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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

あの日、通知が鳴ったとき、わたしは画面を三つ開いていました。 ターミナルのログ、コードエディタ、それから延々と眺めているissueのリスト。「なんでこの処理がタイムアウトするんだろう」と頭の中でぐるぐる考えながら、関係なさそうなファイルを片っ端から開いて閉じて、またログに戻って。…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
あの日、通知が鳴ったとき、わたしは画面を三つ開いていました。 ターミナルのログ、コードエディタ、それから延々と眺めているissueのリスト。「なんでこの処理がタイムアウトするんだろう」と頭の中でぐるぐる考えながら、関係なさそうなファイルを片っ端から開いて閉じて、またログに戻って。そういうやつです、あの感覚。答えが見つかりそうで見つからない、集中の檻みたいな時間。 スマートフォンの画面が光ったのは、ちょうどそのときでした。売上の通知。はじめて、知らない誰かがわたしのプロダクトにお金を払ってくれた瞬間でした。わたしの反応は、「あ、そうか」。それだけでした。すぐに画面を伏せて、またバグの方に向き直りました。
正確に言うと、「あ、そうか」の後に少し間があって、それから「どうしよう、お礼メールの設定ちゃんとしてたっけ」という実務的な心配が来ました。感動より先に確認事項が来るのが、個人開発者というものだとそのとき思いました。あるいはそれは、わたしだけかもしれません。
通知を確認して、メール設定が動いていることをチェックして、それでまたバグに戻りました。夜の11時でした。結局そのタイムアウトの原因を特定したのは翌朝で、直った瞬間の達成感の方が、売上通知を受け取ったときよりも強かったかもしれません。
それが、わたしのはじめての収益の日です。お祝いもなく、乾杯もなく、ちょっとした感慨もなく、ただバグと売上通知がほぼ同時に存在していた夜。今思えば、この一夜が個人開発の縮図だったと感じます。
個人開発をしていると、節目というのが不思議とぼんやりしています。
会社に属していれば、プロダクトのローンチには拍手があって、売上目標を達成したら上司が声をかけてくれて、記念のランチがあったりします。お祝いされることを通じて、「ああ、自分は今日何かを成し遂げたんだ」と気づけます。節目を、誰かが教えてくれる環境です。
一人でやっていると、そういう外からの合図が一切ありません。ローンチの瞬間も、「デプロイ成功した、あとは動くか確認しよう」と次の行動に移るだけ。最初の売上も、「設定ちゃんとしてたっけ」。百人目のユーザーが登録したとき、わたしはそれに気づいてすらいませんでした。後からログを見て初めて知りました。
個人開発の画面には、常に次のタスクが積まれています。
バグを直したら、次はUIの改善。UIを直したら、次はコンテンツ。その次は告知、その次は分析、その次はまたバグ。常にやることがあって、その中で「今日のわたしはここまで来た」と立ち止まる理由がありません。前に進むことだけに最適化された日々の中で、自分の軌跡が見えなくなっていきます。
振り返ったとき、記憶に残っているのがバグの解決と次のissueへの着手だけで、節目が全部すっぽり抜けていたとしたら、それはちょっと切ない話です。でも長い間、わたしはそういう過ごし方をしていました。
はじめての収益から数ヶ月後のことです。わたしはかなり消耗していました。
プロダクトの指標は少しずつ伸びていました。ユーザー数も、売上も、先月より今月の方が良い状態。傍から見れば順調で、自分でも「まあ悪くはない」と思っていました。でも、なぜかやる気が出ない。朝パソコンを開くのが重い。コードを書き始めても、以前ほど楽しくない。
なんでだろうと考えていたとき、ふと思い当たったことがあります。わたし、最後にちゃんと喜んだのはいつだっけ。
思い出せませんでした。本当に。売上が倍になったときも、初めてレビューがついたときも、念願だった機能を実装したときも、「よし次」と進んでいました。自分が何かを達成したことを、自分自身がきちんと受け取っていなかったのです。
燃料という言葉が好きです。モチベーションは燃料みたいなものだと思うから。走り続けるには補給が必要で、その補給が「達成した、よかった」という実感から来る部分は大きい。
でもわたしは、補給をしないまま走り続けていました。指標が伸びることは数字として見えていたのに、それを自分の体験として受け取る行為をずっとスキップしていたのです。タスクをこなすことに夢中で、自分が何かを成し遂げている人間だという感覚を置いてきていました。
消耗を感じ始めてから少し後、わたしはある夜、意識的に「止まる」ことを試みました。
その日の収益は、わたしが当初「これが達成できたら嬉しいな」と思っていた月次の目標を静かに超えていました。気づいたのはたまたまです。ダッシュボードをなんとなく眺めていたら、数字がそこにありました。
いつもなら「よし次」と閉じるところを、その夜はやめました。コーヒーを淹れて、もう一度その画面を開いて、じっくり眺めました。特別なことはしていません。ただ、ゆっくり見た。「わたし、これ達成したんだな」と声には出さないけれど思いながら、コーヒーを飲みました。
たったそれだけのことでした。でも翌朝、なぜか気持ちが少し軽かったのです。
それから、わたしは小さな「ひとり祝い」を意識するようになりました。
大げさなことは何もしていません。節目になりそうな数字や出来事に気づいたとき、少し時間をかけて受け取る、それだけです。通知をすぐに閉じない。スクリーンショットを撮って、専用のフォルダに保存する。夜に一人で「今日はここまで来たな」と思いながら飲み物を一杯飲む。
誰かに見せるためではなく、自分が経験したことを自分で記録するための行為です。節目を、自分の手で刻んでおく感覚。
ここで大切だと思うのは、節目のハードルをものすごく低く設定することです。
百人のユーザーじゃなくてもいい。十人でも、一人でも。売上が大台に乗ったときじゃなくてもいい。最初の一円でも。「たったそれだけで?」と思うくらいの些細な達成を、丁寧に受け取ることの積み重ねが、長く続けるための地盤になる気がしています。
個人開発は、誰も見ていない場所で何かを作り続ける行為です。外から評価を受けるまでに時間がかかることも多い。そういう環境の中で、自分が自分の最初の観客であり、一番の応援者でいることが必要なのかもしれません。
最近やっていることのひとつが、月に一度、その月のちいさな出来事を箇条書きにすることです。
初めて海外からのアクセスがあった日とか、思いがけず時間がかかった修正がようやく終わった日とか、ユーザーから直接メッセージが来た日とか。指標の数字ではなく、「出来事」として並べます。
後から読み返したとき、「あ、こんなことがあったんだ」と少し驚くことがあります。日々追われていると忘れてしまうような瞬間が、そこにあります。記録することが、節目を節目として存在させてくれる感じがします。
あのバグを直した夜のことは、今でもたまに思い出します。
あの日もう少しだけ立ち止まっていたら、売上通知の意味をちゃんと受け取れていたら、翌朝のわたしは少し違う顔をしていたかもしれない。それは別にたいしたことではないし、あの夜が間違いだったとも思いません。ただ、自分を後回しにし続けることのコストが、あとからじわじわ来ることを知りませんでした。
今でも「次のissue」は常にそこにあります。やることはなくなりません。それはきっとこれからも変わりません。ただ、通知が鳴ったとき、少しだけ画面を伏せるのを遅らせるようになりました。バグの続きはあと5分待てます。
個人開発をしている誰かに伝えたいのは、大げさなことは何もしなくていい、ということです。コーヒー一杯分の時間でいい。スクリーンショット一枚でいい。自分がどこまで来たかを、自分だけが知っている場所に刻んでおく。その小さな儀式が、次の週も、次の月も、画面の前に座り続けるための、ひそかな燃料になります。
今日も何かひとつ、達成しましたか。ならば、乾杯を。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています