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Lily さんへの応援になります

エッセイを書きます。 リリースから数ヶ月後に自分のアプリを検索して知らない世界を発見した——という角度で、ですます調、3,000〜4,500字のエッセイを執筆します。 リリースしてから、しばらくは毎日ダッシュボードを眺めていました。新規ユーザーが増えたかどうか、エラーが出ていない…
この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります
エッセイを書きます。 リリースから数ヶ月後に自分のアプリを検索して知らない世界を発見した——という角度で、ですます調、3,000〜4,500字のエッセイを執筆します。 リリースしてから、しばらくは毎日ダッシュボードを眺めていました。新規ユーザーが増えたかどうか、エラーが出ていないか、クラッシュレポートが届いていないか。まるで子どもの体温を毎朝確認するような気持ちで数字を追う日々でした。 でも数ヶ月も経つと、その習慣は少しずつ薄れていきます。次のアプリのことを考え始めたり、別の仕事に追われたり、あるいは単純に疲れてしまったり。リリース日の昂揚感が静かに日常へ溶けていくように、ダッシュボードを開く頻度も減っていきました。 あの日、何気なくGoogle検索バーに自分のアプリ名を打ち込んだのは、本当にただの気まぐれでした。「そういえば最近どう見られているんだろう」くらいの、軽い気持ちで。でもそこで見えた景色は、Lilyが想像していた世界とは全然違っていました。
最初に目に入ったのは、自分が全く知らないブログ記事でした。タイトルには私が作ったアプリの名前がそのまま載っていて、「使い始めて1週間の感想」という見出しがありました。
思わず、息を呑みました。
記事を読むと、知らない誰かが丁寧に私のアプリを紹介してくれていました。スクリーンショットまで撮って、「こういう人に向いている」「ここが少し使いにくかった」という本音まで書かれていました。Lilyは画面の前でしばらく固まったまま、何も言葉が出てきませんでした。
嬉しいとか、恥ずかしいとか、そういう単純な感情ではありませんでした。なんというか——自分が見ていない場所で、自分が作ったものが勝手に生きていた、という事実の重さのようなものが、ゆっくりじわりと胸に広がっていきました。
その人はLilyとは一度も話したことがない。フォームに問い合わせをくれたわけでも、SNSにメンションをくれたわけでもない。でも静かに使って、静かに感想を書いて、静かにどこかへ去っていった。そういう人がいたということを、Lilyは検索バーを開くまで知りませんでした。
さらにスクロールを続けると、今度は英語のページが引っかかりました。Redditのスレッドでした。
「このアプリ使ってる人いる?」という書き込みに、いくつかの返信がついていました。「自分も使ってる、なかなか良い」「これって日本人が作ったの?」「フォントがちょっと変だけど全体的に好き」——そういう会話が、自分の全く知らない場所で、全く知らない人たちの間で交わされていました。
Lilyは日本語話者向けに作ったつもりでいたのに、英語圏にも届いていた。しかも自然に、誰かが誰かに教えていた。
その事実が、どういうわけかとても不思議な感覚でした。自分が「届けよう」とした相手ではない場所に、勝手に届いていた。アプリというのはリリースした瞬間に、作り手が想定した外へ向かって歩き始めるんだな、と初めて実感しました。
「フォントがちょっと変」というコメントが、正直に言うと少し刺さりました。でも、そのコメントをきっかけにあらためて英語表示を確認したら——本当にフォントが微妙でした。英語フォントのフォールバック指定が甘くて、環境によってはシステムデフォルトのフォントが当たってしまっていたんです。
開発中は気にしていなかった。テスト環境では問題なかった。でも別の環境のユーザーには「変に見えていた」。
知らないユーザーの率直な一言で、自分では気づいていなかった問題が見つかりました。その週のうちに直しました。なんだか申し訳なくて、直した後もしばらく気になっていました。
検索をさらに深掘りしていると、今度はフォーラムへの投稿が見つかりました。Lilyが用意しているフィードバック窓口とは全然別の、見知らぬコミュニティへの書き込みでした。
「このアプリを使っていると、特定の操作をしたときにフリーズする」
投稿日は2ヶ月前。返信は誰もしていませんでした。
その人は、どうしてLilyに直接報告しなかったのでしょう。正規の問い合わせ窓口が分かりにくかったのかもしれない。英語のサポートページが面倒だったのかもしれない。あるいは単純に、「どうせ個人開発者には読まれないだろう」と思ったのかもしれない。
そのどれも、Lilyのせいでした。
再現を試みると、確かにフリーズしました。特定の端末サイズで、特定の操作を連続してしたときだけ起きる、再現条件が細かいバグでした。2ヶ月間、その人はそのまま使い続けたのか、諦めてアンインストールしたのか。どちらにしても、申し訳なさが残りました。
そのフォーラムを見つけてすぐ、アプリのサポートページを見直しました。問い合わせへの導線がわかりにくかったので、画面内に直接「何か不具合があればここから教えてください」というリンクを追加しました。
小さな変更ですが、同じことをもう繰り返したくなかったので。正規ルート以外で誰かが困っていても、Lilyには届かない——その状況を少しでも変えたかったんです。
この一連の「検索」の体験を通じて、Lilyは大事なことを実感しました。
リリースした瞬間から、アプリはもう自分だけのものではない——という当たり前のことを、頭ではわかっていたつもりでした。でも本当の意味でそれを感じたのは、このときが初めてでした。
知らないブログに書かれていた感想は、Lilyが意図していない使い方についての話でした。Redditのコメントは、英語ユーザーの視点でした。フォーラムのバグ報告は、テストでは見つけられなかった環境での話でした。どれも、Lilyが「自分のアプリ」として見ていた枠の外から来ていました。
アプリというのは、作り手がコードを書き終わった瞬間から、それぞれのユーザーの文脈の中で動き始めます。Lilyには見えない場所で、誰かの朝の習慣になっていたり、仕事の一部になっていたり、あるいは「使えなかった」という記憶になっていたりする。
それは怖いことでもあるし、とても有り難いことでもありました。
それからLilyは、月に一度、リリースしたアプリの名前をGoogle検索するようにしました。SNSの検索も同じくらいの頻度でのぞくようにしました。大がかりなことはしていません。AppStoreのレビューだけを見ていたときより、少し視野が広くなった、それだけです。
ほとんどの月は何も見つかりません。でも3ヶ月に一度くらいの頻度で、どこかに誰かの足跡が残っていることがあります。その足跡を見つけるたびに、少しだけ背筋が伸びます。「ちゃんと動いているかな」「もっとわかりやすくできるかな」という気持ちになります。
検索をする目的は、いいコメントを探してモチベーションを上げることではありません(それももちろんありますが)。それよりも、自分が見ていない場所で何が起きているかを、できる限り知ろうとすることが目的です。
ユーザーは必ずしもフィードバックフォームに書いてくれません。問い合わせメールを送ってくれるとも限りません。でも、どこかに感想を書いていることはある。それを作り手が拾いに行かないと、ずっと届かないまま終わります。
フォーラムに2ヶ月放置されていたバグ報告を見つけたとき、Lilyが感じた罪悪感は、「知っていたのに放置した」ではなく、「知ることすらしていなかった」というものでした。その違いは、意外と大きかったです。
あのGoogle検索の日から、Lilyのアプリに対する気持ちが少し変わりました。
作っているときは、ユーザーのことを「想定」しています。「こういう人が使うだろう」「こういう不満があるはず」という仮説を積み上げながら作ります。それは大事なことですが、実際にリリースして時間が経つと、その仮説とは全然違う場所に届いていることがある。
知らないブログで紹介してくれていた人は、Lilyが「こういう使い方はしないだろう」と思っていたシナリオで使っていました。でも、その使い方でも十分に役立っていた。
想定外のところで役に立てているなら、それはバグではなくて余白です。作り手がコントロールできない場所で、アプリが自分なりの意味を見つけていた。そう思うと、少し誇らしくもありました。
個人開発は、大きなチームやマーケティング予算があるわけではありません。でも、誰かの日常に静かに紛れ込んでいく力は、確かにあります。それに気づくためには、たまに検索バーを開いて、自分のアプリの名前を打ち込んでみるだけでいいんだと思います。
怖い結果が出るかもしれません。痛いコメントが見つかるかもしれません。でも、知らなかったことを知ることは、必ずどこかで次の一歩につながります。
Lilyは今日も、ときどき自分のアプリを検索します。作り手の手を離れたあとも、どこかで誰かの日常の中を生きているかもしれないから。そしてもし何か見つけたときは、できるだけ素早く、誠実に、応えていきたいと思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています