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数字を追うことが、いつの間にか義務になっていました。 リリースから3ヶ月が経ったころ、わたしはダッシュボードを開くたびに小さくため息をついていました。毎朝コーヒーを片手にセッション数を確認して、昨日より増えていなければ少しだけ気持ちが沈みました。そんなルーティンがいつの間にかでき…
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数字を追うことが、いつの間にか義務になっていました。 リリースから3ヶ月が経ったころ、わたしはダッシュボードを開くたびに小さくため息をついていました。毎朝コーヒーを片手にセッション数を確認して、昨日より増えていなければ少しだけ気持ちが沈みました。そんなルーティンがいつの間にかできあがっていて、分析画面は「うまくいっていないこと」を突きつける鏡になっていました。 これは失敗談でも成功談でもなくて、ある夜に起きたごく小さな出来事についての話です。名前も顔も知らない誰かが、今まさに自分の作ったものを使っている——その事実が、孤独な開発の夜にどれだけ力をくれるか。個人開発をしている方に、ちょっとだけ届けたくて、書いています。 技術的な話はほとんど出てきません。ただ、作り手として感じたことを、等身大の言葉で記録しておきたいと思います。
個人開発を始めたばかりのころ、わたしはアクセス解析ツールをほとんど使っていませんでした。「まずリリースしてみよう」という気持ちで公開して、そのまましばらくは感覚だけで作り続けていました。
それが変わったのは、知り合いの開発者から「毎日DAUを見ておくといいよ」と言われたことがきっかけです。その方は複数のサービスを運営していて、数字の動きから改善ポイントを素早く見つけるのが得意でした。アドバイスをもらってすぐに計測ツールを入れて、毎朝確認する習慣をつくりました。
最初のうちは楽しかったです。グラフが右肩上がりのときは、「やっぱり数字は正直だな」と思いながら画面を眺めていました。でも伸びが止まると、確認することが少しずつ億劫になっていきました。
問題は、見たくないのに見てしまうことでした。「今日はちょっと疲れたから見るのをやめよう」と思っても、気づいたらブラウザのタブを開いています。数字が気になる——でも増えていないのがわかっていて、見るのが怖くて。その繰り返しがしばらく続きました。
分析画面は何も悪いことをしていません。ただ事実を表示しているだけです。でもそのころのわたしにとって、あの画面は「足りないもの」を可視化する場所になっていました。
その日は特別な夜ではありませんでした。締め切りがあるわけでもなく、新機能をリリースしたわけでもない、ごく普通の平日の夜。日付が変わるころ、何となくダッシュボードを開いて、数字があまり変わっていないのを確認して、「明日また見よう」とタブを閉じようとしました。
閉じる直前に、ふと目に入ったものがありました。
リアルタイムのユーザー数が、「1」になっていました。
時刻は午前0時17分でした。わたしが「今日はもう終わり」と思っていたその瞬間、誰かがわたしのサービスを開いていました。
名前はわかりません。どこに住んでいるかも、何のためにアクセスしてきたのかも、何も知りません。ただ、リアルタイムの「1」という数字が、画面の中で静かに光っていました。
わたしはしばらくその画面から目が離せませんでした。ページの動きを見ていると、その人はトップページを開いて、一覧ページに進んで、詳細ページをいくつか確認しているようでした。3分ほどでセッションが終わり、数字は「0」に戻りました。
その夜まで、わたしは「セッション数」を一種の抽象的な指標として見ていました。グラフ上の数字。増えたら良い、減ったら悪い。でも「1」というリアルタイムの表示は、それが抽象的な指標ではなく、「今この瞬間に生きている人が、自分の作ったものを開いている」という具体的な事実であることを教えてくれました。
月間で見ると何百、何千というセッションも、もとをたどれば全部、ある時刻にある場所で誰かがアクセスした「1」の積み重ねです。それが頭でわかっていても、リアルタイムで見るのとでは、受け取り方がまったく違いました。
個人開発の孤独については、いろんな場所で語られています。レビューをもらえない、フィードバックが来ない、反応がわからない——。わたしもそういう孤独を感じていた時期がありました。
でも「0時17分の1」を見たあの夜に気づいたのは、孤独にはもうひとつの顔があるということです。「誰にも使われていない」という感覚ではなく、「誰かに使われているのに、それが見えていない」という孤独。使われているのに、温度が伝わってこない。その感覚のズレが、じわじわとこたえていたのかもしれません。
その夜の「1」は詳細ページをいくつか開いていましたが、特定のページで止まったきり次に進まない動きをしていました。直感ですが、「情報を探しているのに見つからなかったのかもしれない」と思いました。
翌日、そのページの構成を見直しました。情報の並び順を変えて、よく使う機能への導線をひとつ増やしました。変更は小さなものでしたが、その後の流れ方が少し変わりました。数字に背中を押されるのではなく、「誰かの行動」から考えた、はじめての改善でした。それまでの「グラフの傾きを改善したい」という動機とは、何かが決定的に違っていました。
その夜以来、分析画面を開く理由が変わりました。
それまでは「昨日より増えたかどうか」を確認するために開いていました。でも今は、一日のどこかで必ずリアルタイムのユーザー数を眺める時間をとっています。夜の11時でも、昼休みでも、誰かがアクセスしているときにその動きをそっと追うようにしました。
数字が増えているかどうかではなく、「今、誰かがいる」という事実を確認するためだけに開く時間。それだけで、画面への印象がだいぶ変わりました。
個人開発をしていると、数字は心強い味方であり、同時に残酷な鏡にもなります。特に伸び悩んでいる時期は、ダッシュボードを開くたびに「自分の努力が足りないのかな」と感じてしまうことがあります。わたし自身、その罠にはまっていました。
でも、数字の向こうには必ず人がいます。月に数百セッションあるなら、それだけの数の誰かが、何かしらの理由でわたしのサービスを開いてくれたということです。その事実を忘れて、グラフの傾きだけを見ていると、大切なものを見落としてしまいます。
「指標を見る」から「人の動きを読む」に切り替えると、分析画面は少し違う場所に見えてきます。
今でも、頑張りが報われない夜はあります。機能を追加したのに反応がない、宣伝しても広がらない、そういう夜に分析画面を開くと、以前は「やっぱりダメだ」という気持ちになっていました。
でも今は少しだけ違います。リアルタイムの数字が「1」でも「2」でも、それは誰かがそこにいるということ。ゼロでも、昨日や先週にいた誰かの動きがグラフに静かに残っています。分析画面は、使い方によっては「孤独を和らげる場所」にもなれると、わたしは思っています。
0時17分のその人がどんな人だったか、今もわかりません。使い心地はどうだったか、また来てくれたかどうかも、わかりません。でも、あの夜に「1」を見たことは、ちゃんと覚えています。
個人開発を続けていると、「これは誰かのためになっているのだろうか」という問いが、ふとした瞬間に頭をよぎります。答えが見えないと、続けることが難しくなります。でも、リアルタイムのダッシュボードには、そのヒントが静かに並んでいます。今この瞬間にそこにいる誰か。ページを開いて、読んで、次に進もうとしている誰か。
数字を「伸びているかどうか」の物差しとしてだけ使うのではなく、「誰かが今日もここに来てくれた」という証として読む。それだけで、画面の意味が少し変わります。
疲れた夜に分析画面を開くとき、グラフの向こうにいる顔の見えない誰かを、少し想像してみてください。その人があなたのサービスを使っている理由は、きっと一つではないけれど、少なくともその瞬間、あなたの作ったものが誰かの手元にある——それは本当のことです。
開発を続けること、それだけでもう十分すごいと、わたしは思っています。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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