この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

誰かのために作っているはずなのに、一番長い時間を過ごすのは、誰にも見えない場所だったりします。 変数の名前を何度も変えて、コメントを書いては消して、「これで読める?」と誰もいない画面に向かって確認する。ユーザーには絶対に届かない、ソースコードの中の小さなこだわり。Lilyはずっと…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
誰かのために作っているはずなのに、一番長い時間を過ごすのは、誰にも見えない場所だったりします。 変数の名前を何度も変えて、コメントを書いては消して、「これで読める?」と誰もいない画面に向かって確認する。ユーザーには絶対に届かない、ソースコードの中の小さなこだわり。Lilyはずっと、そういうことをしていました。 ある夜、ふと手が止まりました。「誰も読まないのに、なんでこんなに時間をかけてるんだろう」。そう思った瞬間から、自分が何のために丁寧に作っているのかを、改めて考えるようになりました。この記事は、その問いと向き合った話です。
個人開発を始めて数年が経ちます。毎回リリースするたびに「コードの中身は誰も見ない」とわかっているのに、変数の名前がしっくりこないと、なんとなく気になって眠れない夜がありました。
たとえば、処理の状態を管理するフラグ。flag とか tmp とか適当に書いてしまえば動くのに、「これは『読み込みが完了したかどうか』を表してるんだから、もっと意図が伝わる名前の方がいいな」と考えて書き直す。そこで終わればいいのに、「でも英語として自然かな」「もし後で同じ種類の変数が増えたら命名ルールが崩れるな」と次々と気になり始めて、気づけば30分が経っています。
ユーザーには1ミリも関係ない話です。動作は変わらない。速度も変わらない。画面には一切出てこない。それでも、しっくりこない名前のままにしておくのが、どうしてもできませんでした。
コメントも同じです。「なぜこう書いたのか」を残す一行のメモ。「この順番でないとうまく動かない理由」「後でここを変える可能性がある箇所」「一見おかしく見えるけど、これは意図的な書き方」。そういうことを、ちまちまと書き添えていました。
チームでもない。コードレビューをしてくれる人もいない。見るのは自分だけ。それでも書き続けていた。なんとなく「書いておかないと気が済まない」という感覚が、いつの間にか染み付いていました。
転機は、あるリファクタリングをしたときでした。
機能的にはまったく問題のない部分を、「もっと読みやすく整理したい」という理由だけで半日かけて書き直したんです。いくつかの処理をまとまりごとに分けて、名前を整えて、順序を整理して。終わったとき、コードは以前より見通しが良くなりました。でも、何も変わっていなかった。ユーザーの体験は、0.1%も変わっていない。バグも直っていない。新機能も増えていない。
その日の夜、なんだか虚しくなってしまいました。「この時間、別のことに使えたのに」。そう思ったとき初めて、自分がしていることの意味を疑い始めました。個人開発は時間が有限です。やらなきゃいけないことは山ほどある。なのに誰にも届かない場所に、これだけの時間を注いでいいのかと。
試しに、一週間だけ「きれいに書くのをやめてみよう」としました。動けばいい。変数名は適当でいい。コメントは省略。見た目はどうでもいい。スピード優先。そういう方針で書き進めてみたんです。
最初の数日は、むしろ快適でした。進みが早い。考えに詰まる回数が減る。「こういう感じで書けばいいのか」と妙にスッキリしました。
でも一週間後、そのコードを見返したとき、自分で書いたはずなのに読めなかったんです。「この変数、何を指してたんだっけ」「ここの処理、なんでこういう順番にしてたんだっけ」。5分考えても思い出せない箇所がいくつもあって、結局、また時間をかけて読み解く羽目になりました。速く書いたぶんの時間を、後で取り戻す作業に使っていた。トータルで見ると、何も得していなかった。
そのとき、ようやく気がつきました。「誰も読まない」というのは、嘘だったんです。
読んでいるのは、未来の自分でした。
数週間後の自分。数ヶ月後の自分。「あの機能、また触らなきゃいけなくなった」という日の自分。「あれ、なんでこう書いたんだっけ」と過去の判断を遡ろうとする日の自分。その人に向けて、Lilyはずっとコードを書いていたんだと気づきました。
「誰も読まない」じゃなくて、「今の自分には届かない」だけだった。受け取るのは、時間を越えた後の自分でした。
実際に、助けられた経験があります。
半年ほど前に書いたコードの中に、こんなコメントを残していました。「ここは〇〇の仕様のせいでこの順番にしている。変えると特定の条件下でおかしな挙動が出るので注意」。そのときは自分でもよく覚えていたから、念のために書いておいた一行でした。
半年後、同じ箇所を修正する必要が出てきたとき、そのコメントがなければ確実にまた同じ罠を踏んでいたと思います。「過去のLily、ありがとう」と画面に向かって独り言を言ってしまいました。
誰かのためじゃなく、自分のための一行だった。でも、それで十分じゃないかと思いました。
個人開発って、基本的に褒められないんです。
チームで開発していれば、丁寧なコードを書いたらレビューで「読みやすいですね」と言ってもらえることもある。設計を工夫したら「この方針、いいと思います」とリアクションがもらえることもある。でも一人でやっていると、誰も見ない。誰も気づかない。誰にも届かない。
だから最初のうちは、丁寧に作ることへの理由を、外側に求めていました。「いつか誰かがコードを見るかもしれない」「オープンソースにするかもしれない」「チームが増えたときのため」。そういう言い訳を自分に言い聞かせながら、こだわりを正当化していた気がします。でもそれは、少し嘘くさい理由でした。
ある日、もっとシンプルなことに気づきました。丁寧に作るのは、自分への誠実さだと。
誰かに見せるためじゃなく、自分が「これでいい」と思えるものを作る。コードの中の変数名一つが、自分の中の何かと対話している感覚。「この名前は正確か」「この書き方は誠実か」「後で見た自分が困らないか」。それを問い続けることが、一人で作り続けるための、地味だけど確かな支えになっていました。
効率だけで考えると、丁寧なコードは割に合わないことがあります。Lilyも、それは正直に認めます。
でも、「意味があるかどうか」を先に考えると、個人開発はとてもしんどくなるんです。「誰かの役に立つか」「時間対効果はどうか」「この作業は本当に必要か」。そういうことばかり突き詰めていると、リリースしても反応がなかったとき、一気に「全部無意味だった」という気持ちに引きずられてしまう。
Lilyが今思っているのは、「好きだからやる」という感覚を、もっと信じていいということです。
きれいに整ったコードが好き。しっくりくる名前を見つけたときの、小さな達成感が好き。後から読んだとき、意図がすっと伝わるコメントが書けたときの感覚が好き。それは誰にも評価されなくても、自分の中で完結している満足感です。その満足感は、ちゃんとある。外からの評価がなくても、なくなるものじゃない。
個人開発を長く続けるのは、難しいです。モチベーションは波があるし、リリースしても反応がなかったりする。「なんのために作ってるんだろう」と思う夜は、何度もありました。
そういうとき、Lilyを踏みとどまらせてくれるのが、この小さなこだわりでした。「あの変数名、もっといい名前があるかも」「あのコメント、もう少し丁寧に書き直したい」。そういうことが気になっている限り、コードを開く理由になる。
外からの評価がなくても、自分の中に「まだやりたいこと」がある。それだけで、続けられます。
今のLilyは、「誰も読まないのになぜ?」という問いに、こう答えます。
自分が、読むから。
それだけです。すごく当たり前のことなのに、気づくまでに時間がかかりました。丁寧に書くのは、誰かへのパフォーマンスじゃない。自分の作業を、自分が誠実に扱うということ。
ユーザーには届かなくても、コードの中の小さな丁寧さは、未来の自分を助けてくれます。そして、「自分はこれをきちんと作っている」という感覚が、個人開発を続けるための、静かな自信になってくれます。結果が出なくても、反応がなくても、「自分はちゃんとやった」と思える根拠が、コードの中にちゃんと積み上がっていく。
誰も見ない場所での丁寧さは、ちゃんと意味があります。Lilyはそう信じて、今日もしっくりくる名前を探しています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
🎁 最後まで読んでくれたあなたへ、無料の特典があります: LINEで「自動化」と送って受け取る(実装テンプレ7本)
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
🖥️ 制作物・記事 → bokuwalily.com
🐙 OSS → github.com/bokuwalily
🌍 最新情報・お問い合わせ → X @bokuwalily