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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

「ちょっと聞いてもいいですか?Lilyさん、アドバイスってもらえますか?」 その一文を読んだとき、Lilyはスマホを持ったまま、少しの間フリーズしていました。知り合って数週間の個人開発者の方から、DMで届いたメッセージです。リリースしたばかりのアプリについて、収益化の方向性で迷っ…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
「ちょっと聞いてもいいですか?Lilyさん、アドバイスってもらえますか?」 その一文を読んだとき、Lilyはスマホを持ったまま、少しの間フリーズしていました。知り合って数週間の個人開発者の方から、DMで届いたメッセージです。リリースしたばかりのアプリについて、収益化の方向性で迷っているという相談でした。 「自分なんかが……」と思った。これが正直なところです。Lilyはまだ大きな成果を出しているわけでもなく、有名でもなく、フォロワーが多いわけでもない。なのに「アドバイス」という言葉を向けられて、すごく居心地が悪かったのを覚えています。断るのも失礼だし、正直に言えばどこかでちゃんと答えたいとも思っていた。だからおそるおそる返事を書いた。あれから半年ほど経って、Lilyはあの日のことをよく振り返ります。あの瞬間、何かが変わった気がして。教える側に立ってはじめて、それまでずっと見えていなかったものが見えてきた話を、今日は書いてみようと思います。
個人開発を続けていると、SNSには「月◯万円達成」とか「ユーザー数◯万人突破」みたいな投稿が流れてきます。Lilyも最初は素直にすごいなと思っていたのですが、いつの間にかそれが「自分の基準」になっていました。
自分がリリースしたものが1,000件ダウンロードされても、「まだ全然だな」と思う。収益がゼロじゃなくなっても、「こんな金額じゃな」と思う。比べる先が常に自分より上にあるから、自分の位置が永遠に「ない」みたいな感覚になっていたんです。
これって、個人開発をしている多くの人に共通することじゃないかとLilyは思っています。毎日少しずつ作り続けているのに、「積み上げてきた」感じがしない。なぜかというと、自分の経験は自分にとって「普通のこと」になっていくからです。
ストアに申請する手順が怖くなくなった。エラーと向き合うサイクルが身についた。ユーザーに意見をもらってから直す流れが回せるようになった。でもそれは「できなかったのにできるようになったこと」であって、今の自分にとっては「当たり前のこと」に映ってしまう。成長が見えなくなるのは、成長していないからじゃなく、自分の基準が知らず知らず上がっているからなんですよね。
話を戻すと、Lilyはあのとき相当悩みました。返事を書いては消して、また書いて、また消して。
「こんなことを言ったら的外れかな」「自分の経験って、参考になるのかな」。そんな不安が頭をぐるぐるしていました。でも気づいたら、気づいたらですよ、けっこうな量の言葉が出てきていたんです。
「Lilyはこうやって考えました」「こういうことで失敗したことがあって」「その後こう変えたら少し変わりました」という言葉が、自然に出てきた。アドバイスのつもりじゃなくて、自分の体験を共有するつもりで書いたら、止まらなかった。
送る前に、一度全部読み返しました。「これ、偉そうに聞こえないかな」って。
そこで少し書き直したことがあります。「〜すべきです」という言い方を、「Lilyはこうしてみました」に変えたんです。あと「うまくいかないこともあったけど、それでも続けてよかったと思っています」という一文を足した。なんというか、経験を押しつけるんじゃなく、ただ隣に並んで話すような言葉にしたかった。
相手の方からは「ありがとうございます、すごく参考になりました。Lilyさんが迷いながらもやってきたって聞けて、少し楽になりました」という返事をもらいました。技術的なことじゃなく、「迷いながらもやってきた」という事実そのものが誰かの役に立ったことが、Lilyにとって一番の驚きでした。
あの返信を送ったあと、Lilyはなんとも言えない気持ちになりました。誇らしい、とは少し違う。「あ、自分にも言えることがあったんだ」という、静かな発見のような感じです。
それまでのLilyは、「まだ成功していないから、語れることはない」と思っていました。成果が出てから、実績ができてから、もっと大きくなってから。でも、あの日気づいたのは、「成功していなくても、経験はある」ということでした。
失敗の話でさえ、誰かにとってはリアルな情報になります。「自分もこうなるかもしれない」と前もって知れることが、後輩の無駄な時間を減らすことがある。積み上げてきた時間は、アウトプットの大きさとは別に、ちゃんと価値を持っているんだと、はじめてそう思えました。
Lilyがもう一つ気づいたことがあります。「規模が小さい=価値が低い」という無意識の思い込みを、ずっと持っていたということです。
フォロワー数、ダウンロード数、収益。数字に序列がある世界にいると、自分の数字が小さいほど「まだ話す立場じゃない」と感じてしまいます。でも、本当にそうでしょうか。個人開発者が聞きたいのは、完成された成功譚だけじゃなくて、同じように悩みながら続けている人のリアルな声でもあるはずです。
Lilyも、誰かの「月収◯◯万円達成」より、「こういうとき不安になって、こうやって乗り越えた(あるいは乗り越えられなかった)」という話の方が、ずっと読みたいと思っていたはずなのに。自分に対してだけ、そのものさしを使っていなかったんですよね。
あの相談をきっかけに、Lilyは少しずつ「自分がやってきたこと」を言葉にする練習をはじめました。
人に説明しようとすると、ぼんやりしていた経験に輪郭が出てくることに気づいたんです。「なんとなくこうした」と思っていたことが、「こういう理由でこうした」と言えるようになる。「うまくいった気がする」と思っていたことが、「このタイミングでこう変えたら手応えがあった」と整理できる。
説明するという行為は、自分の理解を深める行為でもあります。相手に伝えようとすることで、自分がどこまで理解していたかがはっきりします。話せることが多いほど、自分が思っていた以上に経験を積んでいたことに気づけます。
それからLilyがやっていることが一つあります。週に一度、ノートに「今週できるようになったこと」「今週気づいたこと」を書き出すようにしました。
大したことじゃなくていい。「ストアのレビューに返信するのが怖くなくなった」「デザインの迷いを素早く切り上げられるようになった」「昨日の失敗を引きずらずに翌日また動けた」。そういうことです。
毎週見返すと、積み上げてきたものが文字として残っています。数字じゃなく、言葉で。これが地味にありがたくて、低空飛行の週でも「自分はちゃんと動いていたんだ」と思えます。大きな成果じゃなくても、小さな変化を記録していくと、それが自分への証拠になっていく感じがするんです。
個人開発って、基本的に一人です。チームも上司もいないし、進捗を報告する場所もない。自由な反面、「自分のやっていることって正しいのかな」と確認する機会がなくて、気づいたら不安が溜まっていることがあります。
でも、誰かの話を聞いていると、「あ、自分もそう思ってたな」「自分はこうやって解決したな」と過去の自分と向き合う時間になるんです。相談に乗っているつもりが、いつの間にか自分の整理もできている。人の悩みを聞くことが、自分の棚卸しになっていました。
Lilyはいまも、アドバイスを求められるとちょっと緊張します。「正しいことを言えるかな」という不安は消えていない。でも、以前とは少し違う向き合い方ができるようになりました。
正解を教えなくていい。自分の経験を正直に話す。失敗したことも、うまくいかなかったことも、まだ迷っていることも、ぜんぶ共有していい。それだけで、相手の「一人じゃないな」という感覚につながることがある。一緒にいる、ということの価値を、教える側に立ってはじめて知った気がします。
最後に、これを読んでいるあなたに少しだけ話しかけてもいいでしょうか。
「自分なんかが語れることはない」と思っている個人開発者のあなた、Lilyはそれは違うと思っています。あなたが今まで費やした時間は、あなたが思っているより多くのことを教えてくれているはずです。
誰かに聞かれたとき、完璧な答えを出そうとしなくていいです。「自分はこうだった」「こういうときこうした」「正直まだわからない」、それで十分です。その言葉は、同じ場所に立っている誰かにとって、思っている以上に価値があるかもしれない。
Lilyもまだまだ途中です。でも、途中であることをちゃんと話せる人間でいたいと思っています。あなたの経験も、きっと誰かの「それで十分だ」になるから。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています