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個人開発を始めて、もうすぐ3年になります。 最初の1年は夢中でした。「自分だけのプロダクトを作れる」という高揚感があって、毎日新しいことを覚えていくのが純粋に楽しかった。でも2年目に入ったあたりから、ふとした瞬間に妙な感覚に気づくようになりました。それは「孤独」というより「非現実…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
個人開発を始めて、もうすぐ3年になります。 最初の1年は夢中でした。「自分だけのプロダクトを作れる」という高揚感があって、毎日新しいことを覚えていくのが純粋に楽しかった。でも2年目に入ったあたりから、ふとした瞬間に妙な感覚に気づくようになりました。それは「孤独」というより「非現実感」に近くて、「自分はいま、誰にも見えない場所で何かを作っているのではないか」という、奇妙な浮遊感でした。 この記事は、そんなLilyが、SNSで見かけた別の個人開発者にDMを送った日のことを書いたものです。大きな話ではありません。送ったのは1行でした。でも、その1行が、ひとりで閉じていた開発室に小さな窓を開けてくれました。
個人開発の一番の自由は、誰にも許可を求めなくていいことだと思います。デザインを変えたければ変えられるし、機能を削りたければ削れる。「会議で決める」も「上司に通す」もない。その自由は本当に心地よくて、私がこの働き方を選んだ大きな理由のひとつでもあります。
でも、その自由の裏に、じわじわと重くなっていくものがあります。
意思決定がすべて自分に返ってくること。「この機能、本当に必要?」と誰かに聞いても「自分で決めて」と返ってくる——でも、その「自分」しかいない状態が長く続くと、気づかないうちに判断基準が少しずつ歪んでいく感覚があります。リリースを先延ばしにしたとき、「これは慎重なのか、怖いだけなのか」を誰にも確認できないまま、ひとりで結論を出すしかありませんでした。その積み重ねが、疲れというより、澱みのように溜まっていったんです。
個人開発者が集まるようなハッシュタグをフォローして、他の人の進捗報告を毎朝読んでいました。「リリースしました」「ようやくv2.0が出せた」「100人に使ってもらえた」——そういう投稿を、コーヒーを飲みながら眺める時間がありました。
でも、それはあくまで「観察」でした。いいねはしても、声をかけることはしませんでした。理由をうまく言葉にできないのですが、「自分がそこに入っていっていいのかな」という感覚があって。みんな前に進んでいる。自分はまだ途中。そういう引っ込み思案が、ずっと胸の奥にありました。声をかけるには、何か「資格」のようなものが必要だと、どこかで思い込んでいたんだと思います。
転機は2024年11月のことです。
あるアカウントがこんな投稿をしていました。「個人開発、8ヶ月目。ユーザーは30人。なんか、虚しくなってきた」。フォロワー数は少なく、返信もほとんどついていませんでした。でも私は、その一文をスクリーンショットに保存するくらい、刺さりました。
「8ヶ月目」「30人」「虚しくなってきた」——これは去年の私の話ではないか、と思ったんです。数字こそ違うのに、感情だけがそのままコピーされたような気がして。画面越しに、誰かがまったく同じ場所で立ち止まっているのが見えた気がしました。
その投稿にコメントするか、DMを送るか、5分ほど迷いました。コメントは短すぎる気がして、ちゃんと話したかったので、DMにしました。
打ったのはこれだけです。
「こんにちは。さっきの投稿を読んで、思わず連絡してしまいました。8ヶ月目の虚しさ、私も経験があります。あなたも同じですか?」
送信ボタンを押してから、じわじわと後悔が来ました。「空気読めない人だと思われるかも」「既読無視されるかも」「そもそも迷惑かも」。通知をオフにして、別の作業に逃げようとしました。でも2時間後に、返信が来ました。
「ありがとうございます。読んでくれる人がいるとは思っていなかったので、ちょっと泣きそうになりました」
その一文を読んで、私も泣きそうになりました。
その方とは、その後1時間ほどDMでやり取りをしました。
気づいたことがあります。相手は、私よりずっとしっかりした技術力を持っている方でした。でも「誰かに見せるのが怖くて、ベータ版のまま半年以上止まっている」という状態でした。私はリリース自体は早かったけれど、「誰にも刺さらない感覚」でずっと止まっていた。詰まっている場所が違うだけで、根っこにあるものはよく似ていました。
ひとりひとり、違う壁の前に立っているんだな、と思いました。でもその壁が、見えないだけでちゃんとそこにある、ということを、誰かに話して初めて実感できた気がします。
そのやり取りの中で、相手がこう言いました。「リリースしても誰にも届かなくて、作ることに意味があるのかわからなくなった」と。
私は正直に話しました。「私はリリースして届かない経験をしたからこそ、『どう届けるか』を一番に考えるようになりました。作ることより、届け方を先に設計するようにしたんです」と。
それを言いながら、気づいたんです。この判断の変化、私はひとりで気づいていたつもりでしたが、こうして言語化したのは初めてでした。誰かに話さなければ、ずっと自分の中でぼんやりしたままだったかもしれない。話すことで、自分の経験が初めて輪郭を持ちました。それまで「なんとなく感じていたこと」が、「自分が学んだこと」に変わった瞬間だったと思います。
それまでの私は、「コミュニティに入る」ということを、なんとなく大げさに捉えていました。輪に入る、名乗る、役割を持つ、貢献する——そういう一連の重さが想像されて、「自分にはまだ早い」「何もできていないのに入ったら迷惑」という思い込みがありました。
でも、あのDMのやり取りで学んだのは、つながりに「資格」はいらないということです。
「8ヶ月目の虚しさ、私も経験があります」——それだけで十分でした。実績も知名度も関係ない。ただ、同じ場所にいた人間として、「私もそこにいました」と言うだけでいい。そのシンプルさに、気づくのにずいぶん時間がかかりました。
それ以来、私はSNSの見方を少し変えました。「観察する人」から、月に一度だけ「話しかける人」になることにしました。自分ルールはひとつ——「自分が経験したことと重なる投稿を見たとき」だけ声をかける。共感のない言葉を送らない、ということです。
それだけで、ずいぶん変わりました。やり取りをした人は今もまだ数人で、全員と友達になったわけでも、プロジェクトを一緒にしたわけでもありません。でも、「ひとりでやっているけど、ひとりではない」という感覚が、少しずつ積み重なっています。作業部屋は変わらず静かですが、その静けさの質が、少し違う気がしています。
個人開発は孤独な仕事です。それはどうしようもないし、ある程度はそれでいい、とも思っています。孤独な時間があるからこそ、集中できて、自分の声が聞こえる。
でも、孤独であることと、孤立することは、違います。
誰かの投稿を読んで「あ、同じだ」と思った瞬間がある人は、きっとこの記事を読んでいる方の中にもいると思います。その感覚は、行動に変えていいです。「まだ何も成し遂げていないから」は関係ない。実績の大きさと、つながる資格は、別の話です。
「あなたも同じですか」——この一文は、相手に問いかけているようで、実は自分に許可を与える言葉でもありました。「自分はひとりではないかもしれない」と、信じていいよ、という許可。
孤独な作業部屋に、小さな窓が開くといいな、と思いながら書きました。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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