この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

先日、ふとしたことでXのタイムラインを眺めていたら、見知らぬアカウントが目に止まりました。プロフィール欄に書かれていたのは、わたしがずっと作り続けているプロダクトとほとんど同じコンセプト。「個人が日々の発見を気軽に書き留めて、ゆるやかにつながれる場所」——そんなアイデアを、別の誰…
この記事が良かったら
「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
先日、ふとしたことでXのタイムラインを眺めていたら、見知らぬアカウントが目に止まりました。プロフィール欄に書かれていたのは、わたしがずっと作り続けているプロダクトとほとんど同じコンセプト。「個人が日々の発見を気軽に書き留めて、ゆるやかにつながれる場所」——そんなアイデアを、別の誰かがもう形にしようとしていました。 最初に感じたのは、正直に言うと、ちくっとした焦りでした。「先を越される」という言葉が頭をよぎって、そのアカウントのタイムラインを最初から読み返した記憶があります。スクロールしながら心のどこかで採点していた自分に、後になって気づいて少し恥ずかしくなりました。 この記事は、そのちくっとした感覚の話です。そしてその感覚が、気づいたらまったく別のものに変わっていた、ということについても。ひとりで作っていると、どうしても視野が狭くなります。だからこそ、外から飛び込んできた存在に揺さぶられた経験を、できるだけ正直に書きたいと思います。
「焦り」と書きましたが、もう少し正確に言うと、あれは嫉妬に近いものでした。
そのアカウントの投稿を読み進めるうちに、「デザインのこだわりがわたしより丁寧かもしれない」「ユーザーのフィードバックをもうこんなに集めている」「フォロワーの反応があたたかい」——そういった比較が、勝手に頭の中に湧いてきました。比べるつもりなんてなかったのに、気づいたら採点表が完成していました。
おかしいのは、競争しているわけでもないのに「負けたくない」という感情が出てきたことです。そもそもわたしはそのひとと戦っていないし、ユーザーを奪い合っているわけでもない。インターネットは広くて、同じ課題を感じているひとは世界中にいます。なのに、勝手に縮んでいました。
今になって思うと、あの感情は「負けたくない」じゃなくて、「自分が孤独じゃなかったと知ってしまった」ことへの動揺だったかもしれません。ひとりで作っていると、「この問題を感じているのは自分だけかもしれない」という不安と、「誰も作っていないから自分が作る意味がある」という支えが、表裏一体になっていることがあります。その均衡が、一枚の投稿で崩れた感覚でした。
しばらく、そのアカウントをフォローできませんでした。
なんとなく気になっているのに、タイムラインに流れてくるのが怖い。更新があると確かめたくなって、でも確かめると何かが削られていく気がする。我ながら子どもっぽいな、と思いつつも、しばらくその状態が続きました。
ある週、自分の作業ログを見返したら、そのアカウントを見つけた日を境に、手を動かした時間がガクっと落ちていました。別に「やる気をなくした」という自覚はなかったのですが、実際の積み上げは正直でした。
気持ちの上では「気にしていない」と思っていても、数字は別のことを言っていた。それを見せられたのは、ちょっとしたショックでした。「あ、わたし、ちゃんとダメージを食らっていたんだ」と初めて認めた瞬間でした。認めた分だけ、少し楽になりました。
数週間後、ふとそのアカウントを見に行ったとき、自分でも意外なことが起きました。
その日の投稿は、「リリースしたら全然使われなかった」という内容でした。一生懸命作った機能が、ほぼ誰にも触れてもらえなかった。そのことを淡々と、でも少し悔しそうに書いていました。長い文章ではありませんでした。でも、ひとつひとつの言葉に、確かな重さがありました。
その瞬間、何かが溶けました。
採点表は消えていました。代わりに出てきたのは「わかる」という感覚でした。わたしにも同じ経験があります。三週間かけて作った通知機能が、ほぼ誰にも気づいてもらえなかった夜のことを、今でも覚えています。あのとき感じた虚しさは、作っているひとにしかわからない種類のものだと思っていました。
でも、このひとも知っている。同じ場所で途方に暮れたことがある。
それを知ったとき、「ライバル」という言葉が頭から完全に消えました。
その投稿に「いいね」を押そうとして、一瞬手が止まりました。
「競合相手に共感してどうするの」という声が、頭の片隅からしました。でもすぐに「いや、競合なんかじゃなかった」という気持ちも来ました。わたしたちは同じ課題を別々に解こうとしているだけで、誰かのユーザーを奪い合っているわけではありませんでした。市場を分け合っているのではなく、同じ方向を向いて歩いているだけでした。
結局「いいね」を押しました。小さな行動でしたが、それはわたしにとって、あの採点表を手放す宣言みたいなものでした。
思い切って、DMで一言だけ送りました。「同じような課題を感じて作っています。あの投稿、刺さりました」という内容です。
返事は素直で短いものでした。「ありがとうございます。こっちも読んでいます」。
それだけでした。でも、それだけで十分でした。送ってよかった、と思いました。あの数十文字が、何週間分のもやもやをきれいにしてくれた気がします。
あれから、そのひとの投稿をたまに読むようになりました。フォローもしています。
不思議なことに、そのひとが新機能を出したとき、わたしはうれしい気持ちになっていました。「すごい」とも思ったし、「負けた」とも思わなかった。ただ、「ちゃんと前に進んでいる」という安心感がありました。自分のことではないのに、どこか自分のことのようにもありました。
最初は焦りと嫉妬だったのに、なぜ気づいたら応援する側になっていたのか。
たぶん、「失敗投稿」を読んだことで、そのひとが「競争相手」ではなく「同じ状況にいるひと」に見えたからだと思います。個人開発の孤独は、作っているひと同士でしか共有できない種類のものです。誰かに説明しても、なかなか伝わりにくい。「そんなに大変なら辞めれば」と言われておしまいになることもある。
その孤独を知っているひとを見たとき、わたしは自然と仲間だと感じました。競争という枠組みは、最初から自分の頭の中にしかありませんでした。
ここまで読んでくださったかた、もしかして今「似たことをやってるひとがいる」と感じている最中だったりしますか。
もしそうなら、採点するより前に、その投稿をちゃんと読んでみることをおすすめします。失敗の話、迷いの話、小さな気づきの話——そういうものが書かれていたら、きっと「わかる」という感覚が来ます。そのひとが強そうに見えても、華やかに見えても、同じように手が止まる夜があるはずです。
最初の一歩は「いいね」でいいと思います。ほんの一秒の行動ですが、採点表を手放す練習になります。すぐに返ってこなくても、伝わっているかどうかわからなくても、それでいいと思います。
わたしはその後、そのひとの投稿に刺激をもらって、止まっていた作業が再開しました。採点表があったときよりも、ずっと軽い気持ちで手を動かせるようになりました。ライバルだと思っていたひとが、気づいたら一番のエンジンになっていた。
ひとりで作っていると、自分の外側からの刺激が減ります。だからこそ、誰かの存在がよく響きます。
あのちくっとした感覚を、今は感謝しています。あれがなければ、今のわたしにとって一番「刺さる」存在を、見逃していたと思うから。好きになってしまったライバルは、気づいたらわたしの景色を少し広くしてくれていました。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
🎁 最後まで読んでくれたあなたへ、無料の特典があります: LINEで「自動化」と送って受け取る(実装テンプレ7本)
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
🖥️ 制作物・記事 → bokuwalily.com
🐙 OSS → github.com/bokuwalily
🌍 最新情報・お問い合わせ → X @bokuwalily