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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます

エッセイを書きます。 深夜の2時ごろ、Lilyはふとアプリを開きました。リリースから3週間が経って、ユーザーからの反応もちらほら届いていて、そろそろ落ち着いてきたかなというタイミングでした。自分で使いながら「ちゃんと動いてるな」と確認するつもりで、いつもと違う手順で操作してみたん…
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「チップをリクエスト」で著者にチップの受け取り設定をお願いできます
エッセイを書きます。 深夜の2時ごろ、Lilyはふとアプリを開きました。リリースから3週間が経って、ユーザーからの反応もちらほら届いていて、そろそろ落ち着いてきたかなというタイミングでした。自分で使いながら「ちゃんと動いてるな」と確認するつもりで、いつもと違う手順で操作してみたんです。 そのとき、画面が固まりました。 誰もそのバグを報告していませんでした。もしかしたら、誰もその操作をしていなかっただけかもしれない。でも確実に、バグはそこにありました。Lilyが深夜に偶然踏んだだけで、ずっとひっそりとそこに潜んでいたんです。このエッセイは、その夜のことを書いています。誰も見ていない場所での選択が、開発者としての自分をどう形作るのかを、同じく一人で何かを作り続けているあなたと一緒に考えてみたいと思います。
バグの発見は、だいたい偶然です。「このパターンで使ったらどうなるんだろう」と何気なく試したとき、あるいはリリース後の静かな夜に自分で使ってみたとき。Lilyもそういう形で見つけました。
操作の手が止まって、画面を見つめながら「あ、これダメだ」と気づく瞬間。あの感覚、伝わりますか。頭の中で「いつからあったんだろう」「どのくらいの人が踏んだんだろう」という計算が始まって、胃のあたりがわずかに重くなるあの感じ。
ユーザーが気づいていない、ということは確認できました。サポートへの問い合わせも来ていないし、SNSでの反応もない。踏んだとしても、ただ「使いにくいな」と思って離れていったのかもしれないし、あるいは本当に誰もその経路を通っていなかっただけかもしれない。
ここで少し立ち止まって考えました。
「誰も報告していない」ということは、逆に言えば「誰かがひっそりと諦めていた可能性がある」ということです。問い合わせをするほどの不満でもないけど、そこでつまずいて、静かに戻るボタンを押した人がいたかもしれない。声にならないまま離れていったユーザーは、もしかしたら潜在的にいる。
声なき不満って、一番こわいんですよね。見えないから。改善のしようがないし、そもそも問題があることにさえ気づけない。今回は自分が偶然発見したからよかったけど、もし発見しなかったら?ずっとそのままだったと思うと、少し怖くなりました。
正直に言います。一瞬だけ、「このまま今夜は放置してもいいか」という気持ちがよぎりました。
深夜2時です。誰も報告していない。明日の朝に改めて調べればいいし、もっと重要な機能の開発も積み残しています。それに、そのバグが起きるのはかなりニッチな手順を踏んだ場合に限られていて、多くの人には関係ないかもしれない。
こういう状況で「まあいいか」と画面を閉じることは、ちゃんと合理的な判断に見えます。優先度をつけることは大事だし、完璧主義でがんじがらめになって前へ進めなくなるより、少し荒削りでもスピードを優先した方がいい場面も確かにある。「完璧なコードより動くものを」という考え方は、個人開発の世界ではよく言われることでもあります。
でも、Lilyはその夜、画面を閉じることができませんでした。
気になってしまったんです。理屈ではなく、感情として。「知ってしまったのに、見なかったことにするのか」という、小さな違和感がずっとそこにあって。
バグの調査を始めると、意外と早く原因はわかりました。「ああ、ここか」という感じで、自分のうっかりが一目でわかる瞬間。恥ずかしいような、ちょっと安心したような、複雑な気持ちです。「もっと難しい原因だったらどうしよう」という不安が先に頭にあったので、あっさり見つかったときの拍子抜け感がありました。
修正自体はそれほど大がかりなものではありませんでした。でも、確認するためにいくつかのパターンを試して、関連する箇所を見直して、「これで本当に大丈夫か」と何度も動かしてみる。そういう地味な時間が、静かな夜に積み重なっていきます。
このとき気づいたことがあります。
Lilyは、まるで誰かに見られているかのように、丁寧に確認をしていました。「これくらいでいいや」ではなく、「もし明日ユーザーが使ったときに、ちゃんと動くか」という視点で、一つひとつ試していた。
誰も見ていない。レビューしてくれる人もいない。でも、手を抜きたくなかった。
その感覚は、なんというか、自分への約束みたいなものだったと思います。「Lilyはそういう仕事の仕方をしない」という、自分自身への誓いに近いもの。大げさに聞こえるかもしれないですが、深夜に一人でひっそりやっているとそういう気持ちが自然に湧いてくるんです。
作業が終わったのは、3時を少し過ぎたころでした。画面の前でひとりうなずいて、コーヒーを飲んで、静かに眠りました。
個人開発をしていると、誰も見ていない場面が圧倒的に多いです。
コードレビューをしてくれる同僚はいない。締め切りを管理する上司もいない。「もう少し丁寧に作ろう」と声をかけてくれる人もいない。全部、自分で決める。
だからこそ、誰も見ていない場面での選択が、そのまま「あなたの開発スタイル」になっていきます。
これは自分への戒めも込めて書くんですが、一度「まあいいか」をやると、次もやりやすくなります。「前回もこれくらいで出したし」という前例ができてしまう。それが積み重なると、知らないうちに自分のバーが少しずつ下がっていく。
怖いのは、それが急には気づけないことです。少しずつ慣れていくから。ある日「なんか最近、作ってるものに誇りが持てないな」と感じたとき、振り返ると積み重なったサボりがあった、ということが起きる。
でも、逆のことも起きます。
深夜に誰も見ていないところで、それでも丁寧に確認した、という体験は、小さいけど確実に積み重なります。「あのとき、ちゃんとやった」という事実が、自分の中に貯まっていく。
それは自己満足と言えばそうかもしれない。でも、自己満足って、悪いことじゃないと思っています。自分が納得できる仕事をしたという感覚は、次の仕事への燃料になるから。「あのとき手を抜かなかった自分」が、次の夜に踏ん張る理由になる。
バグを直した翌朝、アプリを開いたときの感覚は少し違いました。
なんというか、「胸を張って使ってもらえる」という気持ちがあった。昨日の夜より、少しだけ信頼できるものになった。そういう確信みたいなものが、静かにありました。
個人開発のモチベーションって、人それぞれだと思います。使ってほしい、売りたい、承認されたい、ただ作りたい——全部、正当な理由です。でも、長く続けていく中で、「自分がちゃんと誇れるものを作っているか」という感覚は、かなり重要だとLilyは思っています。
誰かに「これ使ってみて」と言えるかどうか。その自信は、深夜に誰も見ていないところでの積み重ねから来ています。
ユーザーは表面しか見えないけど、自分はプロセスを全部知っている。あのとき手を抜かなかった、という事実は、自分だけが知っています。それがなんか、いいんですよね。自分だけの勲章みたいな感じで、静かに誇りになっていく。
このエッセイを読んでいるあなたも、きっと似たような夜があると思います。
誰も報告していないバグに気づいた夜。テストを一つ余分に書いた夜。誰も読まないかもしれないところを、それでもきちんと整えた夜。ユーザーが気づかなそうな細かい部分の調整に、予想外の時間をかけた夜。
そういう「誰も見ていない選択」が、静かに積み重なって、あなたの作るものの質になっていきます。そして、それはあなた自身への誇りになっていく。
Lilyはそれが好きです。誰かに褒められるためじゃなくて、自分が「これは自信を持って出せる」と思えるものを作れているという感覚。地味で、リリースノートにも書かないかもしれないけど、それでもちゃんとやる、という選択の積み重ね。
あの深夜の修正は、誰のフィードバックにも出てきません。アップデート履歴にも書きませんでした。でも、Lilyのアプリの中にちゃんとある。それで十分だと思っています。
あなたの深夜の選択も、そういう形で、あなたの作品の中にちゃんと残っていきます。誰も見ていなくても、あなたは見ていた。それだけで、もう十分です。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています