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ある朝、何かに背中を押されるわけでもなく、ふとノートパソコンを開きました。目的があったわけじゃありません。ただ、指が勝手に古いフォルダを辿って、数ヶ月前に途中で止まったプロジェクトのディレクトリを開いていました。 見覚えのあるファイルの名前。半分しか書いていないコード。「あとでや…
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Lily さんへの応援になります
ある朝、何かに背中を押されるわけでもなく、ふとノートパソコンを開きました。目的があったわけじゃありません。ただ、指が勝手に古いフォルダを辿って、数ヶ月前に途中で止まったプロジェクトのディレクトリを開いていました。 見覚えのあるファイルの名前。半分しか書いていないコード。「あとでやる」のまま止まった画面設計のメモ。それを見て最初に浮かんだのは、罪悪感でも焦りでもなく、不思議なほど静かな「懐かしさ」でした。 ここ数ヶ月、個人開発のことはできるだけ考えないようにしていました。忙しかったのもあるし、正直に言えば、少し傷ついていたのもあります。今日はそういう話を書いてみようと思います。挫折日記でも反省文でもなく、ただ「また始めた朝」の記録として。
最初に手をつけたのは、小さなタスク管理アプリでした。
本業の合間に少しずつ作っていて、ようやくリリースできそうな段階まで来ていた頃。友人に見せたら、こう言われたんです。
「既存のアプリで十分じゃない?」
悪意はゼロだったと思います。むしろ本音のフィードバックとして言ってくれたのかもしれない。でも、そのとき自分の中で何かが静かにしぼんだのを感じました。画面を閉じて、コーヒーを飲んで、別のことを考えようとして。でも、なんとなく胸の真ん中あたりに、消えない違和感が残っていました。
そこから少しずつ、コードを書く頻度が減っていきました。「今日は疲れてるから」「週末にまとめてやる」を繰り返すうちに、最後に触った日がいつかもわからなくなってきた。GitHubの草が枯れていくのを横目で見ながら、「もうこのまま終わりにしてもいいかな」と思い始めていました。
仕事が本格的に忙しくなったのも確かです。朝から晩まで他人の締め切りに追われて、帰宅したらもう何も考えたくない夜が続いた。個人開発の話題が出るたびに、心のどこかでシャッターを下ろしていました。
でも、正直に言えば、それだけじゃなかった。
あの「既存のアプリで十分」という言葉が、ずっと頭の片隅に居座っていたんです。作ること自体は好きなのに、「作る意味はあるのか」という問いが先に立つようになってしまった。何か作るたびに、答え合わせが怖くなっていた。それが、一番しんどかったと思います。
あの朝、フォルダを開いたのは本当に偶然でした。別のファイルを探していて、たまたま目に入っただけです。
最初は「あ、これね」くらいの気持ちで眺めていたのですが、読み進めるうちに不思議な感覚が湧いてきました。
これ、経験したことがある方いませんか。
数ヶ月前の自分が書いたコードなのに、意図がすぐにわからない。なぜここでこの処理をしたのか、なんでこの変数名にしたのか。読み解くのに少し時間がかかって、「当時の自分、ちゃんとメモ残しておいてくれよ」と心の中でぼやいてしまいました。
でも同時に、「あ、このロジック、なかなかうまく書けてるな」と思う箇所もあって。当時の自分が一生懸命考えた跡が見えるところには、素直に「よくやった」という気持ちが湧いてきた。自分のコードを読んで感心するのって少し恥ずかしいけれど、悪い気分じゃなかった。むしろ、「この人、ちゃんと考えてたんだな」と、過去の自分を少しだけ見直す感じがありました。
よし、続きを書こう。そう思った瞬間に、また手が止まりました。
どこから始めればいいかわからない。当時の文脈が頭の中からすっぽり抜けていて、再開するためにまず「読み解く」作業が必要になる。それが思ったよりしんどくて、また「やっぱりやめようかな」が顔を出す。
でもそこで、「続ける」のをやめることにしました。代わりに「また始める」を選んだんです。
これ、小さいようで自分の中では結構大きな気づきでした。
「続ける」って、止まった地点から再開するイメージです。途切れた部分を埋めて、ちゃんと前に進まないといけない義務感がある。当時の自分が思い描いていたゴールに向かって、計画通りに歩かなくちゃいけない感じ。でも、数ヶ月ぶりに開いたコードの前でその責任を背負うのは、思っていた以上にしんどいものでした。
「また始める」は、もう少し軽い。当時の自分が書いたものをリスペクトしながら、でも今日の自分の状態で、できることから手をつける。ゼロから作り直すわけじゃなくて、「今の自分がここに入った」という感覚で、静かに再入場する感じです。
その違いに気づいたとき、少し肩の力が抜けました。
具体的には、画面に1つだけ機能を追加しました。難しいことじゃなくていい。「これ追加したかったけど後回しにしてたやつ、今日やってみる」くらいの温度感で。
実際にやってみたら20〜30分で終わりました。でもそれだけで、「あ、また動いた」という感覚が体に戻ってきた。画面の中で何かが変わって、それが自分の手で起こったことで。コードは生きていた。自分も、まだ作れる。その確認ができただけで、あの朝は十分でした。大げさな決意も、誰かへの宣言も、何も要らなかった。
同じ夜、しばらく開いていなかった個人開発コミュニティを覗きました。
いろんな人の投稿が流れていて、「リリースしました」「うまくいかなくて悩み中です」「またイチから作り直すことにしました」みたいな言葉が並んでいた。数ヶ月前の自分が遠ざかっていた間も、みんなはそれぞれのペースで、作ったり止まったりしながら、ここにいたんだなと思いました。
正直に言います。うまくいっている人の話より、うまくいっていない話の方が、あの夜は沁みました。
「三ヶ月かけて作ったけど誰にも刺さらなかった」「モチベが完全に切れて放置してる」「何度目かのピボットしてます」。そういう言葉を読みながら、「自分だけじゃないんだ」と、静かにほっとしていました。
個人開発を続けている人でも、手が止まる時期があって、方向転換して、それでもまた作っている。そういう当たり前のことを、改めて画面越しに確認できた気がしました。誰かの「詰まってます」という一言が、同じくらい詰まっている人にとってどれだけ助けになるか。そのことも、あの夜に初めてちゃんとわかった気がします。
それに気づいてから、発信することへの怖さが少し薄れました。
完成したものや、うまくいったものだけを見せなくていい。途中で止まったこと、傷ついて遠ざかったこと、でもまた戻ってきたこと。そういうリアルな話の方が、誰かの「また始める」につながることがあるかもしれない。そう思えたのは、あの夜に誰かの正直な言葉を読んだからです。
この話、教訓めいたことを言いたいわけじゃないんです。
ただ、数ヶ月間リポジトリを放置していた自分を、ずっと責めていた部分があって。「なんで続けられなかったんだろう」「あのとき踏ん張ればよかった」みたいな後ろ向きな気持ちが、どこかにくっついていました。でも、責めていても何も生まれなかった。ただ苦しかっただけでした。
あの朝コードを開いて、小さな機能を1つ動かして、久しぶりにコミュニティを見て。気がついたら「また作りたい」という気持ちが戻っていました。
それは「続けた」からじゃなくて、「また始めた」からだと思っています。
いま振り返ると、放置していた期間に自分がやっていたこと、感じていたこと、見ていたものが、今後作るものの中に少しずつ入ってくる気がします。意識的に仕込んでいたわけじゃないけれど、人間って生きているだけで何かを吸収しているんだな、と。
あのとき「既存のアプリで十分じゃない?」と言われたことも、今は少し違う角度で受け取れています。そうかもしれない。でも、それでも自分が作りたいなら、作っていい。誰かに刺さらなくてもいいし、完成しなくてもいい。作りたい気持ちがある間は、作る理由としてそれで十分なんだと、ようやくシンプルに思えるようになりました。
リポジトリを放置していた数ヶ月、自分を責める必要はなかったのかもしれません。でも、その時の自分には、そうする以外のやり方がわからなかった。
もしいま、開くのを迷っているプロジェクトがあるなら、義務感なしにちょっとだけ覗いてみてほしいです。続けなくていいし、全部読み直さなくてもいい。ただ「あ、こんなの作ってたな」って眺めるだけでも、何かが動き出すことがあります。それだけでいい、と思います。
私にとっての「また始める」は、あの朝の20〜30分でした。大げさな決意もなく、誰かに宣言するわけでもなく、ただ小さな機能を1つ動かした。それだけです。
あなたにとっての「また始める」が、どんな形であっても。ふと手を動かしたくなる朝が、きっとそのうち来ると思います。そのとき、焦らなくていい。続けなくていい。また始めるだけで、十分です。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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