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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

「何人で作ってるんですか?」 そう聞かれたのは、アプリをリリースして3ヶ月ほど経った頃のことでした。個人開発コミュニティのSNSに投稿したリリース紹介を読んでくれた方から、ダイレクトメッセージが届いたのです。文面には丁寧な感想とともに、率直な疑問が書かれていました。「機能がこれだ…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
「何人で作ってるんですか?」 そう聞かれたのは、アプリをリリースして3ヶ月ほど経った頃のことでした。個人開発コミュニティのSNSに投稿したリリース紹介を読んでくれた方から、ダイレクトメッセージが届いたのです。文面には丁寧な感想とともに、率直な疑問が書かれていました。「機能がこれだけ揃っていると、チームで作っているのかなと思って」と。 正直、返信する手が一瞬止まりました。誇らしいとも、照れくさいとも、何とも言い難い感情が同時に押し寄せてきたのです。「1人です」と打ち込んだとき、なぜか送信ボタンを押すのが少し怖かった。 これは、あの瞬間から始まった自分の話です。個人開発をしていれば、似たような場面に出会うこともあると思います。そのときに「あ、わかる」と感じてもらえたら。そんな気持ちで書いています。
「何人で?」という問いは、褒め言葉として届きました。でも受け取り方は複雑でした。
素直に喜べばいいだけなのに、なぜか「1人でよくやったね」と言われることへの、ちょっとした居心地の悪さが残ったのです。それが何なのか、しばらくわかりませんでした。
後から気づいたのですが、「1人でやっている」ということを、どこかで自分が隠しているような感覚があったのかもしれません。ランディングページのコピーは磨いて、UIの細かなアニメーションにもこだわって、サポートの返信も丁寧に。そうやって「隙を見せないように」作ってきたものが、「チームっぽさ」に見えていた。
誇らしいはずなのに、「本当は1人なのにすごいね」という文脈で読まれることへの、微妙な居心地の悪さ。あなたにも、似た経験はありませんか。
あのDMをもらってから、少し立ち止まって考えてみました。なぜそう見えたのか。答えは意外とシンプルで、「やること全部を自分でやっていたから」だと思っています。
デザインも、コードも、ユーザーインタビューも、SNS投稿も、問い合わせ対応も、全部1人。でも、それぞれを「担当者がいる仕事」のクオリティに近づけようと、ひとつひとつ向き合ってきました。分業している組織の動き方を参考にしながら、自分の中で「今日はデザイン担当として考える」「今日は運用担当として動く」と切り替えながら進めていたのです。
ツールも使い倒しました。通知や定期処理を自動化して、自分が寝ている間にも動いてくれる仕組みを整える。それが「複数人が動いているような印象」につながっていたのかもしれません。
たとえば、以前はユーザーへのウェルカムメッセージを手動で送っていました。登録が1日5件を超えたあたりから対応が追いつかなくなって、返信まで平均2〜3日かかるようになっていたのです。それを自動化してからは、登録直後の数分以内に届くようになりました。
ユーザーから「すぐに返ってきてびっくりした」という声をもらったとき、少し笑ってしまいました。「自動だよ」とは、なかなか言い出せなくて。
でもこれは、「チームっぽさ」を演出しようとしてやったことではありませんでした。ただ、1人の限界を補うためにやったこと。それが結果として「ちゃんとしている」に見えていただけです。
個人開発の現実として、これだけは正直に書いておきたいと思います。
ある夜、本番環境でデータの同期処理が止まりました。ユーザーからの問い合わせが3件、立て続けに届いたのは深夜1時を過ぎた頃です。誰かに「ちょっと見てくれる?」と声をかける相手はいませんでした。ひとりでログを追って、原因を探して、直して、翌朝ユーザー全員にお詫びのメッセージを送る。それを全部1人でやりました。
正直、そのときが一番「チームがいれば」と思った瞬間でした。技術的な意味ではなく、ただ、誰かに「大変だったね」と言ってもらいたかっただけかもしれません。
翌朝、問い合わせをくれたユーザーから「対応が早かったです、ありがとうございました」という返信が届きました。あの夜の3時間が報われた気がして、不思議と立ち直れたのです。
失敗の記録はノートにそのまま残しています。「なぜ止まったか」「どう直したか」「次に同じことが起きないために変えた点」。見返すたびに、「あのとき自分は諦めなかった」という事実がそこにある。それが、思いのほか心の支えになっています。
失敗の夜は孤独です。でも、乗り越えた記録は自分にしか積めない。それが少しずつ、自分の地盤になっていきます。
ある時期、「共同開発者を探すべきか」と本気で悩みました。コミュニティでそういう募集をしている人を見かけるたびに、少し羨ましい気持ちがあったのです。
でも、何度か考えを整理した末に、今の自分には「ひとりで進める」が合っていると気づきました。理由は単純で、自分のペースとリズムで判断できることが、今のプロジェクトには必要だったからです。「誰かと合わせる」コストが、今の段階では開発スピードを落とす方向に働くと感じていました。
これは、チームを否定しているわけではありません。ただ、自分の今いるステージと、作りたいものの性質から考えたとき、「1人のほうが速い」という結論になっただけです。
腹を括ってから変えたのは、「1人です」と言うときの自分のトーンでした。それまでは少し申し訳なさそうに言っていたのが、少しずつ「1人でやっています」と平然と言えるようになりました。
事実の報告として、フラットに。それだけのことなのですが、自分の中では結構な変化でした。言葉のトーンが変わると、受け取り方も変わるし、何より自分の気持ちが変わりました。
正直に書きます。チームで作っていると思ってもらえた瞬間の、あの「少しの寂しさ」は、今も完全には言語化できていません。
誇らしいのは本当です。でも「すごいですね、チームで?」と聞かれて「いや、1人です」と答えた後のあの静けさ。相手が驚いてくれるのも嬉しいのに、なぜかその後に少し間が空く感じ。
たぶん、「1人でやっている」ということの孤独は、誰かに話してもなかなか伝わらないのだと思います。作業が辛いわけじゃない。ツールも充実している。でも、「いまうまくいってる」という感覚を、リアルタイムで分かち合える相手がそばにいない。それが、じわっとした重みとして残ることがある。
それを否定したいわけでも、解消したいわけでもなくて、ただ「あるよね」と認めておきたかった。それだけのことです。こういう感情を持ちながら続けている人が、世界のどこかにいることを知っているだけで、少し楽になれることもありますから。
この記事を読んでいるということは、あなたも何かを作っている途中なのかもしれません。
もしいつか「何人で作ってるんですか?」と聞かれる日が来たら、胸を張って「1人です」と言ってほしいと思います。チームっぽく見えるのは、あなたがそれだけ丁寧に作ってきたからです。ごまかしでも演出でもなく、積み重ねてきたものがそう見せているだけです。
誇らしさと照れくささと少しの寂しさが混ざったあの複雑な感情は、おそらく個人開発者にしか分からないものです。だからこそ、ここで正直に書いておきたかった。
「ひとりでいい」と腹を括ることと、「ひとりで十分」と思い込むことは、全然違います。前者は自分で選んだ方向で、後者は諦めです。選んでいる限り、その先には続きがあります。
あなたが作っているものを、誰かがきっと「すごい」と思う日が来ます。そのとき「1人です」と言える自分でいてください。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― 個人開発者 / AI導入・業務自動化のコンサルタント。AIと二人三脚でiOSアプリやWebサービスを作りながら、企業のAI導入と自動化の相談を受けています
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