次は、丁寧に届けることも、一緒にやってみようと思っています。
同じような経験をしている方がいたら、ぜひ教えてください。一緒に笑えると思うので。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています