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「もしかして使い方を間違えている人がいる」と気づいたのは、何でもない夜でした。コーヒーが冷めていくのも気にせず、アクセス解析のダッシュボードをぼんやり眺めていたら、見慣れない動線が目に入ってきました。あるページへの流入が増えている。でもその経路は、わたしが設計したものとはまったく…
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「もしかして使い方を間違えている人がいる」と気づいたのは、何でもない夜でした。コーヒーが冷めていくのも気にせず、アクセス解析のダッシュボードをぼんやり眺めていたら、見慣れない動線が目に入ってきました。あるページへの流入が増えている。でもその経路は、わたしが設計したものとはまったく違う場所でした。 最初に浮かんだのは「バグかな」という疑念で、次に「この人、使い方を間違えているんじゃないか」という思いでした。そしてその次に、少しだけムッとしている自分に気づきました。作り手として、「そこじゃない」「そういう意図じゃない」という感覚が、じわっと湧いてきたのです。 その日はそのままにしておきました。でも数日後、またそのデータを見ていたら、ふと気になってしかたなくなりました。どんな人が、どんな気持ちで、その経路を通っているのだろう。そこを追いかけていったら、わたしは予想もしていなかったものを見つけてしまいました。今日はその話を書こうと思います。
アプリを作るとき、わたしはかなり細かく「使い方の流れ」を考えます。どこから入って、何を見て、どう動いて、最終的にどこへたどり着くか。その道筋を頭に描いて、それに沿ってデザインして、その流れに合わせた説明文を書きます。
そのアプリの動線については、かなり丁寧に考えたつもりでした。ユーザーが迷わないように、余計な選択肢を減らして、シンプルにしました。だから「みんなこの道を通るはずだ」という確信が、どこかにあったんだと思います。
作り手というのは地図を描く人に似ています。地形を決めて、道を敷いて、看板まで立てる。でもその地図は、作り手の視点から描かれたものです。それがいつのまにか「正解の地図」になっていました。
異変に気づいたのは、アクセス解析を流し読みしているときでした。わたしが「メイン」だと思っていた機能より、あまり目立たない場所に置いていた別の機能のほうが、ずっと頻繁に使われていました。しかも経路が変わっている。ふつうは「A→B→C」と進むはずなのに、その人たちは「C」から入って、「B」をすっ飛ばして、「A」で終わっていました。
逆順です。設計した流れとまったく逆でした。
最初は本当にバグかもしれないと思って、動作確認をしました。でも機能は正常に動いていました。つまりこれは、誰かが意図的にそういう使い方を選んでいるということでした。
ここで正直に書きます。わたしはそのとき、少しイライラしていました。
「せっかく丁寧に設計したのに、違う使われ方をしている」という感覚です。「Aから入ってほしいのに、なんでCから入るんだろう」という気持ち。ユーザーに怒っているわけではないのですが、自分の設計が「無視された」ような感覚がありました。
個人開発をしている方なら、この感覚、もしかしたら覚えがあるかもしれません。自分が作ったものだから、どう使われるべきかも自分が一番知っているはず——そういう思い込みが、思った以上に根深いことに、この日気づきました。
数日後、その動線が気になって、もう少しちゃんと見てみることにしました。
何人かがその経路を通っているのか確認してみると、決して少なくありませんでした。ランダムな偶然ではなく、同じような人たちが、繰り返し同じパターンで使っていました。となると、「間違い」ではなく「その使い方のほうが、その人たちにとっては自然」ということになります。
ログを眺めながら、わたしはその人たちの状況を想像し始めました。CからBをとばしてAで終わる使い方。それが「正しい」としたら、どんな目的があるのか。どんな場面で、どんな気持ちで使っているのか。
想像していくうちに、あることに気がつきました。
わたしのアプリをそういうふうに使う人は、多分「じっくり時間をかけたくない日」の人なんです。Aのステップはやや重くて、Bも手間がかかります。でもCだけ使えば、3分で用が済む。わたしはAとBを「メイン」だと思っていましたが、その人たちにとってはCが本体で、AとBはオプションだったのです。
わたしが設計したのは「丁寧に使う人のための流れ」でした。でも実際には「今日はちょっと余裕がない人」も来ていて、その人たちにとってはCから入るルートのほうがずっと使いやすかった。
その視点は、わたしには最初からありませんでした。
作り手は、「丁寧に使ってもらえる状態」でしか想像できないことが多いと思います。少なくともわたしはそうでした。アプリを作るとき、時間も気力も十分ある状態で設計していました。だから「ちょっと余裕がない日のユーザー」は、わたしの設計図には登場しなかったのです。
でもユーザーは、余裕のある日ばかりではありません。疲れた日、忙しい日、5分しかない日にも、アプリを開いてくれることがあります。その「余裕のない状態の自分」のためにも使えるかどうかが、実はアプリの本当の価値に近いのかもしれない——そう思い始めました。
アプリの設計図には「こう使ってほしい」という作り手の意図が入ります。でもユーザーはその意図を読まずに、自分の問題を解こうとします。その「解こうとする動き」の中に、作り手が見落としていたニーズが隠れていることがあります。
意図しない使い方は、批判でも誤解でもなくて、フィードバックだったのです。「こんな使い方もあるよ」「こんな状況の人もいるよ」と教えてくれていた。そう気づいたら、最初の「そうじゃない」という気持ちが、自分でも少し恥ずかしくなってきました。
気づいた後、わたしがやったことは大きくありません。劇的な改修でも、ユーザーインタビューの実施でもありませんでした。
まず、その「逆順の経路」でも迷わないように、Cのページに一行だけ説明を足しました。「ここから使い始める方も多いです」という一文です。それだけで、「Cから入ること」が公式に認められた経路になりました。文言一行で、使い方の多様性をこちらから肯定できたことが、思った以上に気持ちよかったです。
次に、手元のメモに「時間がない日のユーザー」というペルソナを書き足しました。今後の機能追加や改修のとき、この人の立場でも考えるようにするために。名前も顔もない架空の人ですが、設計中に思い出せるようにしておきたかったのです。
それくらいです。でもそれをやった後、なんとなく気持ちが軽くなりました。「わたしの設計図が正解じゃなかった」という事実を受け入れたら、むしろアプリへの愛着が少し増した気がしました。
個人開発は、自分が決めて、自分で作って、自分でリリースします。全部ひとりで完結できる感覚があります。でもユーザーが実際にどう使うかは、どれだけ考えても、全部はわかりません。
地図を描くのは作り手です。でも地図に書かれていない道を最初に歩くのは、ユーザーです。その足跡が、次の地図を豊かにしてくれます。
「意図しない使い方」に最初ムッとした自分を思い出すと、今でも少し笑えます。あのとき怒らなくてよかった。追いかけてみてよかった。ログを丁寧に読んでよかった。
アプリがどう使われているかを「自分の設計の正解かどうか」で評価していた間は、ユーザーのことが見えていなかったのだと思います。「どんな問題を解こうとしているか」で見るようにしてから、少しだけ、ちゃんとユーザーのそばに立てた気がしています。
正しい地図はまだ描き途中です。でもたぶん、ずっと描き途中でいいのだと思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
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