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ある朝、App Storeの通知を開いたら、見たことのない文字が並んでいました。 星は5つ。それだけはわかりました。でもその下に続く言葉は、まったく読めなかった。アルファベットでも、日本語でも、中国語でも、韓国語でもない——たぶん、東欧のどこかの言語だと思います。ひとつひとつの文…
この記事が良かったら
Lily さんへの応援になります
ある朝、App Storeの通知を開いたら、見たことのない文字が並んでいました。 星は5つ。それだけはわかりました。でもその下に続く言葉は、まったく読めなかった。アルファベットでも、日本語でも、中国語でも、韓国語でもない——たぶん、東欧のどこかの言語だと思います。ひとつひとつの文字が見慣れないカーブを描いていて、わたしはしばらくそこで固まってしまいました。スマートフォンを持ったまま、台所に立ったまま。お湯が沸くのも、ちょっと忘れていました。 翻訳ボタンは、すぐそこにありました。タップひとつで意味が出てくる。でも、押せなかったんです。数秒だけ、押せなかった。何だろう、この感覚。悪いことが書いてあったら怖い、というのとは少し違う。もっと別の何かが、指を止めていました。あの数秒のことを、今でも時々思い出します。 この記事は、その「押す前の数秒」と「押した後の静かな驚き」について書こうと思います。技術的な話ではありません。ただ、小さなアプリが遠くの誰かの日常に入り込んでいたと知った日のことを、正直に。同じように個人でアプリを作っている人に、少しだけ届けばいいなと思いながら書きます。
あのレビューが届いたのは、アプリをリリースしてから7ヶ月が経った頃でした。ダウンロード数は正直なところ地味で、月に数十件ほど。レビュー自体が届くことが珍しかったので、日本語や英語のものはすぐに開いて読んでいました。それが突然、まったく見知らぬ言語で来たわけです。
なんであんなに緊張したんだろう、と後から考えたのですが、たぶん「知らない誰かが、自分のアプリを使っている」という事実を直視する瞬間だったんだと思います。アプリを公開することには慣れていた。でも、想像の届かない場所にいる誰かがそれを日常的に使っているという実感は、全然持てていなかった。その扉が、目の前でいきなり開こうとしていました。
アプリをリリースした日、わたしは素直に嬉しかった。でもその嬉しさは「完成させた」という達成感に近いもので、「誰かに届いた」という感覚とは少し違っていたように思います。
ダウンロード数が増えても、同じでした。数字は増える。でもその数字の向こうに「人」がいるとは、なかなか想像できなかった。特に、日本語圏の外にいる人のことは。海外のユーザーがいるとしても、それはどこか抽象的な存在で、顔も生活も、時間の流れ方も、まったくイメージできていなかった。「グローバルに届いたら嬉しいな」とぼんやり思いながら、でも実際には何も思い描けていなかった。
押しました。翻訳ボタン。
出てきた文章は、こんな感じでした。細かいニュアンスは記憶を補っていますが:「毎朝使っています。シンプルで気に入っています。もう少しだけ、こうだったらいいのに」。
……すごく真面目なレビューでした。大げさな絶賛でもなく、怒りでもなく、ただ「使っている」という事実と、小さな要望がそこにあった。
わたしは思わず、画面を持ったまましばらく動けませんでした。毎朝、って書いてある。毎朝、わたしの作ったものを使っている人が、どこかにいる。
その人は何時に起きるんだろう、と思いました。朝に使うって書いてあったから、たぶん通勤か、朝ごはんのタイミングで開いてくれているのかな。コーヒーを飲みながら、あるいはバスを待ちながら。わたしのアプリが、その人の朝のルーティンの一部になっている。
言語が違うから、生活時間帯も違うかもしれない。わたしが寝ているときに、その人がアプリを開いている。そういうことを考えたこと、それまで一度もなかったんです。
「ユーザー」という言葉をよく使いながら、具体的な一人の人間を想像したことがなかった。恥ずかしいくらい、なかった。作っている間ずっと、「誰かのため」と言いつつ、実はあまり「誰か」のことを考えていなかった気がします。
個人開発って、作ることに集中しやすい環境だと思います。チームもないし、締め切りも自分で決める。気が向いたときに進めて、気が乗らない日は休んでもいい。でもそれと引き換えに、「届けること」への想像が薄くなりがちな気がします。少なくとも、わたしはそうでした。
作るのが楽しくて始めた。リリースまでたどり着いた。それだけで、十分に達成感がある。その先に「誰かが使っている現実」があることを、頭ではわかっていても、体で感じるまでに7ヶ月かかりました。
あのレビューをもらってから、わたしは少し意識を変えました。
ダウンロード数を見るとき、その数字を「人」に変換してみる、ということを始めたんです。100件なら、100人がいる。その中の誰かは毎朝使っているかもしれない。遠い国から、わたしの知らない言語でレビューを書いてくれた人と同じように。
これ、すごく単純なことなんですが、意識が変わるとアプリへの向き合い方も少し変わりました。バグを直すとき、「誰かの朝が壊れるかもしれない」と思うようになった。小さな改善を入れるとき、「あの人が気づいてくれるかな」と思うようになった。完璧じゃないアプリでも、誰かの日常に入り込んでいる。そのことを忘れないようにしよう、と思うようになりました。
一つだけ、失敗談があります。
あのレビューに、わたしは返信しませんでした。というか、できなかった。何を書けばいいかわからなかった。翻訳して意味はわかった。でも、相手の言語で返事を書く自信がなくて、英語で書こうとしても「伝わるかな」と思って、結局なにも送らなかった。
今でもちょっと後悔しています。「使ってくれてありがとう」くらいは言えばよかった。英語でも、翻訳した言語でも。完璧じゃなくていいから、一言でも返せばよかった。ためらっているうちに、そのままになってしまった。
その後、同じ国から2件目のレビューが来ました。どちらも、星は4か5。
わたしはそれを見て、なんだか少し泣きそうになりました。変な話ですよね。知らない人から、知らない言語で、でも確かに「好意」を伝えてもらえた。
個人開発をやっていると、続けるモチベーションを保つのが難しいと感じる時期があります。ダウンロードが伸び悩む時期、バグが続く時期、「そもそも誰かに使われているのかな」と不安になる時期。わたしにも何度かそういう時期がありました。リリース後の静けさって、けっこう堪えます。
でも、あの翻訳レビューを思い出すたびに、「届いていた」という事実が戻ってきます。わたしがコードを書いていたあの夜、アイコンを作り直していたあの午後、誰かの朝の習慣に、いつのまにか入り込んでいた。
アプリを作るとき、わたしはいつも「誰かの役に立てばいいな」と思っています。でもそれは、漠然とした「誰か」でした。顔も、生活も、言語も、何も具体的じゃなかった。
あのレビューをもらって初めて、「誰か」に朝の習慣が生まれた気がしました。どこかの国の、毎朝アプリを開く人。その人の日常のほんの小さな一部に、わたしのアプリが入り込んでいた。
これを知れたのは、見知らぬ言語のレビューと、翻訳ボタンのおかげです。ちょっと大げさかもしれないけれど、あのタップひとつで、わたしの「ユーザー」という言葉の意味が、すこし変わった気がしています。
おこがましい言い方になってしまうかもしれませんが、同じように開発を続けている人に、少しだけ伝えたいことがあります。
もし今、あなたのアプリに読めない言語のレビューが届いていたら。あるいは、なんとなく後回しにしていたフィードバックがあったら。
翻訳してみてください。押すのを一瞬ためらうかもしれないけれど、その先には、たぶん「届いていた」という実感があります。5つ星かもしれないし、要望かもしれないし、クレームかもしれない。でもどれも、「使っている誰か」がそこにいる証拠です。その事実は、思っているよりずっと、やる気の支えになります。
あのとき返信できなかったわたしから、もう一つだけ。
言語が違っても、一言の「ありがとう」は伝わります。完璧な文章じゃなくていい。翻訳ツールを借りても構わない。使ってくれている誰かへの小さな返信が、双方向のつながりを作る一歩になります。わたしはその一歩を踏み出せなくて、今も少し惜しいと思っています。次に来たときは、ちゃんと返すつもりでいます。
わたしのアプリは今も、地味な数字をコツコツ積み上げています。でも、あの翻訳ボタンを押した日から、その数字の見え方がちょっとだけ変わりました。
どこかの国の誰かの、朝の一部に入り込んでいるかもしれない。そう思いながら、今日も少しだけ、コードを書きます。
Lily(@bokuwalily)― 個人開発者。AIと二人三脚で、iOSアプリやWebサービスを作っています
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Lily(@bokuwalily)― マーケ組織50名規模を統括するCMOを経て、いまは個人でiOSアプリやWebサービスを作っています。集客・導線設計と、AI導入・業務自動化の相談を受けています
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