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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

あの夜のことを、今でも時々思い出します。 夜の11時を回ったころ、ひとりでパソコンの前に座って、プッシュ通知の実装をやっと完了させたところでした。何週間もかけて調べて、試して、何度も詰まりながら、ようやく動くようになった機能です。テスト送信のボタンを押したとき、通知はちゃんとサー…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
あの夜のことを、今でも時々思い出します。 夜の11時を回ったころ、ひとりでパソコンの前に座って、プッシュ通知の実装をやっと完了させたところでした。何週間もかけて調べて、試して、何度も詰まりながら、ようやく動くようになった機能です。テスト送信のボタンを押したとき、通知はちゃんとサーバーから飛んでいきました。管理画面のログにも「送信完了」と表示されました。技術的には、完璧に動いていたんです。 でも、受け取った人は0人でした。 ユーザーがまだ誰もいないのだから、当たり前の話です。頭ではわかっていました。それでも、あの瞬間の静けさは、何かを正確に突き刺してくるものがありました。ちゃんと動いているのに、誰にも届かない。その事実が、画面の「配信数:0」という文字よりずっと重く感じられた夜でした。この文章は、そのときのことを書こうと思って始めています。個人開発をしているみなさんに、少しだけ話しかけたい気持ちで。
あのとき作っていたのは、自分が運営している自動化ツールのアプリでした。ユーザーに定期的なリマインダーを届けたくて、プッシュ通知の機能を追加しようとしていたんです。
実装自体は、正直なかなか大変でした。証明書の設定から始まり、外部サービスとの連携、デバイスごとのトークン管理……。一つひとつに調べる時間が必要で、うまくいかないたびに少し萎えそうになりながら、それでも少しずつ前に進んでいきました。途中で「こんなに手間がかかるなら、後回しにすればよかったかな」と思ったこともあります。
でも、いざ動いた瞬間は純粋に嬉しくて、深夜なのにテンションが上がっていました。コーヒーを飲みながら、もう一度ボタンを押してみたりして。ひとり作業の地味な達成感というか、誰に言うわけでもないけど、「やったな」という感覚がありました。
送信ボタンを押した後、管理画面に表示された数字は「0」でした。
技術的には成功。人間的には、誰もいなかった。この二つが同時に成立する、という経験をしたことはありますか。Lilyは、あのとき初めてこの感覚を味わいました。
何が問題なわけでもないし、予想どおりでもあった。でも、ふと思ったんです。「わたし、誰のために作ってるんだろう」って。
悲しみというより、奇妙な浮遊感でした。ちゃんと動いているのに、誰も受け取らなかった。仕組みは完成しているのに、世界はまだそれを知らない。そのずれが、夜の静かさのなかで、どこかリアルに感じられました。
ゼロという数字は、不思議なものです。
しばらく眺めていると、急に別のことが見え始めます。「あのサービスはユーザーが何百人もいるらしい」とか「あの人は公開してすぐに反応があった」とか。直接調べていなくても、どこかで見た情報が頭のなかに自動的に並んで、自分のゼロをどんどん大きく見せてくる。
自分の話ではなく、他の人の数字を借りてきて、自分を測るんですよね。おかしいなと思いつつ、やってしまう。
正直に言うと、しばらくはずっと比べていました。
フォロワーの数、ユーザーの数、「作ってみた」投稿についたいいねの数。どれも自分より多い数字が目に入るたびに、「自分のやっていることって意味があるのかな」という気持ちがじわじわと出てくる。自分がやっていることが小さく見えてきて、少し立ち止まりたくなる。
でもあるとき気がついたのは、比べている相手の「文脈」を何も知らない、ということでした。その人が何年続けているのか、裏でどれだけ失敗しているのか、今本当はどんな状態なのか。数字だけを見ていると、まるで自分だけが遅れているみたいに感じる。でも、それはずいぶん不公平な比べ方だと思います。
比べること自体がいけないわけではないし、他の人の取り組みから学ぶことはたくさんあります。でも「自分のゼロと、誰かの何百」を並べて落ち込むのは、あまり建設的ではありませんでした。そのことに気づいてから、少し楽になりました。
少し落ち着いてから、もう一度ログを見ました。
「配信数:0」の上には、確かにこう書いてありました。「送信完了」。
通知はちゃんと飛んでいたんです。受け取る人がいなかっただけで、仕組みは正確に動いていた。これって、小さいようでいて、Lilyにとっては大事な確認でした。「誰にも届かなかった」のではなく、「届ける準備が整った」ということだったから。
個人開発をしていると、この二つをつい混同してしまいます。
作ったものが「動く」ことと、誰かに「届く」こと。この二つは、全然別のことです。「動く」は技術の話。「届く」は人の話。そして人の話は、どうしても時間がかかります。
一人でずっと作っていると、どこかで「動いたら届くはず」と思い込みがちです。でも現実は、動かせた後にもたくさんのステップがある。知ってもらう、使ってみてもらう、続けてもらう。その一つひとつが、まったく別の取り組みです。
仕組みが完成するのは、スタートラインに立てた、ということ。それがわかってから、「配信数:0」の見え方が少し変わりました。
「やめよう」とは、不思議と思いませんでした。
なぜだろうと後から考えてみると、たぶんLilyには「誰かに届かせること」より前に、「自分が作りたいから作っている」という部分があったんだと思います。もちろん使ってもらいたいし、誰かの役に立てたらうれしい。でも、いちばん最初の動機は「これがあったらいいな」という自分の実感から来ていました。
その実感は、0人でも変わりませんでした。仕組みは完成している。届ける準備はできている。それはゼロではない、とある意味では言えました。
あの夜にやったことは、一つだけです。
通知のテスト送信画面を開いたまま、自分宛てに一通だけ送ってみました。テスト用に登録しておいた自分のデバイスに、通知が届きました。「リマインダーです。今日も続けましょう。」というダミーのメッセージが、画面の上に出てきました。
少しバカみたいかもしれないですが、Lilyはそれを見て、なんか笑ってしまいました。最初のユーザーは自分か、と思って。
でも、それでいいかと思いました。少なくとも今は。
自分宛てのリマインダーを確認して、パソコンを閉じました。その日は、それで十分でした。
作ったものを世に出したとき、多くの場合、最初は静かです。
これはきっと、多くの個人開発者が経験していることだと思います。公開してしばらくは何も起きない。通知も来ない。数字も動かない。あの静けさは、作り続けることへの一種のテストみたいなものかもしれない、と今は感じています。
「静かな時期をどう過ごすか」が、長く続けられるかどうかに深くかかわってくるような気がしています。静けさに負けてやめてしまうか、静けさを当然のものとして受け入れて動き続けるか。どちらが正しいとは言えないけれど、Lilyは後者を選びたいと思っています。
最近試しているのは、「数字を見る頻度を決める」ことです。
毎日ダッシュボードを開いてゼロを確認するのは、思っていたよりしんどい作業でした。ゼロは、毎日見てもゼロのままのことが多い。それを毎朝確認するのは、自分でわかっていながら傷を押さえ続けるようなものです。
だから今は、週に一回だけ見るようにしています。それ以外の日は、作ることと、小さく知ってもらうための行動(記事を書く、一言だけ投稿する)だけに集中しています。
完璧な方法ではないですが、「毎日ゼロを確認する」よりは、ずっと前に進んでいる感覚があります。数字に振り回されるのではなく、自分のリズムで動けるようになってきた、という感じです。
今でも、あの「配信数:0」の画面のことは覚えています。
消したいとは思っていなくて、むしろ大事にしておきたい記憶です。あのとき感じた「誰にも届かなかった」という静けさは、Lilyがこれから誰かに届けるものを作り続けるための、いちばん最初の実感だったから。
個人開発をしているみなさんにも、きっとそれぞれの「ゼロの夜」があると思います。うまくいかなかった夜、誰も来なかった夜、通知を送ったのに静かだった夜。
そういう夜を経験しながら、それでも続けている人たちのことを、Lilyはひそかに仲間だと思っています。
ゼロが1になる日は、ゆっくりやってきます。それまでは、仕組みをちゃんと動かしておくことが、今できる一番誠実なことだと思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
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