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書き始めながら、少し恥ずかしい気持ちになっています。でも、同じような気持ちを抱えている人がいるかもしれないと思って、正直に書くことにしました。 わたしには、完成したのに出せなかったアプリがあります。ビルドは通っていて、スクリーンショットも撮り終えて、申請ページの下書きまで準備でき…
この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります
書き始めながら、少し恥ずかしい気持ちになっています。でも、同じような気持ちを抱えている人がいるかもしれないと思って、正直に書くことにしました。 わたしには、完成したのに出せなかったアプリがあります。ビルドは通っていて、スクリーンショットも撮り終えて、申請ページの下書きまで準備できていました。それなのに2025年の11月からほぼ4ヶ月間、提出ボタンをずっと押せないままでいました。 その間、わたしは「もう少し準備が足りない」と言い続けました。今ならわかります。あれは準備の話ではありませんでした。
最初にそのアプリを完成させたとき、正直とても嬉しかったです。半年かけて少しずつ作り続けて、動くものが手元に残った。その手応えは本物でした。
でも不思議なことに、「よし、出そう」とはなりませんでした。画面を見るたびに、気になるところが浮かんでくるのです。フォントの大きさがあと少しだけ気になる。このボタンの配置は本当に正解なのか。初回起動の流れがまだ完璧じゃない気がする。
どれも小さな問題です。でも直すたびに、次の気になる箇所が生まれました。アプリは完成していたのに、わたしの手の中で永遠に「未完成」であり続けました。
この感覚、経験したことのある方にはわかるかもしれません。「あと少し直したら出す」のあと少しは、終わりません。完成の定義が締め切りではなく自分の納得感になった瞬間、作業は無限ループに入ります。
わたしの場合、ある日気づいたら12月になっていました。リリース予定だった11月が、いつの間にか過ぎていたのです。カレンダーを見て、少しだけ焦りました。でも「年末は忙しい時期だし、1月にしよう」と自分に言い訳して、その焦りをやり過ごしました。
12月になっても、わたしの「まだ出せない理由」はどんどん出てきました。
年末は忙しい時期だからユーザーに届きにくいかもしれない。じゃあ1月にしよう。1月は年始だから様子見の人が多い。2月か3月が良さそう。2月は日数が少ないし、3月は年度末で忙しい人が多い。4月の新年度スタートのタイミングで出そう。
完璧なタイミングを探しているつもりで、ただずっと先送りをしていました。
当時のわたしは「タイミングを計っている」という言葉を使っていました。でもそれは、決断を先延ばしにするための、自分にもっともらしく聞こえる説明でした。
タイミングではなく、ただ怖かったのです。でも「怖い」とはっきり認めることも、当時はできていませんでした。自分に正直になるのも、それはそれで怖いことでした。
今年の2月、tsukuttaのコミュニティで、あるメンバーがアプリをリリースしたという投稿をしていました。その方は「正直まだ自信がないけど、出してみます」という一言を添えて、静かに公開していました。
数日後、そのアプリにはレビューが3件ついていました。★5が2件と、★2が1件。★2のコメントは、操作性についてかなり率直な指摘でした。
わたしはそのレビューを見てどきっとしました。もし自分のアプリが出ていたら、同じようなコメントをもらうかもしれない。そう思ったからです。心臓が少し痛くなりました。
気になってその方のその後を追いかけていると、1週間後にアップデートの投稿がありました。指摘された操作性の問題に対応した、という内容でした。
★2のレビューをもらって、修正して、また出した。その人は当たり前のようにそれをやっていました。
そのとき、はじめて気づきました。わたしが怖れていたのは、その往復のサイクルそのものだったのだと。批判をもらって傷つくことではなく、そのサイクルに参加すること自体が怖かったのです。公開してしまうと、もう「作っている人」ではなく「出した人」になる。そしてそれは、評価を受け入れる準備ができているということを、世界に宣言することになる気がしていました。
少し自分に正直になって考えたとき、わかったことがあります。
完成したアプリを出さないことで、わたしは「まだ可能性の中にいる」状態を保っていました。出していないアプリは、まだ失敗していません。批判もされていません。誰かに届かなかったという事実もありません。
引き出しの中にあるうちは、「出したら絶対うまくいくはず」という可能性が守られたままです。試していないから、否定もされていない。その安全さを、わたしは「準備期間」と呼んでいたのだと思います。
これは完璧主義の話でもありますが、もう少し正確に言うと「失敗を確定させないための防衛本能」でした。
出さない限り、失敗は確定しません。でも出さない限り、成功も確定しません。わたしは無意識のうちに、「可能性が消えない状態」を選び続けていました。
それはとても安全な場所でした。でも同時に、とても静かな場所でもありました。誰にも届かない、何も起きない、ひとりきりの場所。その静けさが居心地よく感じていたのは、居心地よくないことへの怖さが、それだけ大きかったからだと思います。
コミュニティのその方の投稿を見てから少し経って、わたしは一つだけ判断を変えました。完璧にしてから出そうとするのをやめて、まず誰かに見せてみようと決めたのです。
最初にしたのは、アプリを出すことではありませんでした。もっと小さいことでした。信頼できる友人1人に、「テストしてほしいものがある」と声をかけました。
それだけです。でもこれが、最初の一歩になりました。
その友人から返ってきた感想は、わたしが心配していた部分とは全然違う箇所についてでした。「ここのフローが少しわかりにくかった」という、自分では気づいていなかった指摘でした。
逆に言うと、4ヶ月間ひとりで磨き続けていた部分は、ほとんど気にされませんでした。
引き出しから出すことへの怖さと、実際に起きることのあいだには、大きなギャップがありました。わたしが怖れていたのは、自分の中でどんどん大きくなっていた何かで、現実はもっと穏やかでした。その落差に、少し拍子抜けしました。良い意味で。
あの4ヶ月のあとで、アプリはようやく世界に出ました。大きなことは何も起きていません。バズったわけでも、たくさんの人に届いたわけでもありません。でも、存在はしています。
そして、引き出しの中にあったときとは違う何かが起きるようになりました。使ってみたという連絡が届いたり、こんな機能があればという声をもらったり。ひとりで作り続けていたときには、絶対に起きなかったことです。
完成させることと、出すことは、別のスキルだとわかりました。作るのが好きで、作るのが得意でも、出すことへの怖さは別に持っている。それは恥ずかしいことではなく、ただの事実でした。
同じように引き出しの中に何かを持っている方へ。準備が足りないのではないかもしれません。もう十分かもしれません。最初の一歩は、完璧な状態で世界に出すことではなく、信頼できる誰か1人に「見せてみる」だけでいいと思っています。その小さな一歩が、4ヶ月の静けさを動かしてくれました。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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