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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

リリースした夜、Lilyは少し緊張していました。 「きっとあの人が使ってくれる」――そう思いながらボタンを押した記憶があります。具体的な顔を思い浮かべて、その人の生活をイメージして、その人が「あ、これいいかも」とつぶやく場面を想像しながら作り続けた数ヶ月でした。届くかどうかわから…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
リリースした夜、Lilyは少し緊張していました。 「きっとあの人が使ってくれる」――そう思いながらボタンを押した記憶があります。具体的な顔を思い浮かべて、その人の生活をイメージして、その人が「あ、これいいかも」とつぶやく場面を想像しながら作り続けた数ヶ月でした。届くかどうかわからないけれど、受け取る人の顔はなんとなく見えている。そんな感覚で、Lilyはあのボタンを押しました。 ところが、実際にやってきたのはまったく別の人たちでした。「ターゲット」と心の中で呼んでいた人物像に近い人は、ほとんど来ませんでした。最初はそのことを単純に失敗だと思っていました。でも時間が経つにつれ、「失敗」という言葉では説明しきれない何かが、あのずれの中に含まれていた気がしています。 今日はその「ずれ」について正直に書いてみようと思います。特別な教訓を語りたいわけではなくて、ただ、同じように個人で何かを作っている方に「ああ、そういうこともあるよね」と思ってもらえたら、それで十分です。
Lilyが作ったのは、日常のちょっとした記録を続けやすくするためのシンプルなツールでした。特定の技術を使っているとか、業界のプロ向けとか、そういうものではなく、日々を振り返る習慣を作りたい人のためのものです。
そのとき頭にあったのは、具体的な「一人の人物」でした。友人ではなく、でも知り合いくらいの距離感の、仕事が忙しくて自分の時間を大切にしたいと思っている30代の人。毎日少しずつ記録することで、自分の変化に気づきたいと願っている人。スマートフォンが得意で、でもアプリに凝りすぎず、シンプルなものが好きな人。
名前もなく、写真もなく、でもLilyの中ではリアルに存在していたその人物のために、Lilyは画面の配置を考え、文言を選び、色を決めていました。「この人だったらここで迷う」「この人にはこの機能はいらないかも」と何度も頭の中でシミュレーションしながら。
誰かのために作る、というのはモチベーションとして強力です。抽象的な「ユーザー」ではなく、顔が浮かぶ誰かのために作ると、判断が速くなります。「あの人ならどう思うか」という問いが、迷ったときの軸になる。Lilyはその感覚が好きでした。
だからこそ、リリース後の現実は少し戸惑うものでした。
リリースから数日後、少しずつフィードバックが届き始めました。感謝の言葉や、使い始めたという報告。それ自体はとてもうれしいものでした。でも読んでいくうちに、「あれ?」と思う瞬間が増えていきました。
来ていたのは、Lilyが想像していた30代の忙しい人ではありませんでした。学生さんでした。定年後に新しいことを始めた方でした。育児中の方でした。全然別の業界で働いている方でした。Lilyが「この層にはあまり刺さらないかも」と思っていた人たちが、むしろ熱心に使ってくれていました。
使い方も、Lilyが想定していたものとは違いました。「毎日の振り返り」のために作ったのに、週に一度まとめて書くのに使っている方がいました。感情の記録として使っている方もいました。「日記代わりにしている」という声もあって、そこまで想定していなかったLilyは、少し驚きました。
同時に、想定していた機能への要望はあまり来ませんでした。Lilyが「これは絶対に必要だ」と思って丁寧に設計した部分が、ほぼ誰にも言及されなかったりしました。用意した椅子に、別の人が座っている。そんな気持ちでした。
正直に言うと、最初はこの状況を「うまく届いていない」と解釈していました。本来のターゲットに届けばもっと反応があるはずなのに、宣伝の仕方が悪かったのかな、と。
でも何週間か観察を続けていくうちに、Lilyの中でゆっくりと別の解釈が育ってきました。もしかしたら「ターゲットに届かなかった」のではなく、「ターゲットの設定自体がずれていたのかもしれない」という考えです。
Lilyが思い描いていた「30代の忙しい人」は、実在の誰かではありませんでした。Lily自身が「こういう人に使ってほしい」という願望を投影した、架空の人物でした。
その人物像は、実際のリサーチから来ていませんでした。雑誌や記事で見た「典型的なペルソナ」のイメージと、Lily自身の体験と、「かっこいい使い方をしてくれそうな人」への憧れが混ざったものでした。
実際に来た人たちは、もっと切実な理由で使っていました。忙しい育児の合間に5分だけ自分の気持ちを書き留めたい人。長年日記を続けたかったけれど三日坊主になってしまう人。退職してから急に「記録しておきたい」という気持ちが出てきた人。Lilyが軽く見ていたわけではないけれど、「そこまで想定していなかった」という人たちでした。
そして彼ら彼女らのほうが、ずっと明確な目的を持って使ってくれていました。
「想定外のユーザーに使ってもらえた、よかった!」と単純に喜べたらよかったのですが、正直なところ、すぐにはそうなれませんでした。
Lilyが思い描いていた「あの人」は来なかった。その事実に、なんとなく小さながっかりがありました。自分が「この人に届けたい」と思っていた相手に、届かなかったという感覚です。それはプロダクトの失敗というよりも、もっと個人的な、手紙が宛先に届かなかったような気持ちに似ていました。
転機になったのは、ある方からのメッセージでした。「育児で毎日が同じように流れていく感覚があって、何か残したくて使い始めました。シンプルで続けられています」という内容でした。
その一文を読んで、Lilyは少し静かな気持ちになりました。そうか、この人に届いていたんだ、と。Lilyが想定していた「届けたい人」ではなかったけれど、でも確かに誰かの日常に、小さく混ざることができていた。
そこからLilyは、実際に来ている人たちの声をもっと丁寧に聞くことにしました。具体的には、フィードバックフォームの文言を変えて「どんなきっかけで使い始めたか」を聞くようにしました。すると、Lilyが知らなかった使い方や動機がどんどん集まってきました。大きな変更ではないけれど、その一手がいちばん大きな気づきをくれました。
あの経験から、Lilyの中での「誰のために作るか」の答えが少し変わりました。
以前は、作る前に「ターゲット像」を明確にして、その人物に向けてすべてを最適化しようとしていました。それ自体は悪いことではありませんが、Lilyの場合、それが「実際の人間の声より、想像上の人物の好みを優先する」という癖につながっていました。
今は、最初の設計段階では「どんな場面で、どんな困りごとを解決したいか」だけを考えて、実際に使ってくれる人が現れてからその人の声に合わせていく、という順番に変えています。リリース後に想像を更新するほうが、Lilyには合っているようです。
大げさなピボットをしたわけではありません。フィードバックをもとに、説明文の1文を直したり、最初に出る画面の順番を変えたり、そういった細かい調整を繰り返しました。
大きな方針は変えないまま、「実際に来ている人たちが、もう少し使いやすくなるには?」という問いを持ち続けること。それだけで、プロダクトの雰囲気が少しずつ変わっていきました。来てくれた人が「なんか自分向けっぽい」と感じてくれるものに近づいていくような、そんな手応えがありました。
Lilyは今でも、何かを作るとき「あの人に届けたい」という気持ちから始めることがあります。それは完全には変わりません。顔が浮かぶ誰かのために作る、という動機の強さは本物だと思っているからです。
ただ、その「あの人」は、リリースした瞬間から更新されていくものだと思うようになりました。作る前に思い描いた人と、実際に使ってくれた人は、必ずしも一致しない。そのずれを失敗として嘆くより、「ああ、こういう人がいたんだ」と興味を持って迎えるほうが、次の一手につながる気がしています。
想定外のユーザーは、作り手が気づいていなかった必要性を教えてくれる人でもあります。Lilyが「ここには届かないだろう」と思っていた場所に、ちゃんと届いていることがあります。
作り手の思い込みは、悪いものではありません。ただ、それはいつでも更新できる。リリースは終点ではなく、実際の人たちとの対話の始まりだということを、あのずれが教えてくれました。
あなたが今作っているものにも、きっと想定外の誰かが待っているかもしれません。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています